旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

日光道中紀行6 宇都宮宿~徳次郎宿~大沢宿

2017-09-30 | 日光道中・奥州道中紀行

 2週間を経てふたたびの宇都宮宿。二荒山神社は延喜式に名を連ねる歴史ある神社。
代々の宇都宮城主が社務職を兼ね「宇都宮大明神」と称する。
郷土の祖神・総氏神さまとして篤い信仰を受け、
下野國一之宮といわれている。

 

10:00 「宇都宮宿」
 出発点の伝馬町交差点は奥州道中との追分、奥州道中は真直ぐJR宇都宮駅方面へ。
日光道中はここを左折して清住通りを北上する。
ところで伝馬町交差点を右に折れると、2軒めの民家の中庭に大イチョウが目に入る。
ここが本陣青木家の跡だそうだ。 

松峰山桂林寺は元和6年(1620年)、街道開設から間もなくに現在の場所に移ったと云う。
日本橋から27里目の宇都宮一里塚も、宿場の日光方の入口の木戸があったのもこの辺りだ。
街道は門前から北西方向に進行方向を変える。

Navi60. 松原3丁目交差点(斜め右)→<国道119号>→山口交差点 17.3km 220分 

 

11:05 「上戸祭一里塚」
 宇都宮環状道路とのクロスする宮環上戸祭交差点を過ぎると桜並木がはじまる。
日本橋から28里の上戸祭一里塚は、檜が植えられた西塚がほぼ完全に残っている。

11:30 「宝珠山玉塔院光明寺」
 旧野沢村は宇都宮宿と徳次郎宿の中間にあって立場となり茶屋などが設けられた。
光明寺は真言宗智山派の寺、街道時代には東照宮に参詣する将軍の休息所となっていた。 

この辺りの並木は街道より高い位置に土塁のように続いている。
東北自動車道を潜る手前に高谷林一里塚があったはずだが見逃してしまった。 

東北自動車道を越える。
右手に煉瓦造りの八角形の建物、「宇都宮市水道第六号接合井」と右書きの文字。
大正3年に竣工した水道施設で赤煉瓦と大谷石の建屋は国登録有形文化財だ。
威風堂々たるこの建屋を過ぎると街道は徳次郎宿に入って行く。
右手の滝乃金田屋パン工場が下徳次郎宿の金田仮本陣だ。

12:30 「徳次郎宿」
 江戸から18番目の徳次郎宿は、厳密には下徳次郎宿、中徳次郎宿、上徳次郎宿の合宿。
人馬継立などの宿場業務を月の10日ずつ分担していた。
その規模は3宿合わせて本陣2、仮本陣1、脇本陣3、問屋場3、旅籠72軒だ。
中徳次郎宿を過ぎると智賀都神社、宝亀9年(778年)に勧請した徳次郎3宿の総鎮守だ。 

上徳次郎宿の館野本陣があった辺りまで来ると田園風景が広がる。
その先に見えるのは篠井富屋連峰だ。 

 

12:55 「石那田一里塚」
 日本橋から30里の石那田一里塚は船生街道入口に東塚だけが残る。
塚の上には塚木の代わりに石の標柱が立つ。ちなみにバス停の名称も「一里塚」だ。 

 

「馬力神」は民間信仰から生まれた馬の守護神、栃木県や宮城県で見られる。
荷駄を運んだ馬の供養のための馬頭観音とは異なる。この辺りから左右に石仏が目立つ。 

 

「うらない地蔵」は享保15年(1730年)に建立の阿弥陀像、大谷石なので風化が激しい。
「上小池一里塚」は杉並木の傍らに西塚だけが辛うじて痕跡を残していた。
訝しいので80代位の散歩中のお爺さんに訊ねる。
俺が若い衆の頃には二つあったよ遠い目をして教えてくれた。 

 

14:00 「そば処栗山」
 今日の茶屋はそば処栗山、街道が宇都宮市から日光市に入って間もなくだ。
コスモスが揺れている。飲んだら後が辛いのを承知でもビールは止められない。

街道めしは "大根そば"、辛み大根を溶くのかと思いきや、千切り大根がのってきた。  

Navi61. 山口交差点(直進)→<旧道>→大沢交差点 1.5km 15分 

山口交差点の先で二股に分かれる、直進する旧道が日光道中だ。
杉並木は慶安元年(1648年)、松平正綱によって植栽され日光東照宮へ寄進された。
杉並木の入口には「並木寄進碑」が建っている。

Navi62. 大沢交差点(斜め右)→<国道119号>→大沢郵便局 0.5km 6分

14:50 「大沢宿」
 美しい杉並木の旧道がR119と合流する大沢交差点が大沢宿江戸方の入口だ。
幕末期の大沢宿の規模は本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠41軒。
度重なる大火に見舞われた宿並みは街道時代を思い起こさせるものは残っていない。
源頼朝を祀った王子神社を右手に見て、大沢小学校前の歩道橋の辺りが福田本陣跡だ。
宇都宮宿は奥州道中との追分、伝馬町交差点から徳次郎宿を経て大沢宿まで、19.9km。
所要4時間50分がこの日の行程だ。日光二荒山神社の「神橋」までは、あと15.8kmだ。

 


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch 「Bar Scala」

2017-09-26 | Biz-Lunch60分1本勝負

 京急本線の踏切至近、品川宿のほんの入口にある「Bar Scala」、問答河岸の碑の近く。
洒落たワインバーなのですがランチは純和風のラインナップなのです。 
"釜あげ しらす丼" をいただきました。"切干大根" と "茄子のお浸し" の小鉢が嬉しい。
酒の肴になりそうです。丼は濃いめに山葵を溶いた醤油をかけて "しらす" を味わって、
後半は半熟玉子をとろりと割って二度美味しいのです。

 
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旧中山道・浦和宿 酒場事情「酒蔵 力」

2017-09-24 | 津々浦々酒場探訪

 酒蔵 力(りき)は、レッズを愛する人が集まる浦和の象徴的な酒場だ。
サガン鳥栖と引き分けた今宵、聖地はやや大人しい雰囲気かもしれない。

 

まずは生ビールで1日の疲れを流し込む。ジョッキーに「力」の文字が誇らしげだ。
肴は "わさび茄子" と "冷やしトマト"、まずはさっぱりと始める。

 

"メンチカツ" はジューシーで美味しい。レベルは高い。お奨めできる一品なのだ。
お好みで、"つくね"、"ねぎま"、"しいたけ" を焼いてもらう。辛味噌がアクセントとなって美味しい。

 

2杯目からはホッピー黒、人気の "玉子焼き" は和風オムレツって感じだろうか。ネギが効いていて美味。
定番の "イカ焼き" に、連れの注文は "レッズサワー"、紫蘇の赤が鮮やかだ。

 

時間を追うごとに埼玉スタジアムから流れてきた常連のサポーター達で店内は「紅」に染まっていく。
当然にスタッフの装いも「紅」、笑顔のすてきな "ななこ" さんの後ろ姿を撮らせていただいた。
愉しく飲ませていただきました。また伺います。 

 

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旧中山道・浦和宿 酒場事情「すし二乃宮」

2017-09-20 | 津々浦々酒場探訪

 今宵は "サンマ" と "マアジ" を中心に盛ってもらった。たまには贅沢に呑もう。
こちらに伺うと大抵は握りまで辿りつかないのです。

 

"白穂乃香"、贅沢な無濾過の樽生は、乳白色の濁りがあるフルーティなビールだ。
お気に入りのアペタイザーは "フルーツトマトとモッツァレラ"。
ワインはもちろんビールにも日本酒にも合う一皿なのだ。

 

秋野菜を焼いてもらった。
五橋の "five ブルー 純米吟醸" は芳醇旨口、岩国は酒井酒造の酒です。 

 

板さんお任せの二品をいただく。
"生いくらの醤油漬け" は酢飯に盛って、"メヒカリの焼き物" は酢橘を絞って旨い。 

 

大観の "純米吟醸 雄町14号" は穏やかな立ち香の芳醇辛口の酒、蔵は日立の森島酒造だ。
肴には "ぎんなん と むかご" を炒ってもらう。
ぎんなんの苦みと、むかごの甘みが絶妙な一皿だ。

 

焼いた卵白をのせた "秋鮭の難波焼き" と "阿波牛味噌焼き" をいただく。
酒は、藤岡は高井酒造の "巌 特別純米 手書きラベル" だ。
山田錦と美山錦で醸した淡麗辛口を合わせる。
やはり握りには辿りつかず、巻物を息子とシェアして〆ます。
美味しくも、やや散財してしまった、満足の宵なのです。 

 
 

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日光道中・奥州道中紀行5 小金井宿~石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿

2017-09-18 | 日光道中・奥州道中紀行

10:30 「小金井一里塚」
  日本橋から22番目の小金井一里塚は東塚西塚の一対が立派に残っている。
故に日光道中では唯一の国指定史跡だ。西塚には榎、東塚には檪(くぬぎ)と榎の巨木。
日光道中はこの一里塚を過ぎると小金井宿に入って行く。

 

慈眼寺(じげんじ)は上野国の豪族 新田義兼が建久7年(1196年)に創建した古刹。
三間四面朱塗りの観音堂、鐘楼は江戸時代のものだ。
境内には将軍が日光参詣時の御座所が在って昼食休憩をとったと云う。

10:45 「小金井宿」
 江戸から14番目になる小金井宿の規模は本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠43軒。
宿駅となったのは延宝9年(1681年)と街道制定よりかなり後のことである。
本陣大越家には四脚門が残っている。

 

宿並みには2棟の見世蔵が残っているのだが老朽化が著しい。

 

小金井宿の日光方の入口は薬師堂がある辺り、街道当時は土塁で固められていたそうだ。

 

Navi52. ミニストップ自治医大駅西店(左折すぐ右折)→<市道>→レストラン倉井 1.7km 21分

退屈な国道を進んだ後、真新しい下野市役所の先に本来の道筋を歩くことができる。
真直ぐに延びる農道からは薄らと日光連山を眺め、左右には名産かんぴょうの畑もある。

Navi53. レストラン倉井(右折すぐ左折)→<国道4号線>→上御田入口バス停 10.0km 120分

11:55 「夕顔橋の石仏群」
 のんびり歩いた農道もやがて林に道を塞がれ、すぐ東側を北上する国道4号線に戻る。
下石橋交差点の手前には夕顔橋の石仏群が在る。
年代が明らかなものとしては享保3年(1718年)の地蔵菩薩立像が祀られている。
石仏群が国道に背を向けていることが、本来の街道がやや西側を通っていたことを教える。

 

本町交差点を過ぎると右手に見える愛宕神社は、天平宝字3年(759年)創建の古社である。
この辺りが日光道中江戸方の入口で、かつては土手が築かれていたと云う。

 

12:20 「石橋宿」
 石橋宿は江戸から15番目の宿場である。現在の国道4号線では93キロのポストが立つ。
その規模は本陣1、脇本陣1、問屋場2、旅籠30軒になる。
遺構は殆ど残っていないが、脇本陣をつとめた伊沢邸が街道時代風の建物になっている。

本陣跡から少し先、石橋山開雲寺は、慶長9年(1604年)に将軍家から寺領を拝領した。
日光東照宮造営後は徳川将軍家の日光参詣時の休泊所となっている。


延々と続く退屈な国道歩きはいつしか宇都宮市に入って行く。
この間、江戸から24番目の下古山一里塚と25番目の雀宮一里塚が在ったはずだ。
安塚街道入口交差点は雀宮宿の入口になる。かつては木戸と土塁があったと云う。

 

13:45 「雀宮宿」
 雀宮宿は江戸から16番目の宿場になる。
本陣1、脇本陣1、問屋場2、旅籠38軒と云うのが江戸時代末期の宿場の規模だ。
本陣小倉家は天正年間には真岡城主になった家、今では跡碑のみが建つ。
明治天皇の奥州巡幸の小休所となった名主の仮本陣芦谷家には門構と板塀が残る。

 

日光方の入口には雀宮神社が在る。秋祭りの準備中だ。
東に筑波山、加波山の眺望が良いと道中記にある。東京から丁度100キロになる。

Navi54. 上御田入口バス停(左折すぐ右折)→<国道4号線脇の路地>→コナカ雀宮店 0.8km 10分

Navi55. コナカ雀宮店(右折すぐ左折)→<国道4号線>→西原交差点 3.7km 45分

14:50 「江曽島一里塚跡」
 日本橋から26番目の江曽島一里塚は東北本線と並行する辺り、痕跡は残っていない。
鉄道の建設時に消滅したと云う。交差点の名前が「一里」なのが名残と云えば名残か。
ちなみに宇都宮では、市内から南へ向かう日光道中(国道4号線)を「東京街道」と呼ぶ。 

Navi56. 西原交差点(直進)→<国道119号線>→不動前交差点 0.7km 9分

Navi57. 不動前交差点(斜め左)→<市道>→裁判所前交差点 2.2km 27分

15:10 「不動堂」
  不動明王は、日光道中と奥州街道(明治以降の)との分去れにあり、宇都宮に入る目印だ。
傍ら昭和3年の道標には、「右奥州・日光街道、左裁判所、正面東京に至る」とある。
「左裁判所」方面が江戸時代の日光道中・奥州道中である。

      

15:40 「宇都宮宿」
 不動前交差点を左折すると300mほどで東武宇都宮線のガードを潜る。
この辺りが日光道中江戸方の入口で、木戸・土塁に加えて番所が置かれていた。
その先新町の推定樹齢800年のケヤキの巨木は宇都宮城下の目印だ。
さらに1.5kmを直進すると街道は裁判所に突き当たる。
標識に示す日光とは反対に日光道中はJR宇都宮駅方面に右折する。
宇都宮宿は日光道中随一の賑わいの地、南北2.2km、東西2.1kmに広がり、
本陣2、脇本陣1、問屋場1、旅籠42軒の規模だったと云う。

Navi58. 裁判所前交差点(右折)→<国道119号>→伝馬町交差点   140m 2分 日光道中へ
Navi58. 裁判所前交差点(右折)→<国道119号>→NOF宇都宮ビル 800m 10分 奥州道中へ

Navi59. 伝馬町交差点(左折)→<清住町通り>→松原3丁目交差点 1.6km 20分

 

本陣青木家跡は伝馬町交差点辺りだが、残念ながら何の痕跡も残っていない。
ここは日光道中と奥州道中の追分、日光道中は左折し北上、奥州道中はさらに直進する。
奥州道中方面へ進むと、毛野国の開祖である豊城入彦命を主祭神とする二荒山神社がある。
宇都宮宿が道中随一の賑わいであったのは、二荒山神社の門前町であったからでもある。

小金井宿から石橋宿、雀宮宿を経て宇都宮宿までは、21.3km、5時間10分。
古い遺構も少なくやや退屈な国道歩きであった。首筋の日焼けが痛い。
さて随分遅くなった今日の街道めしは餃子舗宇都宮みんみん。
本店は長蛇の列につき、駅ビルで焼き餃子と水餃子。鉢石(日光)まではあと35.3kmだ。

 
 


観音埼灯台とよこすか海軍カレーと戦艦三笠と 京急本線を完乗!

2017-09-16 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

京急本線の始発駅・泉岳寺、発車時刻の4分前、側線から赤い8両編成が入線してきた。
07:09発の特急浦賀行きは、残念ながらロングシートの車両。こりゃブリーフケースの一番搾りはお預けだ。 

早朝の品川駅。なぜ早いかと云えば、京急本線を直通する特急は平日の朝の2本だけだからだ。
今朝は「ヨコスカ1日満喫きっぷ」を求めて浦賀をめざす。

赤い8両編成は京急本線を1時間と少々で浦賀まで走り抜ける。フェニックスの駅前広場は南国の風景だ。

観音埼灯台は日本最古の洋式灯台、ここが開国の歴史舞台であったことを物語っている。
狭い航路帯をタンカーが行き交い、無数に遊ぶ釣舟が浦賀水道に遊んでいる。
すこし視線を上げると君津のコンビナート、富津岬、鋸山、館山湾、房総半島が手にとれる。意外と近いのだ。  

灯台に上って冷えたビールを呷る。噴き出した汗が乾いた海風に吹かれてひとごこちだ。
時間は秋の雲にあわせてゆっくりと流れている。

観音崎京急ホテルの「SPASSO 」は、東京湾に臨んだアジアンテイストのシーサイドリゾート。
潮の香りと海からの風をうけて浸かる展望露天風呂でリフレッシュ、至福です。 

ひと汗流したら "FREEZING HIGHBALL" これはなかなかいける。冷涼感と爽快感がたまらない。
「レストラン浜木綿」の "よこすか海軍カレー" は、バナナとパイナップルが深みのある味わいを醸し出す一皿。
戦時中、南洋に展開した水兵さんはこんなカレーを食べたのだろうか。 

京急本線は金沢八景を過ぎて三浦半島に入るとトンネルが連続する。小さな谷ごとに駅が設けられている。

帰りはそんな駅のひとつ汐入に途中下車して「どぶ板通り」を歩く。バーでは非番の海兵が飲んでいるね。
バー、アパレルショップ、スカジャンの店、ミリタリーショップなど、横須賀を凝縮した街だ。 

残念ながら「横須賀ビール」は休業、どぶ板通りの延長線上を東に向かうと三笠公園で東京湾にぶつかる。
ここに東郷元帥と「戦艦三笠」に出会う。青空に旭日旗が映える。帰ったら「坂の上の雲」を捲ってみよう。

京浜急行電鉄本線 泉岳寺~浦賀 56.7km 完乗 

横須賀ストーリー / 山口百恵


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch 「北品川 ここから」

2017-09-14 | Biz-Lunch60分1本勝負

 七輪を使ったこだわりの炭火焼がご自慢の「北品川 ここから」です。
ランチタイムは年中 "豚しょうが焼き定食" と "鶏から揚げ定食" の2種類のみ。
でも8席のカウンターと4人掛け2卓はいつもいっぱいなのだ。
適度なサシの豚ロースにしっかり生姜ダレで美味い。定期的に通ってしまう味なのです。

 
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Aleと煮込みライスとヨットハーバーと 京急・逗子線を完乗!

2017-09-12 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

シーパラダイスや大学があるからだろうか、金沢八景の狭い駅前広場は待ち合わせの若者で溢れている。
2番ホームを発着する逗子線は羽田空港へ乗り入れるエアポート急行として運行している。

金沢八景の平潟湾には船宿が並んでいる。どこの宿も午前の沖釣りに船を出してしまって静かなものだ。
京急逗子線はここ金沢八景で本線から分岐して三浦半島を横断して逗子海岸へ抜ける。

三浦半島突っ切る逗子線は金沢八景を出ると、緩やかな上り勾配が続いていく。
六浦駅を過ぎて2つのトンネルを潜ると、下り勾配に転じて神武寺駅に滑り込む。 

終着駅の新逗子駅は単線になっているので電車は慌ただしく折り返して行く。
進行方向、車止めの先へとプラットフォームを歩いて行くとかまぼこ型の南口改札だ。
葉山や鎌倉など海岸方面へと向かうバス停は南口で「葉山女子旅きっぷ」を手にした女性たちが列になっている。
ちょっと照れ臭いので、列から外れて先に一杯やろう。 

構内北側の踏切脇に古民家をリノベーションした「清水橋バル」を見つけた。
なかなか良い感じ、それにランチもやっている。まずは良く冷えたYONA YONA ALEを。

赤ワインとトマトの特製煮込み "バル煮込みライス"、濃厚な煮込みに柔らかい肉が美味しい。
煮込み、炭火焼などオリジナルメニューにも期待できそうだ。でもここまで飲みに来れそうにない。

ALEと煮込みを愉しんでから逗子海岸へ向かった。陽射しはまだ夏のそれだ。
江の島を背景に過ぎ去っていく夏を惜しむように、ウインドサーファーは風を捉え、ヨットは沖へ向かう。
浜辺では若いグループがBBQに興じている。この陽射しも今週末が最後になるだろうか。 

京浜急行電鉄 逗子線 金沢八景~新逗子 5.9km 完乗

思い出のビーチクラブ / 稲垣潤一


お大師さまと門前蕎麦と運河の町と 京急大師線を完乗!

2017-09-10 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

 小田急から時計回りに、京王、西武、東武、京成と呑み潰して、今秋は京浜急行電鉄を潰す。
まずは京急川崎駅の3番ホームから大師線の4両編成に乗車する。

起点から2つ目の鈴木町駅は、さながら味の素川崎工場の玄関のような駅だ。
工場見学も受け付けているので子どもを連れて訪ねてみると楽しいかも知れない。

沿線の中心駅、川崎大師駅前から左手斜めに延びているのが大師参道。
「厄除け」のサブレ、揚げまんぢう、堅焼きせんべい、久寿餅のお店が軒を連ねて仲見世通りが賑やかだ。
特にせき止め飴の老舗菓子店が、トン・トン・トコ・トン、包丁とまな板で奏でる客寄せのリズムが印象的だ。

真言宗智山派の川崎大師は、弘法大師空海を祀って「厄除けのお大師さま」として有名だ。
正月三が日で300万人が訪れると云う。大本堂前には巨大な回向柱が建っている。

明治17年創業と云う老舗蕎麦屋の「松月庵」で門前のそばをいただく。
今日は残暑厳しいので "冷やし山菜めかぶとろろそば" を択ぶ。
もちろん着丼まではキンキンに冷えた生ビールを呷る。満足な休日の午後なのだ。

5つ目の産業道路駅からは単線となって、4両編成の赤い電車は小島新田駅に終着する。
簡素な駅を囲んで数軒の飲み屋が並ぶ。平日の夕方には工員さんたちで賑わうのだろう。
ところで微かに潮の香りがする。駅前の地図を頼りに歩いてみる。
10分ほどで大師運河の最奥部に行き着いた。東京湾まではあと少しだ。

京浜急行電鉄 大師線 京急川崎~小島新田 4.5km 完乗 

<40年前に街で流れたJ-POP>
九月の雨 / 太田裕美 1977


旧東海道・品川宿でBiz-Lunch「鴨料理 呂尚」

2017-09-04 | Biz-Lunch60分1本勝負

 北馬場参道通り商店街で気になっていた店、今日は若草色の暖簾が架かっていた。
「呂尚」は鴨料理の店、敷居が高そうだけど、品書きには1,000円程度のメニューが並ぶ。
これなら許容範囲? "鴨ねぎ炒め" は薄切り鴨とたっぷり白ネギのボリュームある一皿、
しっかりした味付けでやや塩辛い。とっても美味しいんだけれどね。
やはり傍らにビールジョッキがあった方が良いな。次回は日が暮れてからだね。

      
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ノシャップ岬の樺太食堂で "全部のっけ丼" を食す!

2017-09-02 | 日記・エッセイ・コラム

生うに、いくら、カニ、イカ、ホタテ、とびっこ、鮭のフレークと全部のっけて
"樺太丼" は3,456円、食べる価値あります。

ライダーご用達の樺太食堂。
6年前に走ったときは稚内はパスしてしまったので、楽しみにしてきた。

 フライトまで少々稚内周辺を巡っている。雨の予報が見事に外れて嬉しい。
まずはノシャップ岬、風が強い。利尻・礼文が見えるね。

"氷雪の門" に遠く樺太に斃れた先人を慰霊。右手水平線上に宗谷半島が見える。
最後に時間の許すかぎり礼文島の近くへと、海岸線を走ってみた。
3日間、旨い酒と肴に巡りあった "北の旅人(吞み人?)" です。