旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

天正遣欧少年使節が訪れた街 / エヴォラ

2013-06-22 | 旅行記

 ポルトガルのセビーリャからハイウェイで280km。
国境を越えたアレンテージョ地方の中心都市エヴォラは古代ローマ時代からの城壁都市で
月の女神ディアナに捧ぐローマ神殿を持つ。天正遣欧少年使節団が訪れた町でもある。

 古城や教会、王宮を利用したポルトガルの国営高級ホテルであるポサーダ。
ローマ神殿の広場に面した Pousada dos Loios、オレンジのなる中庭を囲む回廊でランチ。

"ソッパ・カンポネーザ" はジャガイモ、玉ネギ、ニンジンを煮込んだスープ。
メインの "バカリャウ・ア・モステイロ・デ・ティバエス" は青菜のソテー、ほぐした干しダラ、
トウモロコシパンを3層にした一皿。いずれも郷土料理だ。(写真は失敗してしまった)

 60年の年月を費やし1204年に完成したカテドラル、その塔は左右非対称だ。

“神秘のバラ”、“明けの明星” と呼ばれるステンドグラス、伊藤マンショと千々石ミゲルが
演奏したパイプオルガンが残る。

 1510年に建てられたサン・フランシスコ教会はゴシック様式だ。隣接して5000体以上の
人骨が壁や天井を覆い尽くす人骨堂がある。修道僧が瞑想に使った場所だそうだ。

 城壁都市のエヴォラには石畳の狭い路地が多く、迷い込んでしまいそうな錯覚に陥る。
広い通りには街路樹の “ジャカランダ” が季節外れに薄紫のキレイな花を付けていた。
この春先は天候不順だったそうだが、幸運にもこの大好きな花を見ることができた。
バスはエヴォラの城壁を潜り、最終目的地のリスボンへと向かう。


大航海時代の華麗なる都 / セビーリャ

2013-06-21 | 旅行記

 「カルメン」や「セビーリャの理髪師」の舞台セビーリャはアンダルシア州の州都。
大航海時代は河川港として栄え、伊達政宗が送った慶長遣欧使節の支倉常長も滞在した。
柱廊のある半円形の建物と水路・噴水からなる「スペイン広場」はセビーリャの象徴で、
1929年の博覧会場として建てられた。
数々の名画のロケ地としても使われ、有名なところでは「カサブランカ」に登場する。

一方、世界遺産「アルカサル」は11世紀までのイスラム時代のカリフの宮殿跡地に
キリスト教王の宮殿を建造したもので、歴代の王たちによって増改築が繰り返された。
写真は1366年建造のペドロ1世宮殿のファザード。

ペドロ1世宮殿の乙女の中庭を取り囲む建物は執務室や私室からなる。
1階は漆喰装飾の14世紀のムデハル様式、2階は16世紀に増築されたルネサンス様式だ。

アルフォンソ10世が建てたゴシック宮殿は、キリスト教王によるゴシック様式であり、
イスラム色は完全に排除されている。

グアダルキビール川畔に建つ12角形の塔、黄金の塔(海洋博物館)は海運で栄えた時代に
検問及び防衛の役割を担っていた。
今回は夕陽に映える黄金の塔をレストラン ABADES TRIANA の席から眺めることになる。

つい先日皇太子殿下が訪れたという(支配人談)川側が総ガラス張りの洒落たレストラン。
メインはリゾットにステーキとイベリコの生ハムを載せた逸品だった。
大切なひととウエイティングバーから楽しみたい素敵なレストランであった。


イスラムとカトリック美の競演 / コルドバ

2013-06-20 | 旅行記

 アトーチャ駅09:00発、AVE2090でアンダルシアへ向かう。
荷物置き場にスーツケースを収め、Preferente の革張りシートに自分の座席を見つる頃、
セビーリャ行きはごく軽い振動を残してプラットフォームを静かに滑り出す。
列車は市街地を抜けるとスピードを上げ、窓の景色が猛烈なスピードで流れはじめる。

Preferente は横3列の座席配置、国際線エコノミークラス程度のミールサービスがある。
中間車両は動力車になっていないので極めて静かで快適な乗り心地だ。
コルドバまでは所要1時間50分、向日葵畑を見ながら果てしない丘陵地帯を往く。

カラオーラの塔をくぐり、グアダルキビル川をローマ橋で渡るとコルドバの町に入る。
8世紀に後ウマイヤ朝(西カリフ帝国)の首都として栄えた古都コルドバでは、
栄華を謳歌したイスラム時代の遺構を見ることができる。

世界遺産メスキータは785年、アブデラマン1世によって建てられた世界最大級のモスク。
キリスト教徒の国土回復後、カルロス5世によって再びカテドラルに改造されるのだが、
モスクの遺構が一部残され、イスラムとカトリックの美が競演している。

     
     

イスラム教徒が祈りを捧げる「ミフラーブ」は、メッカに向けて祭壇が立てられている。
神聖な祈りの空間は、壁を金色のモザイクで飾りイスラム聖典コーランの一部が刻まれ、
天井部分は美しい幾何学模様の装飾が施されている。

     

キリスト教徒によって造られた「マヨール礼拝堂」はミフラーブと向かい合う形になる。
完成に250年を費やした関係で、ルネッサンス様式、ゴシック様式などが混合している。

     

日時計となるステンドグラスの彩が床に光を落とす。これほどキレイに映るのは珍しい。
イスラムとカトリックの奇妙にも美しい共演を見せてもらったメスキータだ。

メスキータの北側には旧ユダヤ人街、迷路のように道が入り組んで広がっている。
美しい花の小鉢が飾られた白壁の街並みは、路地ごとに様相を変えるステキな散歩道だ。


文化と芸術が花開く首都 / マドリッド

2013-06-18 | 旅行記

 バルセロナからスペイン新幹線AVEで2時間45分、マドリード・アトーチャ駅に到着する。
最高時速300km走行だが、揺れも走行音も気にならない快適な乗り心地だった。

スペイン王宮は1764年、フェリペ5世によって、ハプスブルク王家宮殿跡に再建された。
フランスとイタリアの建築様式を融合させた建物だ。

王宮の向かいに建つ壮麗なカテドラルはアルムデナ大聖堂。

     
緑豊かなスペイン広場、中央にはセルバンテス没後300年記念の彫像が、
ドン・キホーテとサンチョ・パンサの銅像を見下ろすように立っている。


 お馴染みパエリャはバレンシア生まれの伝統的家庭料理。
その名も Casa de Valencia で、 "パエリャ・デ・マリスコス" と "アロス・ネグロ" を食す。

 スペイン王家の300点ものコレクションを誇るプラド美術館は、欧州でも屈指の美術館。
今回はゴヤ、ベラスケス、エル・グレコの作品を中心に鑑賞した。
「着衣のマハ」「裸のマハ」と並んだマハとは、国立西洋美術館以来1年半ぶりの再会。
「カルロス4世の家族」「1803年5月3日の銃殺」「我が子を喰らうサトゥルノ」など、
ゴヤの主な作品は幸運にも全て在館していた。
ベラスケスの「女官たち」エル・グレコの「胸に手を置く騎士」「聖三位一体」とともに
鑑賞を楽しめた。詳細かつ興味深い解説をしていただいたガイドの河田氏に感謝。

 1956年創業の格式あるタブラオ Corral de la Morería のディナーショーに出掛けた。
情熱的な歌声、激しく美しい踊り、繊細なギターの音色、本場フラメンコショーを楽む。
著名人も訪れるこのタブラオ、さすがに主役級の踊り手の迫力たるや圧倒される。
とはいえ先に登場したキャサリン・ゼタ=ジョーンズ似の踊り子に魅了されたのが本音だ。


カタルーニャの都 / バルセロナ

2013-06-17 | 旅行記

 空港から市街にむかう道路が混雑していた。
気温30℃を超えた日曜日、ビーチに繰り出した人々の帰宅の車列だと言う。
バルセロナはガイドブックの謳い文句の通り青い海と輝く太陽の街だった。

バルセロナが生んだ天才芸術家アントニオ・ガウディの代表作サグラダ・ファミリア、
地から這い出たような8本の鐘塔が迫力だ。
生誕のファザードはガウディ自ら指揮をして最初に完成させた部分だそうだ。
「聖母マリアの戴冠」「受胎告知」などキリスト誕生に関わる彫刻で飾られている。
聖堂内部は十字架の形をしている。
天井を支えるのは木が枝分かれしたような36本の柱、全体を森に見立てているそうだ。

ガウディとパトロンのグエルが開発した田園住宅街はグエル公園として開放されている。

カラフルな破砕タイルで飾られた公園のシンボル「ドラゴン」は人気の撮影スポットだ。
高台にある公園からはバルセロナの街と地中海の水平線が一望できる。

カタルーニャ広場から南へ延びるランブランス通りは並木が木陰をつくる素敵な散歩道。

通りが地中海の達するポルタル・デ・ラ・パウ広場にはコロンブスの塔が建っている。

 サン・ジョセップ市場は新鮮な野菜・果物、肉類、魚介類が並ぶ市民の台所。
午後になっても活気のある市場を巡ったら場内のバルでセルベッサを一杯。


 滞在したのはバルセロ・ホテル・サンツ、新幹線の始発であるサンツ駅上に建つ。
旧市街からは離れていて散策には不便だが近代的な設備でビジネスには申し分ない。
ロビーやエレーベーターホールは宇宙船を表現した前衛的なインテリアになっていた。
ここからイベリア半島の旅が始まる。


「ロイヤルストリート」ジャズの故郷 ニューオーリンズへ3 

2011-05-21 | 旅行記

 ロイヤルストリートは、アンティークや有名レストランが並ぶ落ち着いた賑わい。
週末の午後、通りから車が締め出されるとストリートミュージシャンたちが現れる。
この日は黒人の夫婦がサイデコのパフォーマンスをしていた。

通りには、スペイン風のパティオを持った邸宅がたくさんある。
この日でかけたレストラン “Court of the Two Sisters” もそんな邸宅を利用したもの。

日中の熱気が嘘のような爽やかなパティオでクレオール料理をいただく。
クレオール料理とは植民地時代の支配階層の料理。
ルウやスパイスをたっぷり使った都会的な洗練された味を指すそうだ。

 

たっぷりのスパイスソースがかかったシュリンプのサラダ、白ワインが進む。
メインはメキシコ湾のタラのアーモンドソース添え。(食べかけのでごめんなさい)
デザートは、バニラアイスをシューで包みチョコレートソースをかけたプロフィトール。
ジャズの生演奏をBGMにご機嫌なディナーなのだ。

 

 

Imagine / John Lennon 1971


「バーボンストリート」ジャズの故郷 ニューオーリンズへ2 

2011-05-20 | 旅行記

 緑の市電 “セントチャールズ・ストリートカー” は世界最古の路面電車だ。
1835年から走るノスタルジックな市電の乗ってバーボンストリートを訪ねる。
この名前はフランス貴族のブルボン家に由来する。バーボンウイスキーではない。

 バーボンストリートはなんとも猥雑な界隈だ。
レストラン、ライブハウス、キャバレー、ストリップ、スーベニアショップ等が混在する。
なんだか良くわからない混沌が支配する通りは、日が暮れると人々が溢れてくる。
客引きのお兄さんを躱しつつ、踊り子の女の子の脚線美に視線を流しつつ歩くのだ。
聞こえてくるジャズ、ブルース、ロックがごっちゃ混ぜ。なんともハッピーな街だ。

 デキシーランドを聞かせてくれるクラブ “Maison Bourbon” をのぞいた。
開けっ放しの窓からトランペットが溢れてくる。テーブルチャージなしの1ドリンクでOK。
クラブをはしごしてお気に入りの店を探すのも愉しい。

 

Another Day / Paul McCartney 1971

 


「ジャクソンズスクエア」ジャズの故郷 ニューオーリンズへ

2011-05-19 | 旅行記

 ニューオリンズはご存知「ジャズの故郷」だ。
世界屈指のカーニバル「熱狂の祭典マルディグラ」が有名だね。
コーチには “トランペット”、カーニバルの “マスク” と “ビーズネックレス” が描かれる。

 観光の見所はフレンチクオーター。
狭い路地に19世紀の街並みが残る南欧風の旧市街、他の都市とは全く異質な空間だ。
7代大統領の名を冠した「ジャクソン広場」はフレンチクオーターの中心。
後ろにはセントルイス大聖堂がそびえ、観光馬車が並ぶ観光の出発点になる。

広場近くの Cafe du Monde は150年ほど続くカフェオレとベニエが有名。
メニューはこれしかないお店ですが、この日も多くの人が列をつくっていた。

 

もともとは先住民の交易所であった French Market。
200年以上の歴史を持つアメリカでも最も旧いマーケットだと云う。
野菜、果物、チーズ、スパイス、肉、魚を扱ったファーマーズマーケットが楽しい。

 広場の近くから発着する蒸気船 Natchez でミシシッピ川クルーズを楽しむ。
かつてはたくさんの蒸気船が、綿花や穀物を積んで行き交った。
夏のきつい日差しに手をかざして眺めるミシシッピ川は、溢れだしそうな豊かな水量。
ニューオリンズを大きく蛇行しながら、170km先のメキシコ湾をめざす。

Mercy Mercy Me / Marvin Gaye 1971


ヒューストンに途中降機「NASAジョンソン宇宙センター」へ

2011-05-18 | 旅行記

 ニューオリンズ出張の途上、コンチネンタル航空のハブ、ヒューストンに途中降機。
NASAジョンソン宇宙センターを訪ねてみた。

メインホールはどちらかと言えば子供むけアトラクションが主役。
「月の石」をはじめとした博物館的展示は脇に追いやられているなんとも不思議。
トラムツアーはスペースシャトルの研究棟を見学できる。

アリーナのような建屋に最後のミッションを控えるエンデバー号がパーツごとに並ぶ。
カジュアルな恰好のエンジニアが働いてる。とにかくシャトルの大きさには圧倒される。

 シャトル研究棟の後はサターンロケットの展示棟へ。
未使用の1~3段目のロケットに、帰還した月面着陸船を取り付けて展示している。
こちらもとにかく大きい、とはいえ1970年代の代物、ちっとも精密な感じがしない。
よくこれで月面に到達したなというのが率直なところだ。

Rainy Days And Mondays / Carpenters 1971