旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

中山道紀行17 塩名田宿~八幡宿~望月宿~芦田宿

2012-10-20 | 中山道紀行

「塩名田宿」 08:10
 気温6度は快晴にもかかわらず千曲川の上だけを深い霧に包んでいる。

塩名田宿は千曲川の渡しで栄えた宿場。
川面に舟を並べて桁とし板を渡して橋としていたそうで、舟つなぎ石が残っている。

霧の中津橋、数100mほど下流の新幹線の橋梁から、疾走する車両の音が聞こえてくる。

対岸にの少々きつい勾配で河岸段丘を上ると、ほどなく霧を抜け快晴の秋空が広がる。
右手後方には稲刈りの終わった風景の中、浅間山が雄大な姿を見せている。

「八幡宿」 09:05
 河岸段丘を上りきると御馬寄一里塚、残念ながら道路脇に案内の杭があるのみだ。

千曲川に流れ込む支流へと下っていくと右手に八幡神社。ここからが八幡宿となる。
八幡宿には昔の面影は殆どないが、本陣を継ぐ御宅が屋敷の端に門を残している。

八幡を出ると中山道は一旦R142と合流する。目の前の低い山の連なりを越えると望月宿。
R142は新望月トンネルで抜けるが、旧道は百沢集落から右手に分れて山を上っていく。
ほどなく右手に祝言道祖神、サルビアに囲まれて一層可愛らしい。

瓜生坂一里塚を過ぎると山道のピーク、念仏百万遍塔がある。

町道を外れ瓜生坂を下る。結構きつい。坂を下り切ると石仏群を見ることができる。

「望月宿」 10:10
 鹿曲川を渡ると望月宿、宿場情緒溢れる町。まず目に入るのは旅籠山城屋。

向かいの井出野屋旅館は大正時代の建物だが雰囲気充分。
「犬神家の一族」や木村拓哉の「君を忘れない」の撮影が行われたそうだ。

さらに進むと重文真山家が大和屋の看板を揚げ、並びに鷹野家脇本陣が軒を連ねる。

情緒溢れる望月宿だがその経営は厳しかったようだ。
天保年間には旅籠9軒にまで減り、その窮状を訴えたと歴史民俗資料館の展示にある。

西の外れに鎮座する大伴神社で望月宿を後にする。

「茂田井間の宿」 11:30
 緩やかに丘を越えて茂田井間の宿、正式な宿場ではなく休息所の機能を果たした。
神明社から茂田井の集落に入ると、水路を巡らした町並が江戸の風情を感じさせる。

茂田井には二軒の酒蔵がある。「御園竹」の武重本家酒造は有形文化財。
若山牧水は大正年間にこの地で酒を愛飲し歌を詠んだそうだ。
もう一軒「かたりべ」の大澤酒造、立派な杉玉は茶色に枯れて新酒の熟成を伝えている。

「芦田宿」 12:20
 芦田川を渡りコスモスが揺れる緩やかな登坂を左にカーブしながら進むと芦田宿。

宿場のほぼ中央に旧本陣土屋家住宅が公開されている。
寛政年間に建て替えられた旧本陣は建坪160坪余、京風な造りの上段の間が立派だ。

向側には脇本陣が2軒ならび、その先には味噌・醤油の酢屋茂が旧い家並を残す。
さらに先の金丸土屋旅館は旅籠そのままに泊まれる旅館として人気らしい。
塩名田宿から千曲川を渡り、八幡宿、望月宿を経て芦田宿までは11.3km。
日本晴れの一日、浅間山や蓼科山を望んで歩く約4時間の行程となった。



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