太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

わかる、わかるよ!

2024-01-04 08:30:35 | 日記
クリスマスの翌日に、ジュディスの家に遊びに行った。
互いのクリスマスの報告などをしていたら、ふとジュディスが、

「いまだにココ(ハワイ)がホーム、という実感がしないのよね」

と言った。
ジュディスはイギリスで生まれて育ち、大人になってからはカナダやアメリカ本土にも住み、ハワイに来て20年近くになる。
今のダンナさんのトニーとは40過ぎてからの再婚で、お互いの子供たちはとっくに独立しており、二人で悠々自適に暮らしている。

「どした?何があった?」

「今さらって感じではあるんだけど、クリスマスといっても韓国料理や日本料理ばっかりでさ・・私もそういう料理は好きなんだけど・・・」

トニーは韓国人である。
トニーの兄弟など家族といえば、これまた韓国人とその連れ合いになるわけで、どうしてもそっちに合わせたメニューになるのだろう。

「七面鳥を焼いて、フルーツケーキがあって、そういうクリスマスが無性に懐かしくなるのよ。フルーツケーキって、知ってる?たっぷりドライフルーツと洋酒が入っていて、重いケーキ。アメリカ人はよくこのケーキのことをからかったりするけど、私にとっては母の味なの」

イギリスのフルーツケーキは昔、料理教室に通っていたときに(驚くなかれ、この私にもそういう時期があった)作ったことがあった。これでもかとドライフルーツと洋酒が入った、ずっしりとしたケーキで、常温で何日も保存できる。イギリスでは、クリスマスの前にそれを焼き、毎日少しずつ切り分けて食べるのだそうだ。

私は思わずジュディスの手を握った。

「わかる!わかるよ!」

じゃあ、韓国料理に交じって七面鳥を焼いてフルーツケーキを作ればいいじゃん、ということではないのだ。
イギリスのクリスマスの、ピンと張りつめた冷たい空気や、のどかな田舎の風景や、家中に広がる料理の香りや、ラジオから流れるクリスマスの歌や、フルーツケーキを切り分ける母親の手元や、オーブンを開けたときの七面鳥の香ばしい匂いといったものすべてが揃って初めて、それがジュディスのクリスマスなのだ。


それは私とて同じ。
大晦日の年越しそばや、新年のおせち料理をハワイでやってみたところで、それは取ってつけたようなものであって、日本のお正月にはなり得ない。
大きなお餅をテーブルの上に置いて、父がそれを切り分けるのを眺めたり、おせち料理の用意をしながら、元旦に集まる親戚のための料理をこしらえ、紅白歌合戦を観て、年越しそばを食べ、『ゆく年くる年』の始まりとともに厚着をして初詣に出かけ、元旦だけは朝風呂があって、家族が揃ってお神酒を飲む。
駅伝を見ながら、親戚たちがにぎやかに飲み食いし、そのうち酔っぱらった叔父が畳に寝転がり、叔母に急き立てられて帰っていく。
外はまるっきりの快晴で、日差しは温かく、窓からは雪をかぶった富士山が見える。
それらすべてが揃って、初めて私が恋しいと思うお正月になるのである。


少なくとも、イギリスに行かねばジュディスのクリスマスは味わえないし、日本に行かねば私のお正月は味わえない。
たとえそうしたとしても、親はいなくなり、当然ながら思い出どおりにはいかないにしても。

「田舎の風景が、懐かしくって」

ジュディスが懐かしいのは田舎の風景じゃなくて、そこにあるものなんだよ。

「私はトニーが死んでも、たぶんこのままハワイにいるんだと思う。今まで住んだどこよりも、ハワイは好きだけれど、クリスマスだけは、イギリスが恋しくなるよ。これは年をとったからなのかな」

そうかもしれない。
ハワイでの暮らしは、私たちにとってニュー ノーマル。
帰省すると里心がついてしまうが、こちらに戻れば、痛みが引くように里心は消えて、現実の生活を楽しめる。
けれど、何かの折に、しまい込んでいた思いが吹き出してくる。それがジュディスにはクリスマスであり、私にはお正月なのだろう。

こうして分かち合える相手がいて、よかった。
ジュディスのふるさとに、いつか行こう。
そしてジュディスの心の中にある風景を、この目で見よう。



年末に切り餅を買った。
食事時になると夫が、
「お餅食べたら?きなこ、ある?トースター、出そうか?」
と言う。
お餅は、私にはおかずとともに主食として食べるというものでもない。夫なりの、私への思いやりなのだろうと、気持ちだけありがたくもらっておく。
そして、日本に住んでいた時、夫はついぞハワイを懐かしむことはなかったなと気づく。
アメリカ人にとって最大イベントのクリスマスを、夫は生まれた時から盛大に祝う家庭環境にいたのに、私やジュディスのような情熱をもって、記憶を反芻することはない。
クリスマスのあと、飾りを取り外したモミの樹を庭で裁断しながら

「毎年毎年、たった数週間のために、わざわざカナダから生きたモミの樹を伐採して運んでくるなんて・・・」

とブツブツ言っていた。
ツリーにするために、いったいどれだけのモミの樹が切られているのかと、私も心を痛めていた。モミの樹が庭にあるような地域ならまだしも、あんなもの、プラスチックを繰り返し使えばいいんだ。ここはハワイなんだから。
義両親がいなくなったら、絶対にモミの樹は買わない。

義両親のイベント熱に、私はいまだに戸惑う。そして戸惑う私の隣で、その彼らに育てられた夫もまた、どうでもいいような顔をしているのはどうしたことか。とにかく、イベントや食べ物に淡泊な夫で、私が助かっているのは事実である。