太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

聞かないのは

2024-01-09 09:55:22 | 日記
韓国人の友人が、夫は何人で仕事をしているのか、と聞いてきた。
友人は、夫の仕事の遍歴あれやこれやを知っており、かつ、夫のファン(?)なので、気にかけてくれているのだ。

「知らない」

と私が言うと、驚いたように言った。

「え、仕事の話、しないの」

「仕事内容のことは話すかなあ。どこで何をやってる、みたいなこと」

「どんな同僚がいるかとか」

「今日同僚がこんなだった、なんてことは言うけど、それに対しては『ふーん、そうなんだー』で終わりで、それ以上聞かないからわからない」

「なんで?」

「なんでって・・そういうこと、知りたいの?」

「ていうか、知っておきたいと思わない?」

「思わない」


私は、変だろうか。


聞かないのは、興味がないというよりは、余計なことを知りたくないからだと自分でわかっている。

この13年、夫が仕事を辞めるたびに私は心をすり減らしてきた。
どうしても無理だと思う環境に、無理を押し通して居続けて、健康を損なうのでは元も子もない。特に夫はウツの持病があるから、なおさらだ。
本心からそう思うのだけれど、

「ダメなら無理しないで次行こう!」

とあっけらかんと言えるほどの懐の深さが、私にはない。
転職の結果、『今の職種が今までで1番好き!』と本人が言う仕事に辿り着いてもなお、私は転職を恐れている。夫の転職には慣れても、それは平気になったのとは違うのだ。

夫が、いい気分で働いてくれてたら、それでいい。
同僚が何人いて、誰がどうだろうがどうでもいいことだ。
うっかりほじくって、不安の種を掘り出してしまうのが嫌だというのが本音。
不都合なことを知ったところで、私にはどうすることもできないのだし、
辞めたいと思ってるんじゃないか、とヒヤヒヤする時間は短いほうがいい、絶対に。

「まあ、そういう気もちもわからなくはないけど」

前の結婚で、私はすべての臭い物に蓋をしつづけて失敗したが、これはそれとは全然違うよね?と自分に問いかけてみる。
違うと思う。
あの頃は、私は相手を知ることすら放棄していたのだから。
今は、夫という人を知り、起きて来ることを受け入れる覚悟がある上で、自分の居心地の良い立ち位置を探しているだけ。

「でも、そういう人は少ないと思うよ」

そうなんだろうか。



エアプランツに、花が咲いた。
エアプランツに花が咲くなんて知らなかった。
蘭のような、きれいな花。

今夜は、かぼちゃのコロッケを作ろう。
私は、私が楽しいと思うことだけを探していこう。