太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

失礼上等

2024-03-29 06:45:41 | 日記
日本の若者の間では、LINEなどで句読点を使うのは感じが悪いことなのだという。
それを教えてくれたのは日本の友人で、私はその意味がよくわからなかった。

「どういうこと?」

「だからー、句読点を使うと形式的というか、怒ってるという意味なんだらしいよ」

そう言われても、まだ理解できないのだが、感じが悪いのは句点(。)のほうで、読点(、)ではない模様。

ふと思い当たったことがある。
昨年9月に、甥がハワイに一人でやってきたことがあるのだが、甥とLINEのやり取りをしたとき、甥からのLINEのすべてに「!」がついていた。
「!」は本来、驚いたとか、感動したとか、感情を強く表現したいときに使うものなのに、普通の文章にも「!」がつくのだ。
たとえば、

『義両親が空港に迎えに行くから、どんな服を着て来るか教えて』
『まだ決めてないけど!なにがいいですかね!』
『わかりやすいやつ』
『柔道着とかどうですか!なんちゃって!』

『明日だよね、気を付けておいで』
『はい!9時頃つきます!楽しみです!眠れません!』

軍隊か、と思うような文章で、とても不思議だったのを思い出す。
それを言うと友人が、

「そうそう、それだよ。あたしらみたいに句読点使うと失礼な感じするんだってさ」

いまだにまったくもって理解不能。
親しい間柄で、「わかったよ」と言うところを「わかりました」と丁寧語にすると、ちょっと怒っているような、よそよそしさを感じるというのはわかるけど、「わかったよ」を「わかったよ。」も同じということなんだろうか。



言葉は時代とともに揺れて、使われ方が変わったり、新しい言い回しが生まれたり、または淘汰されてしまうもの。
30年ぐらい前に、「なにげに」と言う言葉が使われだしたとき、とても抵抗があった。
「全然」のあとに否定ではなく、肯定が続くのも、同じ。
「全然、オッケー」などと誰かが言うのを聞くと、耳がザラザラした。
なにげに、も、全然、も、慣れというか諦めというか、私は使わないが聞き流せるようになっていく。

そしてこれは言葉の揺れではなく、私個人の意見かもしれないが、’何かを聞かれたときに「大丈夫です」と答えることにかすかな違和感がある。
たとえば職場で会計時に、日本人に「袋は要りますか」と聞き、不要なときに「大丈夫です」と言う。
「(袋がなくても)大丈夫」という意味なのは承知なのだけれど、そういうときは「けっこうです」と言うのではないか。
ガイジンである夫ですら、コンビニで袋について聞かれたとき、
「ケッコウデス」
と言っている。
美容院でシャンプーしているとき、「お湯加減はいかがですか」と聞かれると、私は「ちょうどいいです」と言うようにしている。


しかし、句読点は話は別だ。
失礼上等、私はこれからも句読点を思い切り使ってはばからない所存である。




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