太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

脱・自虐のフリ

2019-06-16 12:31:41 | 日記
まったく心にもないことを言って、
それを聞いた相手から、打ち消してもらって安心する。
なんでそんな、しちめんどくさいことをまだやっているのか、私。

「私、もうトシだから」
ぜーんぜんそう思ってないのに、そう言う。
「そんなことないよ、シロは若いよ」
と相手が言って、安心する。
そこでもし、相手が私に同意したら、ものすごく傷つく。
昔、前の結婚相手に、
「私、わがままだから」
と言ったら、すかさず
「そうだね」
と言われて、耳から湯気が出るほど頭にきたことがある。
わがままなのはアンタなのに、勘違いもはなはだしい。
こんな意味のない自虐はもうやめたいと思っているのに
折に触れ、まだそんなことをやっている自分がいる。
この自虐は、私個人のひねくれた性格からくるものなのか、
日本人の謙遜文化からくるものなのか・・・・

アメリカ人の多くは、自分や他人を褒めることも、褒められることも上手だ。
私などはつい、持っているものや服を褒められると
「これ、古いのよぅ」
とか
「安かったの」
なんて言わでもがなのことを言ってしまうことが多い。

 
以前、夫の叔母が、一緒に仕事をした日本人男性の奥さんを褒めたら
「いやー、ぜんぜん片付けもできないし、足も臭いしー」
と言ったといって驚いていたことがあった。
「あの夫婦、大丈夫かしら」
それは日本人の、謙遜したほうが良くみられるという文化というか心理だ
と説明すると、ますます不思議な顔をした。

「つまらないものですが」と言って、ものをあげるんだよと言うと
「なんでつまらないものを人にあげるのよ?」と目をむいた。
「だからー、つまらないものじゃないんだけど、そう言って謙遜するんだよ。
もらったほうもつまらないものをくれたとは思ってないわけ」
「いいものだから人にあげるんだし、いいものだからくれるのだろうと
わかってるのに?」
「まあ、そうだよね」
「ふっしぎーーー」
食べ物をあげるのに、「お口汚し」とか、自分の出版物などは
「お目汚し」とか言うなんてことは、叔母には言えなかった。
口や目が汚れるようなものを、人にあげるんじゃない、と呆れるに決まってる。


アメリカ人に対して、配偶者や子供のことを褒めると
「ボクにはもったいないぐらいの妻だよ」
「そう、彼ってほんとに優しいの」
と嬉しそうに言う。
日本の土地で、日本人同士であったら
「なにこのひと!!嘘くさー」
と思われかねないところだが、慣れてみると、これがなかなか心地よい。
だから私も、持ち物を褒められたらアメリカ人のように
「まあ、ありがとう!」
とあっさり言うように心がけているし、
身内を褒められたら、素直に認めることにしている。
人にものをあげるときも、アメリカ人のように
「これ、すごく美味しいから食べて」
「すごくいいもの見つけたよ、きっと気に入ると思うよ」
と前向きなことを言って渡す。

それにもかかわらず、
私はまだ、相手が日本人であった場合にはなおさら、時に謙遜したくなる。
謙遜は、日本の良い文化とわかっていて、
形式だけの謙遜からは卒業したいと思っているのである。


 




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