( 牧野植物園 すっかり春が来たかんじです。こんこん山ガーデン )
今回のコロナ危機を 戦争に例える人もいる。全世界450万人以上が感染し 30万以上の方が亡くなっている。世界の
全ての国 約200ヶ国に及んでいることでも 『 第三次世界大戦 』 と言っていいのかも知れない。ただ相手が国
ではなく ウイルスという見えない敵であり 生態系の中での争いである。これに使われる国家予算も遙かに前の戦争を
上回るだろうし 第一次大戦後に起こった 大恐慌以上の経済損失だと思う。人生の晩年になって こんな困難に遭遇
しようとは 思ってもみなかった・・・。
戦争当時 青年達は 何時 『 赤紙 』が来るかも知れないと恐れた。戦場に行くことは 死ぬことと同じ意味だから。
今コロナに感染することは ある意味 赤紙を貰ったようなもので 皆が感染を恐れるのも志村けんさんや 岡江久美子さん
のように あっという間に亡くなるのを恐れるからだ。最近は外交官だった岡本行夫さんが やはり突然亡くなられた。
発表が遅れたのは 周囲への配慮だったかも・・。
『 新しい生活様式 』の発表は 長丁場に備えて コロナにかからない(負けない)生活を専門家会議が提案された。
それらは今までやってきたことで さしたる新しさは無いものの 人と離れる マスクを着用手洗いの励行などを基本に
移動制限 働き方 買い物 食事 娯楽 スポーツ 冠婚葬祭まで広い範囲に及んでいる。これらを総合すると 私たちの
生活の多くの場面を 制限することになる。
高知新聞の投書欄に 87歳の高齢者の方が 『 戦時下のような閉塞感を持ちながら 市民は頑張っている。』と言った上で
この『 新しい生活様式 』は理解に苦しむという。自粛は必要だが これを生活様式にしてはいけない。何故なら 人間と
人間社会の原理に反する日常の固定だから・・・。今回の方針は 『 動くな・集まるな・喋るな 』 ということで 私たちの
求めているものではない。『 緊急避難生活 』 は過渡期の取り組みであって 私たちが長く続ける生活様式とは違う という
趣旨だ。
少なくともこの秋 冬のコロナの流行は覚悟するように 専門家は言っている。その上での 新しい生活様式である。個人の自由
権利を拘束するものであることは間違いない。 これをこれからの時代の 当たり前の生活様式(新習慣) にしていいのだろう
か? ドイツのメルケル首相も 『 私たちが歴史的に得て来た権利を 一時期だけ制限する そのことをしっかり分かった上で
行う。』 と言っていた。 そこははき違えてはいけない・・・。
この投書は 自分・他人の権利を自覚し尊重し 監視社会を助長する相互監視もどきに走らないよう求めている。 新し物好きの
日本人であるが こんな社会の新しさを撒き散らさないでほしいと結んでいる。 私も一理あると思います。この対コロナ戦争が
短く終わるものなら 短期の制限はやむを得ないだろう。ヨーロッパ式のロックダウン(国家 都市封鎖)も罰則付きでも受け
容れられた。しかしここは長期の戦いと専門家会議は言っている。SARS(サーズ )は1年以内に収束したが スペイン風邪は
3年 中世のペストは 70年の間 何回も襲ったという。昔見た手塚治虫の漫画に 人々が日常ガスマスクを付けて生活したのを
思い出す。そんなのが現実化しそうな感じさえする。マスクの次はフエースシールドを付けるのが 当たり前になるかも知れ
ない・・。 透明ビニール越しに会話をする これは『 笑い話 』 にしないといけない。
コロナ危機のドサクサに 政府は『 検察庁改正法案』 を通過させようとしている。まさに火事場泥棒的行為だ。国難に国民が
必死に立ち向かっている状況なのに 政府はそれとは別の思惑で動いている としか思えない。これで国民を代表するリーダーと
言えるのだろうか? 余程各自治体のリーダーの方が真剣であり 好感度が上がっている。 世論調査で 自民党政府の支持が
激減するのも やむなし・・と思われる。
ニュージーランドで見て以来 このルピナスが好きになりました。
箱根空木(はこねうつぎ)です。 二色がきれいです。
まるばうつぎ といいます。
おにつくばねうつぎ と言います。 植物園ならではです。
糊空木です。 アジサイに似ていますが・・。
ひなげし
ニゲラ 葉っぱは糸状。
黄海老根(きえびね) よしずというのか 囲いの中で育てられています。
ミスト(霧吹き)が時々 流れます。
姫檜扇( ひめひぽうぎ) 白地に赤ですが 色々なパターンがあります。
白地一色の 姫檜扇。
牧野植物園のある五台山は 山なので 竹藪もあり 竹の子もでます。
五台山の展望台から見る 浦戸湾。