丹後半島間人(タイザ)近くにあった立岩(タテイワ)遠景です。
最初に遠景で観たせいか、私の頭の中にあった立岩より小さく感じました。
立岩はマグマが冷えて固まった柱状節理の大きな岩の塊です。
2014-3-12のブログで紹介した、五島列島椛島の鷹ノ巣がんぎの写真ですが、こっちのほうが迫力あったと思いますが、ここは普通の観光旅行では行けない場所なので、返す返すも残念です。
砂浜を歩いて立岩に近づき見上げると、それなりの迫力はありますし、ベタ凪の日本海の海の色もきれいでした。
第31代用明天皇の第3皇子麻呂子親王(マロコ)が、この地で鬼退治をして、退治した鬼をこの岩に封じ込めたので、今でも岩の中から鬼の号泣する声が聞こえてくるそうですが、その日は風も波もないので聞こえませんでした。
奈留島の洞窟が鳴る話を思い出します。
異母兄(異母と言っても異母同士も蘇我氏の姉妹)である第31代用明天皇(父は第29代欽明天皇)の皇后穴穂部間人皇女(アナホベノハシヒトノヒメミコ)とその子聖徳太子の母子像も、この海岸に立っていました。
その頃の天皇家の無茶苦茶血が濃い結婚で生まれたのに、聖徳太子(兄妹の子に近い)は賢かったんですね、というか血が濃かったので極端だったのか。
蘇我氏と物部氏の争いから逃れてこの地に居た穴穂部間人皇女は、都に帰るときに世話になったこの地に、自分の名前の間人(ハシヒト)を贈ったそうですが、村人たちは畏れ多いと、皇后が退座(タイザ)したということにして、間人をタイザと読んだそうです。
その間人の漁港を見下ろす旅館にわらじを脱ぎ、明るいうちから誰もいない露天風呂に一人つかって、ぼーっと海を眺めていました。
夕食のお刺身盛り合わせが旅の目的の一つでしたが、野菜多すぎと思いました。
でもこの野菜が美味しかったですよ。
旅の朝食はいつも2~3杯食べるのですが、もう歳ですね、茶碗にこれだけで終わりました。
接客係が男性で、この人が優しく良かったので、この人がいる間ならもう一度行きたい旅館でした。
帰りは天橋立の小型版である小天橋によって、その久美浜湾を見ながらこれを食べたぐらいで、豊岡にも少し寄って帰りました。
一度行くと、また行きたくなるのは、映画と旅行ですね。
野菜というか、カイワレ、多いですね。笑
そこは、間人のどこなんでしょう。
間人の温泉と刺身と朝ご飯は、最高!
ユースに泊まったので元伊勢籠神社が近くて良かったです。
間人をタイザと読むのはそんな理由でしたか、納得ですが普通は読めませんよね。
伊根の舟屋や酒蔵など懐かしです。
なかなか良さげな旅館ですね。
久し振りに順位見てみたらセのドンベ争いが熾烈になってて笑いました。
映画はWOWOWですし、旅は日帰りか1泊ですよ。
間人の町の山すそでした、夕方町を散歩して港まで行きましたが、店はなく人もあまりいませんでした。
阪神勝ちきれませんが、ヤクルトー阪神ー広島の1~3位も夢ではなくなりましたね。
12球団でヤクルトが今は飛びぬけてる気がしますが、何故なんでしょうね?
地名や人名難しいです。
お札になり、賢人の例えにもされる聖徳太子さん、血が濃かったのですか。
普通はあり得ないでしょうね。
関係ないけど、今、秋篠宮家の姉妹の噂があれこれと言われていますね。
私は愛子様推しです。( ´艸`)
浜値でも3~5万するようです。
皇室女子の話はいろいろ囁かれますね、最高の噂話ですが、我に帰るとどうでもよいなあと思います。