第106代正親町天皇の第1皇子誠仁親王(サネヒト)は天皇になることなく亡くなり、その第1王子が第107代後陽成天皇となりました。
その第6王子であった智仁親王(トシヒト)は八条宮(桂宮)を起こしました。
この智仁親王と丹後宮津藩主京極高知(タカトモ)の娘常子との間に産まれたのが、今回の八条宮智忠親王(トシタダシンノウ)(1619~1662)ですので、正親町天皇の曾孫になり八条宮家(桂宮家)2代目です。
写真の桂宮東ノ墓地は上京区相国寺門前町にあるので、年末の全国高校駅伝女子が折り返す辺りです。
智忠親王は1642年に加賀藩の前田利常の娘富姫(フウヒメ)(1621~1662)を妻にしてますが、子供には恵まれませんでした。
智忠親王の功績は、父智仁親王が造営したが荒廃していた桂の別荘、独人ブルーノ・タウトなどが絶賛した桂離宮を改修整備し、今に残したことです。
制札にあるごとく、智仁親王墓以下七墓ですので、智忠親王もその七つの一つだと思いますが、門扉の隙間から辛うじて見えた墓のどれかかは分かりませんでした。
返事
Toitennさん:つっ込んでほしい時につっ込んでくる、
しかも今回はノリツッコミ!意味不明も、ありがたい限りです。
花水木さん:悩んだときに一瞬でも救ってくれないと、
信者にはなれませんよね。
でも、信者になったら、
その後はもう救ってくれないのが新興宗教でしょうね。
事前予約でした。
年々忘れっぽくなっていますが、桂離宮は覚えています。見応えありました。
八つ墓村じゃなくてよかった。
なんのこっちゃ、抹茶に、紅茶、、、。