秀吉政権下で五大老の一人であった前田利家の長男が利長(トシナガ)で、前田家の跡を継ぎましたが男子がなかったので、異母弟で父利家が56歳の時の子4男利常(トシツネ)(1594~4658)が3代目となりました。
この利常の正室として関ヶ原合戦の翌年1601年わずか3歳で江戸から金沢に嫁いできたのが、2代将軍秀忠と正室江(あの浅井3姉妹の一人)の子珠姫(タマヒメ)(1599~1622)です。
珠姫は4代目光高(ミツタカ)など3男5女をもうけ24歳で亡くなりました。
この利常と珠姫の間の4女富子が今回の主人公富姫(フウヒメ)(1621~1662)です。
加賀藩主の墓所野田山の前田家墓地の看板の左のほうに富姫の名があります。
1642年に22歳で第106代正親町天皇の曾孫にあたる八条宮智忠親王(トシタダ)(1619~1662)に輿入れした徳川家康の曾孫富姫ですが、子には恵まれませんでした。
加賀百万石の前田家からの援助で、桂離宮は修繕と増築が可能になったようです。
金沢市のはずれの野田山墓地には、あまり人影がありませんでした。
クマ出没注意の看板があったので、愛妻家の私は家内を車に残して、急いで墓まで行って帰りました。
皆様には人気の無い天皇陵巡りですが、私は命がけでやってますよ。
夫の智忠親王が亡くなって2か月ももたず、後を追うように42歳で亡くなった富姫ですが、遺言によって遺体は前田家に戻され、夫とは別に故郷の前田家墓所(石川県金沢市野田町野田山)に葬られていますが、ここだけは宮内庁管理になっています。
イメージ的には京都の生活はあまり合わず、幸せそうな生活ではなかった感じですが、どうでしょう?
返事
花水木さん:羨ましいですね!
京都に住みながら、桂離宮も修学院離宮も行ったことがありません。
予約の苦手な私です。
Toitennさん:なんのこっちゃ、、抹茶に、紅茶、、
ちゃちゃいれマンディー、コーヒーも飲みたいですね。
そうでしたか。最近、我が町にはシカがよく出て来るようです。
助けも呼べないし。
熊鈴鳴らすとかラジオの音量上げて行くのも良いそうですよ。
私達、きのこ人は、熊鈴必須です。