昭和39年(1964年)オープンで、若き日の真田宏之がスタントで城から飛び降りて有名になった伏見桃山城キャッスルランド、私も若い時に子供を連れて行ったことも有りましたが、平成15年(2003年)閉園しました。
私が今唯一働いている老人ホームの診療所から、この城の横を通って行くと、第50代桓武天皇陵も第122代明治天皇陵も歩いて行けます。
平安京に遷都した最初の天皇と、平安京最後の天皇の陵が隣り合わせに有るのも、何か不思議です。
さていよいよ残り三代になったその明治天皇、父は第121代孝明天皇(1831~1866)(在位1846~1866)で、母は典侍中山慶子(ヨシコ)(1834~1897)の祐宮(サチノミヤ)ですが、正妃九条夙子(アサコ)(1834~1897)(後の英照皇太后)の実子にされて、1860年儲君治定親王宣下、睦仁親王(ムツヒトシンノウ)となりました。
写真の陵は上円下方です
父孝明天皇の急死をうけて、睦仁親王は1867年(慶応3年)14歳で即位し、第122代明治天皇(メイジ)(1852~1912)(在位1867~1912)となりました。
即位してすぐに、薩長両藩に対して討幕の密勅が下され、徳川慶喜からは大政奉還が出されたので、これを受けて明治天皇は王政復古の大号令を出しましたし、その後佐幕派と新政府との間で鳥羽伏見の戦いを皮切りに、戊辰戦争が始まりました。
これらをまだ若く、即位したばかりの明治天皇が主導したとは、まあ思えませんね。
1869年(明治2年)明治天皇は東幸に臨み、都は東京に移り版籍奉還・廃藩置県・大日本帝国憲法発布など、歴史で学んだ馴染みある言葉ですが実態がも一つ分かってないことが続いて、日本は天皇を神格化していき、中央集権国家になっていきました。
明治天皇陵のトイレは綺麗に整備されていました
明治天皇の皇后一条美子(ハルコ)(1849~1914)には子は出来ず、一夫一婦制でなかったので他に子をなした側室が5人ほどいました。
その一人柳原愛子(ヤナギハラナルコ)(1855~1943)との間の第3皇子嘉仁親王(ヨシヒト)が第123代大正天皇になっています。
1904年から1905年の日露戦争後、明治天皇は持病の糖尿病を悪化させてて、明治45年7月に61歳で崩御し、陵はやはり京都に戻って伏見桃山陵(フシミノモモヤマノミササギ)(伏見区桃山町)に葬られました。
その死に際して、夏目漱石の小説でも有名な殉死した乃木大将夫婦が祭神の、写真の乃木神社も陵のすぐ近くに有りました。
そのあたりは、歩いたことがあります。
急な坂道とかありますよね。
明治天皇陵、次はその坂道なのに、先に言わないでくださいよ!。
ランジャタイと言う貴重なお香。
切り取るのを許されたのが足利義政と織田信長と明治天皇だとか。
激動の時代を生きた明治天皇ですが、死因が糖尿病とは驚きました。
歴史上の人物、脳血管障害や梅毒や糖尿病が死因の人有りますね。