島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

東寺境内ライトアップ

2021-12-17 | 京都
 
 堺イルミネーションに行く予定を立てていたら、重なるものですね、家内の友人から東寺境内ライトアップ(1000円)の招待券を貰いました。
 昔から同じ疾患の臨時手術は続いてありましたし、競馬も一度入ると続きます(願望も混じってますが)。
先週久しぶりに池添騎手のおかげで馬連2万円弱を獲ったら、昨日は麻雀で一人ボロ勝ちまでしてしまいましたので、今週の競馬はいつもよりワクワクしてるあほな私です。
 
 18時開門少し前に着いたら、さすが京都のライトアップ、東寺の塀を囲むように列が出来ていましたので、入場直後は人の頭越しに見物です。
 
 東寺拝観は20年以上ぶりか、こんな堀が有ったのかどうかも忘れていました。
 
 
 瓢箪池も有りましたが、塀の外から車から新幹線から見慣れてる東寺五重塔は、ライトアップのせいなのかどうか、少し太って見えました。
 
 さすが国宝東寺五重塔、半月を従えて堂々とそびえています。
 
 金堂や講堂の薬師三尊や立体曼荼羅も、照明に金色に輝き、私でも思わず手を合わせて祈りました(おかげで勝ち運が…)。
往時はもっと暗いロウソクの光ですが、もっと金色だったと思うので、人々はひれ伏したのかもしれません。
 この仏さんたちを見るだけで、十分価値はありました。
 
 というわけで、京都の観光地も捨てたもんではないですね。
先週は都会の観光3日間、毎日7km以上歩いたので、都会観光のほうが疲れますね。

       返事
Toitennさん:恐ろしくて、便器までたどり着けず。
    尿意も完全になくなっていました。
和さん:若い時なら、
    この有料車両に乗る気は起りませんが、
    今ならプチ贅沢で快適でした。
大雪男さん:私は山でも駄目でしょうね。
     写真は全員撮って、あとで売りつける商売です。
    もう自分たちの写真は要らないですよ。

コメント (2)
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あべのハルカス

2021-12-14 | 
 
 あまり混んでなかった堺のホテルからの堺の朝、生駒山系?から昇る朝日の右側、ビルのすぐ上に黒く伸びてるのが、懐かしい仁徳天皇陵です。
 
 堺イルミネーションを見た帰りは、あべのハルカス行ってみました。
高さ300ⅿと日本一高いビルです。
 
 展望台の開場までに着いてしまったので、近くの天王寺公園をブラブラ朝の散歩です。
大坂冬の陣で徳川家康の本陣となった、標高26ⅿの茶臼山を初めて見ましたが、大阪城の東北にあるイメージを持っていましたが、南の天王寺に茶臼山は有ったんですね。
 
 あべのハルカス展望台の「ハルカス300」は高い!!入場料も1500円です。
行ってみたのは良いのですが、360度ガラス張りの展望台は苦手です、やや後悔しました。
ガラスの近くにはなかなか寄れません、遠くを見てるのはまだ良いのですが、
 
 足元を見るのはダメで、危険です。
標高26ⅿの茶臼山は、写真の左に映ってますが、はるか下です。
 
足元がガラス張りになってる部分もあって、無知で浮「もの知らずの校外学習中の小学生は、その上に座って絵をかいていましたが、修羅場を潜り抜けてきた私にはその度胸は全くありません。
 
 どこに行っても行きたくなるトイレですが、入ったのはいいが、こんな所では出るものも出ませんので、何とかこの写真だけは特派員魂で撮って、おしっこはせずに出てきました。
まあ便器がガラスのほうを向いていたら、やけくそで天空めがけておしっこをしたかもしれませんが。
 
 展望台から2階下の天空庭園に下りたら、ちょっと安心して、パインアメソフトも食べる余裕が出来ました。
 
 こんな私ですが、VIP扱いで?新聞?にも載りましたが、大きなカラー新聞は買いませんでした。
 
 仕事帰りにJR奈良線→京都地下鉄烏丸線→落ち合って阪急京都線→大阪地下鉄御堂筋線→南海高野線と、帰りは南海本線→JR大阪環状線→京阪電車→京都地下鉄東西線・烏丸線と、たくさんの電車に乗れた旅でした。
京都に帰る京阪電車特急は500円追加してプレミアムカーに乗れました。
券を買う自動販売機の前でもたもたして、一列車遅らせましたが、プレミアムカーの乗り心地はよく、もったいないので眠ることなく景色も楽しめました。

        返事
Toitennさん:あまり美人ではないが情熱の歌人晶子さん、
    この髪では堺の金持ち夫人ですかね。
花水木さん:すべての食べ物の中で、
    里芋が一番好きってことですか?

コメント (3)
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堺イルミネーション

2021-12-11 | 
 
 通勤列車の車内つり広告で見た、堺イルミネーションの案内にひかれて、仕事帰りに落ち合って、久しぶりの都会への1泊2日の小旅行です。
 大阪で唯一方角が少しわかる三番街で、遅めの昼食は都会風に、塩味のパンにハムを挟んだ覚えられない名前のサンドイッチとクリームもおいしい甘いフレンチトースト。
   都会人はこじゃれたおいしいものを食べてますね。
 
 堺市役所の展望台から、仁徳天皇陵を見下ろしたかったのに、新型コロナワクチン接種場に使われていて閉鎖中でした。
 堺の街をぶらぶら歩いて、海岸沿いのホテルから夕陽を見下ろしました。
 
 運河沿いにライトアップされた堺イルミネーションを歩きましたが、平日だったこともあってか、近所の散歩者ぐらいしか歩いていません。
 
 凝ったイルミネーションや動くイルミネーションがあるわけではなく、細い運河に飾られてるデコレーションを裏から見たり、
 
 ぐるっと運河を回って、始まりはなんでも堺のデコレーションを表から見たりで、ぶらぶらしただけで、ゆっくり夕食を近くの居酒屋さんで食べて堺イルミネーションは終わり。
 
 ホテルの部屋からも、南海電車堺駅の向こうに、運河にかかる青いイルミネーションを見下ろせました。
 
 ホテルから見下ろした港になってたのは、灯台と思ってましたが、誰かの像?
 
 堺駅前のロータリーを見下ろしたら、堺といえばたぶん与謝野晶子の像でしょうね。
 仁徳天皇陵の周りは天皇陵巡りで行ってますが、そのほかは初めての堺、かき氷の美味しい店があったと思ってたのですが、これはわからずに終了です。

         返事
Toitennさん:ハイ!空耳でしょうね。
    間違い 空耳 古い傷 symbol7symbol7
     男と女のラブゲーエム

コメント (2)
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97-2後村上天皇中宮顕子

2021-12-08 | 天皇陵巡り
 
 南朝2代でもある第97代後村上天皇(1328~1368)(在位1339~1368)の女御には、嘉喜門院(カキモンイン)藤原勝子(カツコ・ショウシ)(生没年不詳)がいて、たぶん第98代長慶天皇や第99代後亀山天皇を産んだそうですが、裏付けもなく墓もはっきりしません。
  いかにも奈良の山奥の山村という感じの眺めの中、道端に車を停めて歩き出すと、写真の陵が見えてきました
 
 そんな中、後村上天皇が中宮に迎えた源顕子(ケンシ・アキコ)(1332?~1359?)との間には、特に皇位に就くような皇子もいませんが、忠臣として名高い北畠親房が顕子の父だろうということなのかどうか、皇后扱いの陵として宮内庁は治定しています。
  ズームで見上げた陵は、なかなかいい感じです
 
 奈良市からは南東の方角の山間部に有る後村上天皇中宮顕子の笠間山陵(カサマヤマノミササギ)(奈良県宇陀市榛原笠間(ウダシハイバラカサマ))も何とか制覇です。
 
 なんでこんな所にこんな人の陵が有るのか解りませんが、後村上天皇との間に坊雲を産み、親子で陵の横にある陽雲寺(ヨウウンジ)に世俗を離れて住んでいたので、ここが陵になったとも言われていますし、父親房の墓と伝えられてる墓が近くの室生寺にあるそうですので、この辺りは北畠家の勢力圏だったのかもしれません。
でも宮内庁がこんな人のこんな墓を、治定陵として管理してる意味はちょっと解りかねます。
  参道の登り口に、民家程度の陽雲寺がありました
 
 顕子は27歳で亡くなったそうですので、息子坊雲もせいぜい10歳ぐらい、昔の人はみな若くしてしっかりしていますね。
 また、私の好きな話、顕子さんは公家と密通して長谷寺で出家したという噂もあるようです。
まあいたかどうかもわからない人の陵ですが、立派です。
 
 陵に上って見下ろす景色は、なかなか良いですし、陵内には落ち葉も落ちていませんので、宮内庁の人が聡怩ノ来るのはたびたびでもないような場所、たぶん地元の人が戦後もずっと聡怩ウれてるのでしょうね。

       返事
二つ前の花水木さん:奈留島に行ってからは、
    子供たちからは「犬先生・マリオ先生」と呼ばれてましたが、
    大人からは「京都の福山雅治」と呼ばれてました(妄想かもしれませんが)。
    その前の病院では、この私の写真を見て
    「外科医島耕作」と呼ぶ人も(私だけ)いましたよ。

コメント (1)
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44.初雁焼

2021-12-06 | 菓子たくさん
 
 埼玉県川越市で1783年(天明3年)創業の龜屋、1893年(明治26年)の川越大火で本店は焼失、町の三分の一も燃えましたが、蔵造りの建物は焼け残ったので、以後も蔵造りの建物が建てられたそうです。
10月頃に観たNHKの日本紀行でも、「あっ!これが龜屋か!」と思った建物が映っていました。
 
 この大火の頃に、サツマイモ「紅赤」を薄く切って鉄板で焼いたお菓子を考案した龜屋は、川越城の別名初雁城に因み「初雁焼」と命名したそうです。
 
 かんなで薄く切ったサツマイモを、ゴマを付けた鉄板に挟んで焼き、糖蜜を付けたお菓子で、1個のサツマイモからせいぜい4~5枚しか出来ないそうです。
これが4~5枚以上入っていて(もっと大きいのは写真を撮る前に食べてしまってました)594円は安すぎます。
1日1枚以上食べるのは贅沢すぎますので、コストパフォーマンスが高いし、うまいです!
 私はャeトチップはあまり食べませんが、「おさつドッキ」は好きなので、このもっとおいしく豪華な「初雁焼」は好きです。

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