HAPPY-GO-LUCKY!

E・コッカーと戯れる浪費派リーマンのゆるい生活

ハメツガンボウ…

2006-08-05 02:39:20 | 日記・エッセイ・コラム

いきなりオドロオドロシイタイトルで、

ブログに書くような話でもないけど、060804_232352_m_1

私にはそうとしかとれない傾向がある。

「どうなってもいいやぁ」的なテイスト。

もちろん安静が必要な入院中、ジムに足を運び、

退院初日には呑みに出かけて先ほど帰宅。

数少ない盟友や親しい先輩は叱責してくれるんだけど、

ダメなんだよなあ。

断崖絶壁ににじり寄っちゃう。

そしてそれは今に始まったことではない。

Photo 高校生みたいだけど、

自分の実存ってゆーか存在自体に、違和感がある。

今でも、ふとした時、「何でおれはここにいるの」とか、

「ここにいる俺は、ホントウの俺なの?」とか、

青臭いことを考える。

モノゴコロついてからずっとそうだ。

大学時代、連れと話していたら、

「愛するもののためなら死ねる」なんて熱いことを言う。

で、私が答えたのは、「いや、あかの他人のためでも死ねるんじゃないの?」。

要するに、自分とゆーものに自信がないんでしょう。

自分というモノに、さしたる価値を見出せない、って感じだろうか。

例えば今、ハイジャックがあったとすると、

男ヤマシン、山村新治郎じゃないけど、

嬉々として代わりの人質になるような気がする。

そんなことでお役に立つなら、ハイ、どーぞってなものである。

フツーに言えば、自分勝手な話で妻子は迷惑だろうけど、

そんな感覚は拭えないんだよね。

太宰とか梶井っぽい気分でもないけど、

そして甘美な匂いとも言わないけれど、

「死」って、結構身近に感じるような気がするです。