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強酸党嫌いになった理由

2016年01月13日 | 日  記

 あまり政治ネタ・信条ネタには近寄らないようにしている当Blogですが、

今回はちょっと触れておきます。

最近は、他の野党への摺り寄りを図ろうとしているようにも見える”強酸党”。

天皇制を否定するところから国会の開会式をボイコットしていたのを、方針変更

する様だし。

閑人は、政権を担当してみたら担当能力が無かったと分かった眠主党はまだ

許せますが、強酸党だけは好きになれません。

 閑人は、昭和40年代初頭に大学へ入った世代です。

当時の地方の大学自治会は、”眠声”が主流を占めているのが普通で、閑人が入学

した大学もご多聞に漏れませんでした。

 授業を終了した教室へ、自治会の連中がアジリに来るのです。

当時は、”学園民主化”とか、”三里塚闘争”なんていうのが学生運動の花形でした。

 ある時、市の公会堂へ”強酸党”の”野〇参〇議長”が、講演に来ました。

当時は国連常任理事国5ケ国が、競争で原爆・水爆の核実験を盛大にやっている時代

でした。   閑人は、講演の後の質問の時間に訊きました。

”米・英・仏”の核実験には強硬に反対する強酸党が、ソ連・中国の核実験に反対

しないのは、何故か?

野〇氏曰く”米・英・仏”の核実験は、侵略のためのものだからダメ”。

”中共(中国のことを、当時はこう言った)・ソ連のものは、自衛のためのもの

だから許される”

 なんという、論理破綻な屁理屈であることか?と驚きました。

(今の”北〇鮮の水爆実験は、アメリカに対抗するためのものだから正当なものだ”

と、かの国の親分が言うのと同じように聞こえたと思います。)

以来、生涯に亘って強酸党の言うことは信用しないことにしました。

 決定的だったのは、”安田講堂”攻防のときに、当時の強酸党が指導する下部

の学生組織”眠声”は、学園闘争に取り組まないで、自分たちの組織温存のためと

シンパ獲得のために、相模湖畔でフォークダンスパーテイを開いていたと聞いた

ことです。

 もともと、ソ連・中共嫌いであったところへ、こういう話を見聞きして以来

”強酸党”はいくら女性候補を前へ押しだして、平和を唱え、耳触りがいいことを

言おうが、今に至るまで信用できない政党のNo。1なのです。

(大きい声では言えませんが、日本人が次第に骨抜きになってきて自国に誇り

が持てず、権利は主張するが義務を果たそうとはしないのは、強酸党指導下の

日響組の所為だと思っていますから)

 ちなみ、閑人は決して右寄りばかりの人間ではありません。

多少は、人よりは好き嫌いは激しいかも知れませんけど。

 

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