コロナに2年程乗った後、3台目としてギャランを買いました。
我が生涯で始めての新車です。
◆コルト ギャランHT
新車にはご覧の通り、ホワイトリボンのバイアスタイヤが装着されています。
現在では、余程特殊なクルマしかホワイトリボンは履いていませんね。
また、タクシー・大型トラックも含めて殆どのクルマは普通にラジアルタイヤを履いています。
(何故か、高速・観光以外のバスと小型トラックではあまり見かけませんけど)
タイヤ寿命は4万Kmといったところでしたので、2本目からはラジアルタイアを履きましたので
新車タイヤもほぼ1年だけの付き合いでした。
このクルマは仕事(営業)に使ったこともあって、3年半で14.5万Kmも走りました。
概ね、年間4万Kmのペースです。
オドメーター(積算走行計)は一回転して”O”に戻り、4.5万Kmを指していました。
(当時の普通の乗用車のオドメーターは、万単位までしか表示されていなかったのです)
ま、3年半で4.5万Kmというのは、普通よりもちょっと走行距離が多いかという程度です
ので、実は次のクルマを買う時の下取り価格が自分でも意外なほど高かったのです。
外観は無傷で、綺麗なものですが、一旦走り始めるとハンドルを真直ぐ保持していても
クルマが勝手に行きたい方へ行くという状態でした。
足回り、ハンドル周りには相当ガタが来ていたのだろうと思います。
後日、担当の営業マンにこのクルマはどうしたかと尋ねたら、”若い女性が気に入って
くれて売れました"と言っていました。
メーターが既に一回転していることを営業マンに申告しなかったので、若干の後ろめたさ
を感じたものでした。
このクルマでの最大の思い出は、妹が結婚式を横浜で挙げる時に、当時の国鉄が全面スト
を打って新幹線が完全に止まってしまったので、本人・両親を乗せて全線開通して5年目位の
東名高速を走ったことです。
当時は、今から考えると信じられないくらいクルマが少なくて、前にも後ろにも一台もクルマ
がいない状態が普通でした。
兎に角、それが高速道路を走った始めての経験です。
100Km/hちょっとで巡航していたら、エンジンルームから焦げ臭い匂いがしてきて、サービス
・エリアに入って調べてもみたら、エンジンオイルがゲージ棒の端のほうにかろうじて付いてい
る位まで減ってしまっていました。
当時のクルマは今みたいにメンテナンスフリーというわけにはいかなかったのです。
最後に、2Dr車はこのクルマで懲りました。買物に行っても、人を乗せても、車内を掃除する
のも、兎に角不便なのです。若気の至りで買ってしまった最初で最後の2Dr車でした。