『世界の城郭 11(崖の上の城郭都市・ロンダ)』
―キリスト教徒とイスラム教徒の宗教戦争に耐え抜いた峡谷の街ー
スペインは国自体が城郭国家
フランス国境にピレネー山脈(東西に430㎞)、地中海側にはシェラネバダ山脈から丘陵・山岳地帯がロンダまで、地中海沿いに続いており、東西には大西洋と地中海です。 この地理を最大限に活かしたのが8世紀から15世紀まで統治したイスラム帝国です。
ウキペデイアから引用
アルハンブラ宮殿(イスラム帝国の栄華の象徴)
アルハンブラは構造的には一つの城塞都市、アラブ人が農民の反乱軍からの防御壁として築いたものである。 アラブ人の最後の砦がアルハンブラ宮殿であり、地中海に追い落とされないように引いた背水の陣がシェラネバダ山脈からロンダへの防衛ラインであった。
ウキペデイアから引用
ロンダの町、スペイン
711年イスラムがイベリア半島に侵入しロンダ王国となりました。 1485年、長期の包囲戦後にアラゴン王フェルナンド2世がロンダを陥落させたことで、イスラム支配は終わります。
ウキペデイアより引用
コルドバ太守国が分解し、タクルンナ県がアブー・ヌールが治める独立王国となった。 この時代に、ロンダの都市としての歴史的な外観の大部分が作られたと考えられている。 アブー・ヌールの息子ナサルが王国を継承後に殺害され、ロンダ王国はセビーリャ太守アル=ムタティードのものとなった。
1485年5月22日に、長期の包囲戦後にアラゴン王フェルナンド2世がロンダを陥落させたことで、ロンダのイスラム支配は終わった。 征服後、イスラム時代に建てられた建物の多くが刷新され、メルカディーリョやサン・フランシスコといった郊外定住地へと市街が拡大していった。 対して、古いアラブ時代の市街はラ・シウダーと呼ばれるようになった。
現在の中東・北アフリカ地域に勢力を広げるイスラム国家・ウマイヤ朝の手がイベリア半島に伸びます。最初の襲撃は710年のことでした。 それでも、イベリア半島に住むキリスト教徒による反乱やヨーロッパのほかのキリスト教国からの侵攻が相次ぎました。これらの動きは「レコンキスタ(失地回復)」と呼ばれ、800年近くにわたりました。
ロンダは海抜739ⅿ、ロンダ峡谷は随分深そうに見えますが、およそ150ⅿです。 ロンダ峡谷によって市街地は2つに分断されている。 このうち、峡谷の南側が旧市街で、峡谷の北側が新市街です。 旧市街と新市街は、ビエホ橋(旧橋)やヌエボ橋(新橋)で結ばれている。 ロンダ峡谷を挟んで、キリスト教徒とイスラム教徒が攻防を、8世紀から繰り返したが、1485年5月22日に、長期の包囲戦後にスペイン、アラゴン王フェルナンド2世がロンダを陥落させたことで、ロンダのイスラム支配は終わった。 カスティーリャ王国を中心にキリスト教諸国が統合されて誕生したスペイン王国が、1492年ついにナスル朝を陥落 させ、レコンキスタが終結します。
スペインは、昔も今も、大帝国です。
(20201102纏め #240)