『世界の城郭 (陸繋島・岩塔の上の城郭と教会)』
―仏のモン・サン=ミッシェルと、英のセント・マイケルズ・マウントー
表題の『モン・サン=ミッシェル と セント・マイケルズ・マウント』ですが、日本語では、まったく同じで『聖ミカエル山』となり、命名はシンプルを持って良しでしょうか。 高輪ゲートウエイとか、スカイツリーなどは随分凝った命名です。
キリスト教徒とイスラム教徒の攻防があった、スペインのロンダ峡谷の橋も、シンプルに、プエンタヌエボ=新橋、とプエンタビエホ=旧橋、とシンプルで自然です。 分かりやすく、東京タワーと新東京タワーがあって良かったのではと思いました。
因みに、英語ミカエル又はマイケル、仏語ミッシェルですが、西欧こういわれています。ウェブ情報です。
大天使ミカエルは「神と似たるもの」と訳すことも出来るほど偉大な天使です。 神様が最初に作った存在であり、「天使長」「天使の総帥」とも呼ばれています。 人間の死後に魂を正義の秤で平等に量ると言われている大天使ミカエルです。 そして勇気や正義の心を促すことをするとも言われているので「平和・正義・平等」を司ると言われているのです。 大天使ミカエルの姿は剣と秤を持ち鎧姿で描かれていることの多い天使であり、神に忠誠を誓った存在であると聖書などからは読み解いていけることが出来ます。
モン・サン=ミッシェル、フランス
ウキペデイアから引用
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この島はもともとモン・トンブ(墓の山)と呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。
708年、アヴランシュ司教オベールが夢のなかで大天使ミカエルから「この岩山に聖堂を建てよ」とのお告げを受けたが、悪魔の悪戯だと思い信じなかった。 再び同じ夢を見たが、また信じなかった。ついに3度目には大天使はしびれを切らし、今度はオベールの額に指を触れて強く命じたところ、オベールは稲妻が脳天を走る夢を見た。 翌朝、オベールは自分の頭に手を置くと脳天に穴が開いていることに気づいて愕然とし、ここに至って大天使ミカエルのお告げが本物であると確信してここに礼拝堂を作ったのが始まりである。
966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を島に建て、これが増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になったものである。中世以来、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。
百年戦争の期間は島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をしていた。 モン・サン=ミシェルの入り口には今もイギリス軍が捨てていった大砲とその弾が残っている。 18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用され、その後荒廃していたがヴィクトル・ユーゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。
セント・マイケルズ・マウント、イギリス
ウキペデイアより引用
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セント・マイケルズ・マウントイギリスの南西コーンウォールのすぐ沖合にある小さなタイダル・アイランドである。
干潮から中位時には、グレートブリテン島のマラジオン町と人工の花崗岩の土手道で地続きになる。 この様子がフランスの有名な世界遺産モモン・サン=ミッシェルと似ている事から、英国版モン・サン=ミシェルとも呼ばれる。
薔薇戦争中期の1473年9月にオックスフォード伯はこの島を占領しヨーク派に抵抗したが敵わずフランスに降伏。 約1650年以来、城と礼拝堂はセントオービン家の所有である。 山頂の初期の建物は12世紀のものである。
セント・マイケルズ・マウントは、本土の英国から橋をかけずに歩いて行くことができる43の潮間島の1つである。 島の一部は、その地質学特徴から1995年に自然保護協会特別指定地区に指定された。
城郭と教会、全く違う目的で造られますが、歴史を見るといろいろな事が、沢山あります。
(20201103纏め #241)