知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『「謎の空海・誰でもわかる空海入門」を読んで』 ―空海の由来の「空と海」の風景は四国であったと言われるが江の島にも―

2021-04-29 22:10:46 | 偉人

      『「謎の空海・誰でもわかる空海入門」を読んで}』

   空海の由来の「空と海」の風景は四国であったと言われるが江の島にも―

 

空海の風景の洞窟 高知県「御厨人窟(みくろど)」

ウェブ情報から引用

高知県の室戸岬にあるパワースポット「御厨人窟(みくろど)」、平安時代初期に弘法大師・空海が修行をしたという伝説が残る、海水の侵食によりできた洞窟です。当時青年だった弘法大師はこの地で開眼し、洞窟の中から見えた風景が“空と海”だったので「空海」の法名を得たと言われています。

 

江の島にもありました空海の風景の洞窟

ウェブ情報から引用

島の最奥部にある海食洞窟。古くは弘法大師や日蓮上人も修行したといわれ、江の島信仰発祥の地として崇められてきました。 

 

江の島大師(数十回訪れた江の島ですが、この大師様は初参り)

ウェブ情報から引用

江の島は552年に海底より隆起して生まれたとされ(江嶋縁起)。 814年には弘法大師空海が岩屋に参拝し社殿を創建したとのを起源とする。

 

さて表題に戻ります。 三田誠広著『謎の空海・誰でもわかる空海入門』を読む前に、読んだ空海の本は司馬遼太郎氏の『空海の風景』と高村薫氏の『空海』でした。この本、高村薫氏の『空海』は日経新聞に、大きく紹介されていたので『読書は図書館利用派』の自分が、座右の書としようと、購入して読んで見ましたが、歯がたちませんでした。

 

結構、司馬遼太郎氏の歴史小説は読んでいたのですが、『空海の風景』は、気が付きませんでした。 パナマ駐在中に商用でサンパウロ出張の機会があり、ブラジル・サンパウロの日本人街『リベルタージ』に行ってみました。 その時、古書店で見つけたのが司馬遼太郎著の『空海の風景 上下巻』でした。 

 

古本なので、当然ですが、ご丁寧にセット販売で麻ひもで、がっちりと結わかれていました。 何故か地球の裏側で巡り合った本ですので、即購入して、パナマに戻り、それからは、熱帯の高木林の木陰で、CERVEZA PANAMA(パナマのラガービール)を飲みながら、数日掛けて読みました。 

 

以前に投稿した『空海の凄さ様々 1』の繰返しになりますが、司馬夫人の福田みどり氏によると『「空海の風景」は生前の司馬が最も気に入っていた作品で、サイン本を献本する際にも必ず本作を用いたほどであり、そのため冨士霊園の「文學者之墓」(日本文藝家協会会員の共同墓)にも本作を埋葬した』とのことです。

 

それ以来、空海vs最澄の比較で、空海の謎めいた入唐までの半生と,その後の凄さに、感服していると同時に、将にその生涯も『謎の空海』です。

 

謎の空海❶ 

空海は18歳で大学に入って、儒教を学ぶ。 それからの唐へ留学の十年ほどの期間は、どこで何をしていたか不明。

 

謎の空海➋ 

長く中断されていた遣唐船が派遣され、空海が留学僧として乗船した。 この遣唐船は、桓武天皇の側近で宮中の供奉僧を務めていた最澄の為のものであり、最澄は東大寺で修業し、飛び切りの優等生で受戒している正式な僧であった。 反対に、空海は、山岳修業者であり私度僧と呼ばれ、非合法の僧であり、当然留学の資格はなかった

 

謎の空海❸

最大の謎は、空海は遣唐使の一行と共に唐の首都長安まで往って、青龍寺の『恵果』から、『唯授一人』と称せられる秘法である『瑜伽密教』の秘伝と、膨大な経典と、金箔を貼った曼荼羅と、秘宝と言っていい法具の全てが、空海に伝えられた。 空海の修行期間は、半年にも満たない。

この密教は、天竺僧・金剛智から唐の名僧・不空を経て、『恵果』に伝えられたもの。 

 

謎の空海❹

この時の遣唐使の主役は、最澄であった。 最澄は、遣唐大使と一緒に、トンボ返りで帰国できる『環学僧』で、首都長安にも行かず、海岸近くの天台寺での教えを学び、実質6ヶ月ほどの唐滞在で帰国。 空海は実質二年余の唐滞在。一般に『留学僧』は、20年余の唐滞在であったが『環学僧』でもない空海がなぜ、2年余で帰国できた。

高村薫の目的がどちらかというと、空海死後の現代に至るまでの変化を描くことにあったことに気づき、おもしろい作品?だと思った。 作品と言うより、ルポタージュなのだろうか。

天才が感得した悟りの世界は、死後誰にもわからなかったのだろう。 最澄の延暦寺がその存在を維持していたのに比べ空海の信仰は世俗化をしていった。 荒野聖が世俗の者に理解しやすい伝説を作り上げていった。 福島県の猪苗代湖にまで伝説があるというのがすごい事。

 

『満濃池』を、土木技術で大修復した空海は、思想・芸術、それに学問・技術の諸分野でも時流に抜きんでていた『万能・博識の大天才』、です。 

 

本人の名言『虚しく往きて、満ちて帰る』、数年の準備期間をかけて準備万端の留学であった。 周囲から期待されたエリートコースの大学をやめて、数年経過した時点での入唐決意。 準備万端の空海だから言える『虚しく往きて・・・』と(頭脳を空・無にして留学)。 

 

こうも言っている『たまたま志願者が少なかったので、留学僧の末席につらねてもらった』と、これって『ウイット・ユーモア・エスプリ・アイロニー、それとも、空海のこと、もっと深い意味が・・・』。

遣唐使廃止前の、遣唐使末期であり遣唐使の選抜基準・試験の記録がほとんどない環境でもあり、こんな皮肉を込めてのコメントになったのかもしれません。

 

空海の偉業の一環です。 曜日・七曜はヨーロッパから伝わったのではなく、空海が9世紀初めに唐から持ち帰ったもので、『宿曜経』という占星書に書かれています。

 

そこで余談です

先輩に紹介されて夢中になって並行読み中の、新しい本『系外惑星と太陽系』岩波新書、2017.2.17初版。 何故か、この本の中で、稀有の大天才の空海を偲んでいます。

なぜか、空海を、自分なりに知るにも、時間と体力が限りなく、要るようです。

                          (20210428纏め、#323)

 

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