『同郷・同世代の旧飯岡町出身の女流詩人 高橋順子氏のこと 1』
『あの飯岡の助五郎は「悪役・ヒール役」ではないと言った詩人』
高橋順子氏『俳号:泣魚(飯岡出身らしい)』も多分観ていた、飯岡港の突堤と岸壁荘(画面左下)
ウキペディア情報から引用
この詩人・高橋氏のことは、日経新聞の文化欄に載った記事で知りました。1944年千葉県海上郡飯岡町(現旭市)生まれ,東京大学文学部フランス文学科卒の詩人で、作家・車屋長吉氏夫人です。 鬼才夫君との出会い、絵手紙交換、結婚、その後続いた作品原稿の出版社に出す前の相互の交換チェック等、見事な夫婦の生き様、感動しました。 夫君は2015年5月17日、夫人の留守中に、解凍済みの生のイカを丸呑みしたことによる窒息のため死去。 69歳没、波乱万丈の人生)だったようです。
著名な著書と受賞歴は;
- 1987年 『花まいらせず』で現代詩女流賞
- 1990年 『幸福な葉っぱ』で現代詩花椿賞
- 1997年 『時の雨』で読売文学賞
ウキペディア情報から引用
- 2000年 『貧乏な椅子』で丸山豊記念現代詩賞
- 2014年 『海へ』で藤村記念歴程賞、三好達治賞
- 2018年 『夫・車谷長吉』で講談社エッセイ賞
この方が、飯岡中学校の一年生に入学した年に、飯岡中学校は三川村立中学校と、豊岡村立中学校を統合吸収して、生徒数1,000人以上の大きな中学校になりました。 この時、三年生の自分は二階建て新校舎二階、この方の学び舎はグランド寄りの一階建て旧校舎でした。
当時、中学三年生の自分は『リルケの詩集を読む美人・・・』なんて流行歌の歌詞に憧れて詩集を読むなら『リルケの詩集』を、と思ったこともありましたが、どこで間違えたか、永井荷風の墨東奇譚などを読んで、職員会議にかけられたりしたほどでした。
この方の詩ではなく、エッセイを読もうと思った理由は、日経記事の中には、当然ですが、飯岡町の海岸・海・空の描写、あの飯岡の助五郎についても悪役・ヒール役ではない描写がありました。
自分も飯岡の助五郎のヒール役に、疑問を持ち始めたのは、ごく最近のことです。 都会に出て働き始めたころに、飯岡出身(本当は三川村出身)ですというと、『あの飯岡助五郎の飯岡か!』と言われて、ヒール役に負い目を感じたものです。
自分の記憶と言えば、自分の親から聞いた、『関取上がりの笹川の繁蔵の子分で、同じく関取上がりの勢力の富五郎が、三川村に入ってくると、村民は皆が雨戸を閉めた』と、それでも飯岡の助五郎の悪役・ヒール役を信じさせられていました。
エッセイ『名前・なまえシリーズの「恋の名前」「雨の名前」「月の名前」「水のなまえ」「星のなまえ』は、印象深く、又、最近の世情の中では、癒されます。
これからもゆっくりと郷土の偉大な詩人・エッセイストの作品を座右の書の一角に置きたいと思っています。
(記事投稿日:2021/07/14、最終更新日:2024/06/14、#356)