『縄文人は・縄文文化は凄かった 4(ムラ・ハラ・ノハラ)』
『村・原・野原から解かる1万余年続いた縄文人の生活の知恵』
オリンピック真最中の本日(20210728)の日経新聞の社会欄に載っていました。 見出しは『縄文遺跡群、世界遺産に 北海道・北東北の17件』です。ユネスコの諮問機関の報告骨子です。
『先史時代の農耕をと伴わない定住社会と複雑な精神文化、定住社会の発展段階や環境変化への適 応を示している』
縄文人・縄文文化の凄さは、表題の通り『ムラ(村)・ハラ(原)・ノハラ(野原)』から解かる、1万余年続いた縄文人の生活の知恵です。
今までに、拙作ブログに纏めてきました。
❶『縄文人は・縄文文化は凄かった 1(縄文石器は世界最古か)』
(記事投稿日:2020/02/02、最終更新日:2020/10/01)
❷『縄文人は・縄文文化は凄かった 2(1万3千年も自然と共存)』
(記事投稿日:2020/12/12、#258)
❸『縄文人は・縄文文化は凄かった 3(4500年前の火焔型土器)』
(記事投稿日:2020/12/13、#259)
縄文時代の最盛期4,500年前ごろ、この時代に、ピラミッド建造の歴史のほぼ真ん中で最も完成度の高いエジプトの大ピラミッドが建造された。 ピラミッド建造は数世紀続き、初期―中期(完成度が高かった)―後期があり、その後、神殿建造へと変化した。
同時代に1万余年も続いた縄文時代中期の全盛期には、三内丸山遺跡に縄文文化が存在した。 当時、地球上の文明・文化には大きな違いがあった。
- 縄文は定住で『採集・狩猟・漁労で農耕(田畑)なし』
- 古代エジプトは定住で『農耕(田畑)あり』)があった。
現在でも、地球上に竪穴式住居は現存し、人が住んでいる。 地球上の人類は不思議で興味津々です。
4,500年前の三内丸山遺跡(復元住居)
4,500年前の大ピラミッドコンプレックスの縄張りとピラミッドの内部構造
ギザの大ピラミッドの完成時の予想図
『人類は自然を克服しながら、文化を築いてきた』と言われるが、縄文人は、モンスーン気候の中で、居住区の周りにハラ・ノハラをおいて『採集・狩猟・漁労』ができるようにしていた。 これは水稲・定住がはじまる前に数千年も続いていたように思われます。 古代エジプト人は、砂漠気候の中でナイル川の氾濫を、克服するよりは利用・共存するような時代が、やはり数千年続いていた。
このように『人類は自然を克服』するよりも、自然と共存できた時代に、古代日本でも1万余年も続いた縄文時代の、その中期の全盛期には、三内丸山遺跡には縄文文化が存在した。
三内丸山遺跡
- 大型竪穴住居が10棟以上
- 約780軒にもおよぶ住居跡
- 祭祀用に使われたと思われる大型掘立柱建物
最近、異分野、文学者・医学者・科学者の先生方の歴史書を読む機会がありました。 それも興味のあるのは、縄文・弥生・古墳・奈良時代です。 それぞれが素人にも解りやすい解説をされていました。 歴史学の中に理論的・科学的分析が多くされており素直に納得が出来ました。
先ずは、感銘を受けた本『縄文文化が日本人の未来を拓く』の著者の國學院大學名誉教授 小林達雄氏のウエブ情報のプロフィールからです。
1937年新潟県生まれ。文化庁文化財調査官などを経て85年、國學院大學教授。縄文人の世界観から土器文様を読み解くなど従来にない視点から問題提起を続ける縄文研究の第一人者。新潟県立歴史博物館名誉館長。著書に『日本原始美術大系I 縄文土器』(講談社)『縄文文化の研究』全10巻(編著、雄山閣)『縄文土器大観』全4巻(編著、小学館)『縄文土器の研究』(小学館)『縄文人の世界』(朝日新聞社)などがある。
この本の『縄文文化が日本人の未来を拓く』の冒頭に、
- 日本の文化は世界的に注目されている。 それは注目される個性と、他のどこの文化にもない特殊で独自のもので、それは欧米とか大陸にはない歴史を持っているから。 その独特の歴史が『縄文時代』、1万年以上にわたる自然と共存した歴史。
- 大陸側の人々は、定住すると、自然と共生しないで、人工的な『ムラ』の外側に人工的な機能を持つ耕作地『ムラ』があった。 『ムラ』の周りの自然は開墾すべき対象であった。
- 一方の縄文は、『狩猟・漁労・採集』によって定住をしていたので、『ムラ』の周りには自然の『ハラ』を温存し、自然の秩序を保ち、自然の恵みをそのまま利用、それが1万年以上も続いた。
- 縄文は、1万年以上という長い時間が過ぎただけでなく、その時に文化的遺伝子(ミーム)というものが沢山生まれて、その中のいくつかが、大和言葉を介して、現代まで続いてきている。
- 子供の時に習った『人類は自然を克服しながら、文化を築いてきた』というのは、農耕文化で自然を征服しようとする関係になってから、その方針に乗りだしたのは弥生時代から。
世界に先駆け定住を果たした縄文時代、石器時代は、自然の中で、動物と同じように食料を求めて、遊牧的な生活をしていた。
- やがて大陸では、『農耕・牧畜』の開始により旧石器時代から新石器時代・定住の時代に、メソポタミアでは1~2万年前、インドやペルーでは0,9~1.1万年前、エジプトでは0.8万年前、中国では0.7万年前、メソアメリカでは0.5万年前に開始された。
- 日本列島では、すでに5万年前に、農耕なしの『狩猟・漁労・採集』により旧石器時代から縄文時代・定住の時代に、土器の製作・使用が開始された。 大陸よりずっと先行した土器の製作は定住が必須条件です。
- 土器製作の手順、①粘土を見つけ、②精選・素地整え、③捏ねて、③ねかす
④底部を作って、器壁の立ち上げ、⑤全体の成型、⑥器面にデザイン(火焔土器)、⑦十分に乾燥、⑧薪を集め、焼き上げるという大変な作業工程です。
縄文定住革命は、農耕なしの縄文独特の『狩猟・漁労・採集』で、縄文人は、その活動拠点を自然界の中に見つけ、それなりの広さを確保し、村を定め、その周りに、食糧確保用のハラ(原っぱ)をつくった。
現代の日本も、日本人も、縄文時代を振り返り、精神面での豊かさを目指して、老いも若きも頑張りたいものです。
(記事投稿日:2021/03/25、最終更新日:2021/07/28、#299)