『100年前に造られた神宮の人工森が、手入れ不要の自然の森に 2』
『明治神宮の森は、林学者や造園家によるナショナルプロジェクト』
『将来のために日本にとって大事な森、今後の調査ために備忘録に』
明治神宮には、うっそうと茂る豊かな森(70へクタール)がある。 東京の中心部にこれだけ広大な森が手付かずによく残ったと思うかもしれないが、実際は100年を経て『自然の林相となることを目指してつくられた人工的な森』だ。 ここには、当時の林学者や造園家たちの英知が結集されている。
神宮の森(鳥瞰写真)
ウエブ情報から引用
同じ人工林でも、造園のコンセプトや、大きさで比較になりませんが、フランスのパリには、フォンテーヌブロー(Fontainebleau)の森がありますが、ここも人間の手が入った、多くの皇帝も住まわれた人工の森です。 1万8000ヘクタールの広さを誇る高貴な森は、かつてフランスの王たちによって賞賛されてきましたが、自然を愛する人たちにとっての安らぎの場です。 様々な動植物が豊富にあるこの広大な分類地域には、オーク、ブナ、マツ、開花植物、地衣類、キノコ、さらには鹿、イノシシ、鹿、ウサギ・・・等、その一方では、 サーキットやサーキットを走る300キロメートルのトレイルがあり、ハイキング、ジョギング、乗馬、マウンテンバイクなどのスポーツ愛好家に人気の場所です。 カオスの森や砂岩が点在しているので、登山にも人気の場所です。
ウエブ情報から引用
フォンテーヌプローの森がフランス自然保護法の発祥の地とも目されていることは、あまり知られていない、また、全体が国有林であるとともに複数の公園や庭園を内包するフォンテーヌプローの森は、都市近郊の自然保護行政を考えるうえで示唆に富むといわれています。 余談でした。
表題の『自然の林相を目指した神宮の人工森』に戻ります。
日本人のDNAには、アニミズムに近い『八百万神(やおよろずのかみ)』という感覚が古来より備わっている。 八百万神というのは、高い山や深い森、青い海や美しい島などあらゆる場所に多くのカミが宿ること。 滝や川、池や湖には水神が、火山や竈(かまど)にも火の神、そのほか風神や雷神もある。 いわゆる『自然神』である。日本のカミにはもう一つ、祖先や偉人などを祀(まつ)る『人格神』もある。 明治神宮は近代日本の興隆に尽くした明治天皇と昭憲皇太后を主祭神とする神社で、2020年11月に鎮座百年を迎えた。
ウエブ情報の抜粋・引用です。
明治神宮の本殿を取り巻く神域を「内苑」といい、主として深い森(林苑)に包まれている。宗教の異なる大勢の訪日旅行者がこの森にやってくるのは、そうした聖域性にあるのかもしれない。
この神域とは別に、聖徳記念絵画館(明治天皇の生涯を絵画によってしのぶミュージアム)を中心に、ラグビー場や野球場など各種スポーツ施設を含む緑地帯の「外苑」がある。
一流の学者たちが集結して造営
明治天皇が崩御されると、翌々日には坂谷東京市長や実業家の渋沢栄一らが「明治神宮の創建」を提唱、内苑は国の予算で、外苑は国民の寄付で明記されており、これを政府も直ちに受け入れ、天皇の御陵は既に京都の桃山に造営されることが決まっていたので、東京市民は敬愛する天皇との絆を求めたのであろう。
崩御の翌13年、内閣は当代一流の学者を中心に「神社奉祀調査会」を設け、立地や規模など内外苑造営の基本計画について検討した。 その結果、社地約70ヘクタールの内苑(社殿と林苑)を造営することを決定した。 また内苑から少し離れた明治天皇葬場殿跡の敷地27.3ヘクタールに外苑を造営することも決めた。 造営事業は、専門家からなる調査委員会の指導の下、その弟子たちの実行体制で進められた。
日本造園界のパイオニア上原敬二
文明開化・欧米化という日本の近代化の流れを前提としつつ、「和魂洋才」の精神を忘れてはいない。 神社の本体である内苑には、伝統建築としての木造の流造様式の社殿、鎮守の森の伝統を踏まえた自然林本位の林苑。 その一方で、外苑は西洋式石造建築の絵画館をvista(通景線)の正面に置き、4列並木でシンメトリーを強調した人工的デザインとし、スポーツ施設を含むモダンな西洋風公園を目指した。
神宮内苑の林苑計画の策定と造成事業のリーダーは3名。
1人目は、主査はドイツ留学でドクトルの学位を取得して帰朝した本多静六、専門は造林学。
2人目は、本多の弟子の本郷高徳。 彼は後に神宮造営局技師として『明治神宮境内林苑計画』を執筆している。
3人目は、本多の下で森林美学(造園学)を専攻する、当時は東大大学院生の上原敬二。 その後、造園学研究のため欧米に留学。24年には、弱冠35歳で「東京高等造園学校(東京農業大学地域環境科学部造園科学科の前身)」を、また翌年には「日本造園学会」を創立している。 23年に関東大震災で東京の大半が焼失したため、復興には欧米のように緑の都市計画専門家(ランドスケープ・アーキテクト)が不可欠と考えたからであった。 「世界の公園や森とは違って、日本には日本式庭園や神社林、陵墓などの日本独自の造園がある」と上原は言う。 そこに共通するのは、生命力を実感させる永遠性や自然性、深い奥行きを感じさせる空間性や精神性である。
首都東京に再生された広大な神社林
造成前の神宮内苑用地は、70ヘクタール。 89%は雑草生い茂る荒蕪地だった。 ここに神宿る「永遠の杜(もり)」をどのように造成すればよいか。 それまでの神社林は恵まれた立地の自然林であって、大自然の力が「永遠の杜」を支えていた。 ならば、いかに自然林に近づけられるか。それが林学者3名の課題であった。
重要な役割を果たしたのは上原で、まず全国の代表的な、年代の異なる古社88社の現地踏査を行い、実測図を作成した。 また立ち入り禁止の仁徳天皇陵の森を観察。 日本の陵墓は、水をためる濠(ほり)をつくり、掘削された土を盛って前方後円墳を築造する大土木工事だが、表面を葺石(ふきいし)で蔽(おお)うだけで植樹はしないものであった。 にもかかわらず「何百年もの間、些(いささ)かの人工も加えず、原生林のような森厳性を保っている」ことを上原は実地に検証し、これこそ神社林の理想だと確信した。
それなら内苑を理想とすべき「永遠の杜」にするには何が必要か。 3名は次のような原則に従って林苑を造成することで植生遷移を進めればよいと考えた。
第一、林苑における社殿地と参拝者が移動する参道以外は、一体的で連続する樹林地(植栽地)とする。
第二、樹林地内は人の立ち入りを絶対に禁止する。
第三、神社林は多種の樹種で構成する。 政治家からは伊勢神宮のようなスギ林にすべきだと強く要請されたが、林学的な見地から、この土地は水分不足であり、隣接地を走る汽車の、煤煙により枯死するためスギは不適である。 さらに植栽樹木を自然林へと遷移させるために、広葉樹や針葉樹など多様な樹種を混ぜ、高木層・中木層・低木層と樹高を多層構造にする。 これは、上原によって行われた日本全国の天然林の観察から導かれたものであった。
第四、樹林地では落ち葉は積もり、落ち葉は微生物で分解されて腐葉土となる。また倒木にはキノコが生え、腐って土に戻ってゆく。 こうして樹林地の外に落ち葉や倒木を持ち出さなければ、樹林に肥料を与えなくとも、その栄養で植物は成長を続けていく。
第五、土中の水分と木漏れ日の光を受け、木の実は発芽し、倒木の後には別の木が育ち、樹林全体としては天然更新が進む。 こうして人の手を加えずとも、時間を経て自然林へと遷移していく。
当時は今日のような科学的な言い方はしなかったが、現代風に言えば、“物質の循環”と、昆虫、鳥類、小動物ら“生命の循環”によって、永遠に持続する森林を完成していこうという理論と具体的方法を100年以上も前に構築したのは驚くべきことだ。 こうした科学的合理性にもとづくシミュレーション「林苑の創設から最後の林相に至るまで変移(遷移)の順序の予想図」を作成し、植栽直後(I)50年後(II)、100年後(III)、150年後(IV)を見通したことに、ぜひとも注目していただきたいものである。
大都市の生物多様性を支える森
2013年に内苑の森の現状を報告書にまとめた。 同調査により、100年ほど前に全国各地から献木された約10万本の木を、植栽工事に参加するボランティアの青年たち延べ11万人の手で植えた森が、林相予想図の100年後、150年後の姿に間違いなく近づいていることが、第1次(1980年)、第2次の総合調査などとの比較で判明した。
東京首都圏は4000万人の無機的な巨大都市であるが、その都心に人の手で自然再生されたのが「明治神宮の森」である。 1924年、34年、70年、2013年の4回にわたり毎木調査を実施してきた。 第2次総合調査では林相など植物相のみならず鳥類、昆虫や魚類など動物相についても詳細に調べ、この森が大都市の中で生物多様性(Bio-diversity)を大きく支えている事実をも立証することができた。
スピード出世の柳沢吉保』の下屋敷は、現代では、アマチュアカメラマンにはたまらない庭園『六義園』です。 とにかく、四季を通じて、被写体と撮る時間を選り好みすると、その時間配分が大変です。
このアングル『大都会のコンクリートジャングル』の一角とは見えません。
鎮座100年の現在の姿
ウエブ情報から引用
明治神宮造営当時の大鳥居周辺
ウエブ情報から引用、
神宮の人工森は、当然ですが、鎮守の森で本物の森です。
近年、鎮守の森に対する関心が高まっている。 鎮守の森とは、神社の本殿や拝所、参道などを囲むように存在する樹林地で、本来は敷地内だけでなく、神社周囲の自然地帯を含む。また社寺林という言葉もあるように、寺院や沖縄の獄(ウタキ)のような場所も含み、一般に聖域とされる土地の植生全般を指す場合もある。
西日本から東日本太平洋岸にかけて多くが暖帯域に入り、しかも降水量が多い。そうした地域の環境では、照葉樹林が潜在自然植生だとされている。そして鎮守の森には、照葉樹林が非常に多い。 だから「鎮守の森=照葉樹林=潜在自然植生」という図式が生まれた。そして照葉樹林を「本物の自然」という主張が成されたのである。
以前、六義園を散策したときに、庭師の方から伺いました。『ここの黒松も、赤松も、今まで松くい虫に、一本もやられていない』そうです。 『何故かは、はっきり解からない』とのことでした。 ズブ素人の推測ですが、コンクリートジャングルの中に、隔離された庭園であり、かつ、高木・亜高木・低木・下草で構成された『本物の森』であったからでしょうか
『桃栗三年、柿八年』に続くのは、いろいろありますが、先ずは『柚子は九年でなりかかる』、『柚子は九年の花盛り』,『柚子の大馬鹿十八年』などと続くと言われます。 昔の人は、柚子にも豊かな観察眼を持っていました。 最近の人工物は『やっつけ仕事』が多いですね。
(記事投稿日:2023/08/06、#677)
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