知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『「兵馬俑の凄さのこと 1(日本と米国で半導体の結晶研究の志村史夫工学博士の著書「古代世界の超技術」の「世界第八の奇跡・兵馬俑の発見」』

2024-11-10 12:31:28 | 寺院・仏閣・神社・お社

『「兵馬俑の凄さのこと 1(日本と米国で半導体の結晶研究の志村史夫工学博士の著書「古代世界の超技術」の「世界第八の奇跡・兵馬俑の発見」』

『兵馬俑(兵士俑と馬俑)が文化大革命の中、偶然・奇跡的に、現代まで破壊されず、残されたことは、周恩来首相のお陰』

『周恩来首相の有名な一言「始皇帝陵の発掘は、発掘した後、発掘以前と同様に維持保全のできる技術が開発されるまでは、その発掘は許可しない」と。』

この本の著者のプロフィールの再掲載
1982年「シリコン単結晶中の不純物酸素および微小欠陥に関する研究」で名古屋大学工学博士(応用物理)。
1974年日本電気中央研究所、1983年モンサント・セントルイス研究所、1987年ノースカロライナ州立大学教授 (Tenure:終身在職権付) 。
物理学、半導体関係の専門書、教科書のほかに一般向け著書も多数あり、2002年(平成14年)日本工学教育協会賞・著作賞を受賞した。
半導体結晶が専門だが、古代文明、自然科学、基礎物理学、生物機能などに興味を拡げている

この方の、この著書について、ネット上には沢山の『感想・レビュー・コメント』が紹介されていますが、内容については、かなり納得された方々のものが多かったようです。

表題の著書の中の「世界第八の奇跡・兵馬俑の発見」から、古代世界の技術の高さと、これ程の規模の副葬品を造ったことの凄さを知りました。

始皇帝陵平面図
この著書の影響で、いろいろ調べて、ウエブ情報で、この『図面』を見つけた時に分かりました。 中国の古代遺跡のスケールの大きさと内容の豊富さです。 
図面の右中央部分に、小さく表示されているのは、兵馬俑坑の1~4号抗です。その一部の発掘から発見された『兵馬俑(兵士俑と馬俑)』の謎に、圧倒されています。

 ウエブ情報から引用

兵馬俑抗1号抗(兵士俑と馬俑)
(兵馬俑と始皇帝陵の全容と比較、始皇帝陵のスケールが分る)

ウエブ情報から引用

始皇帝陵から東へ約1.5km離れた距離にある陪葬抗。 これは1974年に村の住民が井戸を掘ろうとした際に発見したもの。 ここでは8000体の兵馬俑と大量の青銅器の武器が発見されました。「俑」とは、粘土で造られたもので、これは古代中国では死者と一緒に埋葬されていました。 かつては彩色されていたと考えられ、どれも顔つきが違うというのも特徴。

兵士俑と馬俑

ウエブ情報から引用
  • 始皇帝陵兵馬俑坑では、現在までに約8,000体の俑が確認されている。 兵士の俑にはどれ一つとして同じ顔をしたものはない。 
  • 兵士の俑のそれぞれに顔料で彩色がされていたこともその後の発掘調査で判明。 
  • 指揮官・騎兵・歩兵と異なる階級や役割を反映させた造形は、始皇帝麾下の軍団を写したもの。
  • 兵馬俑の軍団は東方を向いており、旧六国を威圧したものとみなされている。
  • 来世へと旅立った始皇帝の為に造設されたこの遺跡は、身を守る軍隊だけでなく宮殿のレプリカや、文官や芸人等の俑も発掘されている。
  • 生前の始皇帝の生活、そのものを来世に持って行こうとしたと、考えられている。

俑の種類
  • 武士俑(兵士俑、歩兵俑)
一般的な兵士をかたどったもの、平均身長は約180㎝。 軍団の主体を構成しており、兵馬俑坑から出土した数は最も多い。 

  • 御手俑(御者俑)
兵馬俑坑1号坑では、随所に4頭立ての陶製馬の引く木製の指揮用戦車がみられた。戦車の後方には3体の俑が並べ置かれたが、そのうち中央か左側に立つのが御者俑である。

  • 立射俑
兵馬俑坑2号坑の東部で出土し、武器として弓を所持していた。後述する跪射俑とともに弓弩兵の四方戦陣を構成しており、陣の外側に配置されている。

  • 跪射俑
前述の立射俑と同様に、2号坑の東部で出土し、武器として弩を所持していた。跪射俑は左膝を曲げて立て、右膝を地につけた形状が特徴的である。

  • 騎兵俑
騎兵と馬に分けられて作られている。

  • 将軍俑
兵馬俑としても数が少なく、出土したものは10件に満たない。 戦袍を着た将軍と鎧を着た将軍の2種類がみられ、いずれも頭の髷の上に鶡冠を載せている。

  • 軍吏俑

  • 文官俑
裾の長い上衣を着て、頭に冠をつけ、腰には小刀と砥石をぶらさげて携帯している。

  • 百戯俑(力士俑)
でっぷりと肥った腹部と逞しい筋肉をもつ男性の俑。

  • 楽士俑
足を伸ばして座り、足の上の何かを操作する男性の俑。船を漕ぐ人という説もある。

志村史夫博士が指摘された『世界第八の奇跡の発見』・『兵馬俑(兵士俑と馬俑)』の凄さです。

  • 兵士俑の兵士俑のすさまじいまでの数8000体、『等身大』といわれる平均で100㎝、大きな傭では195㎝、重さ200㎏超。 『等身大』の、当初のリアルに彩色されていた大量のテラコッタはどのように作られたか?

❶輪にした帯状の粘土板を積上げ、下半身や胴体を作る。 内部は中空、焼成の際にこの空洞が必須
❷頭部、腕、手、肩などの末端部を型に嵌めて作る
❸すべてを陰干した後に、各部を組み合わせる
❹頭部、顔、鎧などの細部を彫刻する(この段階で、個性豊かな“一人一人”
の兵士傭となる)
❺頭部を胴体の首部にはめ込む
❻炉に入れて焼成する
❼彩色する

  • 兵馬俑2号坑で発見された全身彩色豊かな跪射俑(左膝を曲げて立て、右膝を地につけた形状が特徴的)の復元図

ウエブ情報から引用

彩色は自然鉱物顔料によって行われているが、顔料の”乗り”をよくするために、テラコッタ(粘土の素焼き)表面には下地として黒い生漆(きうるし)が塗られている。

繰り返しですが、兵馬俑(兵士俑と馬俑)が文化大革命の中、偶然・奇跡的に、現代まで破壊されず、残されたことの、大きな要因には周恩来首相がおられたからこそと感慨深く思い出しました。 周恩来首相の有名な一言『始皇帝陵の発掘は、発掘した後、発掘以前と同様に維持保全のできる技術が開発されるまでは、その発掘は許可しない』と。
  (記事投稿日:2024/11/10、#976)
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