『大ピラミッドのこと 13-2(2013/12/30テレ東の「古代エジプト”新世界七不思議”」見て、増々その凄さと不思議が残った!) 』
『玄室「王の間」、「女王の間」やそれらに至る通路にも壁画などの装飾は全く見当たらない。 花崗岩の壁が続くだけ。 何故!』
『縄文時代の三内丸山遺跡の大人の墓(土坑墓)と比較、驚き!』
日本の縄文時代に、エジプトでは230万個のキューブ石を、傾斜52度で接着剤なしで、202段、高さ146.6m(現在の高さ138.8m)積上げ、その上に、磨き上げて碑文を彫った高さ4~8ⅿの数トンの四角推のキャップストーン(ベンベン石)を載せて、さらには、歴史上100基以上のピラミッドの中で一基『クフ王のピラミッド』だけに、物凄い、複雑な内部構造の設計・建造をしています。
古代エジプト王国の墓所・神殿建造物の形式推移は再掲載、
- BC2600-BC1800ピラミッド複合体(墓所と神殿)
(約千年続き、真ん中が全盛期の三大ピラミッド、以後は衰退)
↓
- BC1600-BC1100カルナック神殿複合体(神々のすむ場所)
↓
- BC1500-BC1000王家の谷(岩窟地下墓所群)、とありますが、
それでも、やはり、凄いのは、ピラミッド建造の歴史約800年の、ほぼ真ん中が最盛期で、その構造・技術・規模が最高であったクフ王の大ピラミッドです。
エジプトのクフ王のピラミッドは、約4,500年前に建造された世界最大規模の石造建築物です。 クフ王のピラミッドは、同時期に建造された他のピラミッドと比べて、非常に複雑な内部構造を有しています。 ピラミッドの内部構造は、王の間、女王の間、地下の間が1m程度の通路でつながれており、中心部には王の間へ通じる大回廊と呼ばれる巨大な空間があります。 さらに、ピラミッドの北側には、クフ王のピラミッドにしか見られない『シェブロン』と呼ばれる特徴的な切妻構造の石組みが見られます。 『シェブロン』は、建造当時は、ピラミッドを覆う化粧石に覆われていて外見からは確認できない構造であったと考えられています。 シェブロンの下には、建造当時のピラミッドの入り口が確認されており、その通路は地下の間へ向かうことから下降通路と呼ばれています。 現在、観光客は、この通路からピラミッドの内部へ入ることは出来ず、アルマムーンの通路と呼ばれる、後世にアルマムーンにより空けられた別の水平通路から入り、上部へと続く上昇通路を通り、大回廊を抜けて王の間を見学することができます。
ピラミッドの歴史上100基以上のピラミッドの中でクフ王の大ピラミッドだけの画期的内部構造
『縄文時代の三内丸山遺跡の大人の墓(土坑墓)と比較、驚き!』
ウエブ情報から引用
大ピラミッドの内部は、多くのピラミッドの中でも特異な構造をしている。 この構造は当初からの計画であったか、あるいは、いくたびかの設計変更が加えられたのか、諸説あるが結論は出ていない。 ボルヒャルト・ルートヴィヒは最初に玄室に計画されたのが地下室で、次に女王の間、最後に王の間と3段階に計画が変更されたとしている。 これに反対し単一の計画で作られたとする研究者にはヴィート・マラジョッリョやライナー・シュターデルマンらが居るそうです。 この論争の決着はいつになるのでしょうか。
シェプロン(切妻構造で構成された空間)は、キューブ石と、その上に化粧石で蓋、シェプロンは重力軽減の間の上や、通路入り口に!
ウエブ情報から引用
ピラミッドに取り付かれて10数年になりますが、結局、沢山の謎と不思議が残りました。 残り短い余生ですが、まったく退屈せずに過ごせそうです。
ピラミッドには未だに謎が多い。というよりも、ほとんどが謎と言って良いだろうと思います。 ウエブ情報にこうありました。 素直に納得です。
『「ピラミッドは古代エジプト王の墓である」と思っている方が多いのではないであろうか。 しかし、実際に内部を見てみるとこの説は俄かには信じ難く成ってくる。 全く装飾性というものが見当たらないのである。 玄室と言われる「王の間」、「女王の間」やそれらに至る通路にも壁画などの装飾は全く見当たらない。 花崗岩の壁が続くだけである。実際にミイラが見つかっているルクソールの王墓とは全く対照的である。では、ピラミッドとは何なのだろう?
元々、ピラミッドは白い石灰岩の化粧石で覆われていたそうである。 化粧石のほとんどは後の世に持ち去られてしまったそうだが、大ピラミッドの底部に一部残存している。 建造当時、ピラミッドは白く光り輝いていたのであろう。その光景を想像してもらいたい。 古代の人々はそれを見て何を感じただろうか。 目の前にある巨大なピラミッドから放たれるパワーを感ずるのではないだろうか。(これが4500年前の日本の縄文時代と同じ時代の建造物です)
元々、ピラミッドは白い石灰岩の化粧石で覆われていたそうである。 化粧石のほとんどは後の世に持ち去られてしまったそうだが、大ピラミッドの底部に一部残存している。 建造当時、ピラミッドは白く光り輝いていたのであろう。その光景を想像してもらいたい。 古代の人々はそれを見て何を感じただろうか。 目の前にある巨大なピラミッドから放たれるパワーを感ずるのではないだろうか。(これが4500年前の日本の縄文時代と同じ時代の建造物です)
ウエブ情報から引用
では、そのパワーの源は?「王の墓」であればそれは先代の王かもしれないが、ちょっとパワー不足だろう。 当時の太陽信仰から考えると、それは「太陽」と考えるのが妥当ではないか。 太陽のパワーを内部に蓄え、それをエジプト全土、あるいは世界中に放射する装置としてピラミッドを建造したのではないだろうか。 この様なパワーを内部に蓄える (と主張する) ためには何らかの相応な宗教儀式が必要になる。 その儀式を執り行うのは王であろう。 儀式を通して、結局、ピラミッドは「王の威光」を象徴する存在と成ったのではないだろうか。
以上の様に考えると装飾性の欠如は自然に理解できる。 重要だったのは外観で、内部はどうでも良かったのである。 ともかく高くて巨大な建造物を作りたいと考えた古代人のたどり着いた解答がピラミッドなのではないだろうか。』
まさに大ピラミッドの謎よ『永久』です。
(記事投稿日:2024/01/02、#713)
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