知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『日本は・日本人は凄い 2(プロジェクトX 挑戦者たち「東京タワー建設」)』 ―東京タワー 恋人たちの戦い  世界一のテレビ塔建設・333mの難工事―

2021-04-14 12:01:18 | 技術

『日本は・日本人は凄い 2(プロジェクトX 挑戦者

 たち「東京タワー建設」)』

 『東京タワー 恋人たちの戦い  世界一のテレビ塔建設・

 333mの難工事』

 

1961年ごろの東京タワー(エッフェル塔と同じ、トラス構造は美しい)

ウイキペディアより引用

 1958年(昭和33年)、自立鉄塔としてはエッフェル塔を超え世界一の高さとなる、地上333メートルの総合電波塔「東京タワー」(正式名称:日本電波塔)が完成した。 

  NHK総合テレビ放送された「プロジェクトX 挑戦者たち」。 熱い情熱を抱き、使命感に燃えて、様々な困難を乗り越え"夢"を実現させてきた「無名の日本人」たちの姿は、全国で感動を呼び、社会現象にもなった。

 

この番組の(再)放送の中で、感激したのは、

とび職のリーダー『ぼうしん』(棒芯)の方の工事期間中の写真でのお見合いと、アンテナ部(80ⅿ)設置完了の翌日にご結婚、 

 

 棒芯(ぼうしん)とは、日本の建設業界等の慣例的用語で、現場で作業に当たる各職種それぞれの技能工集団の統率者のことを言う。 技能工の移動により流布したもので、語源、出自は明らかでない。 「棒の芯」であり、技能工集団の中心部であることからこう呼ばれ、一般に施工班(職人)の親方の事である。

 

東京タワー完成後に、ご結婚された現場監督の方の、工事期間中の恋人への万年筆での達筆なレター100通以上が、素晴らしい。

 

 更にありました。

台風(最大風速・秒速17ⅿ以上)並みの風速・秒速15mの中で、その暴風が息をついた瞬間を見逃さずに、アンテナ部(80ⅿ)の吊り上げ設置を成功させた。 その時の掛け声が『ゴーヘイ』でした。

 ゴーヘイ』とは、つり荷を巻上げの合図で使われます。 語源は「巻け」を意味するgoahead(ゴーアヘッド・ゴーサイン[OK]を出す)から来ているそうです。 

  実際に「ゴーヘイ」「 由来 」「方言」で検索してみると「ゴーヘイ」が船を前進させる意味として徳島や熊本の方言として使われているようです。 おそらく九州、四国ではそのまま方言として使われていたと思います。 船を前進させるという意味なら海軍での「ゴーヘイ」はつじつまが合います。 船の指示がクレーンの指示に適用され、玉掛け、クレーンでも方言を使っているのではないかと思います。 多分使われ始めたのは、江戸時代の終わりごろのことでしょうか。

go ahead(ゴーアヘッド・さあどうぞ)もあります。

逆に、巻下げは「スラー(スライ)」。 語源は 「下げ」を意味するslack away (スラックアウエイ)やslacken(スラッケン) が変化したものといわれています。

言語は、奥が深く楽しい。

                      (20210414纏め、#314)

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『COVID-19との長期戦に備えて 1(参考にすべき国々と比較 37)』―PCR検査で陽性者の把握と、『率先自主隔離とお願い隔離』の継続徹底を―

2021-04-12 23:35:42 | 政治・経済

『COVID-19との長期戦に備えて 1(参考にすべき国々と比較 37)』

―PCR検査で陽性者の把握と、『率先自主隔離とお願い隔離』の継続徹底を―

 

 今、一番重要なことは、最近数カ月の日本の数値、PPM値(100万人あたり)で、『感染者数推移』、『死者数推移』、『PCR検査数推移』、『ワクチン接種人数推移』を、西欧と東アジアの主要国との比較を、公開して、国民の皆様に、日本の現状を理解いただき、対策徹底をしてもらうことです。 特に、今後の『ワクチン接種人数推移』と『感染者数推移』の推移が心配です。

 

COVID-19のSARS-Cov-2変異株の影響が、出始めました。 データ不足ですが、ドイツ、インド、韓国、日本が 心配です。 SARS・MERSの経験がある東アジアの台湾・韓国と比較してみると日本の実態は、かなり厳しい状態にあると思います。 

 

COVID-19をSARS・MERSに比較

   

 

SARS

MERS

COVID-19 

感染者数/死者数

 8,096 / 774

2,494 / 858

13.586.9万人/
293.5万人
20210411現在

潜伏期間

2-10日(平均5日)

2-15

1-14
(202101
16現在)

感染経路

飛沫感染 
接触感染 
(糞口感染)
(空気感染)

不明
(現在調査中) 

飛沫感染
接触感染

致死率(全体)

約9.6%
(20030930現在)

症例致死率
34.4%
(20191130現在)  

 約2.16%(微減)
20210411現在

致死率(年齢別)

34歳未満: 1%
25-44歳: 6% 
45-64歳: 15%
65歳以上:50%以上

不明

不明

終息時期

最初の患者から 
8カ月後

 現在も終息に
至っていない

不明

 

  • 人口100万人あたりのCOVID-19の感染者数推移(東アジアの4カ国)

『人口100万人あたり感染者数、いわゆるPPMベースで韓国の2.16倍(前月2.14倍から微増)、台湾の145.3倍(172.3倍から減少)』

 

  • 人口100万人あたりのCOVID-19の死者数推移(東アジアの4カ国)

 

第四波に備えて、『PCR検査で陽性者の把握と、「率先自主隔離とお願い隔離」の継続徹底を』、

 

人口100万人あたりのCOVID-19の感染者増加率・死者数推移(11ヶ国と世界)『頭打ち直前です。』 ここで定量的把握を強化して、日本もアジアで抑え込んだ国になって貰いたいです!

 

 

4月11日のデータで更新しました。

 

人口100万人あたりのCOVID-19の感染者増加率(11ヶ国と世界)

  中国 台湾 日本 韓国 インド スウェーデン ドイツ 英国 米国 ブラジル 南ア 世界
2002 55 1 2 57 0 1 2 1 0 0 0 11
2003 57 13 15 191 0 399 739 571 497 22 23 104
2004 58 18 111 210 24 2,010 1,899 2,633 3,142 368 95 403
2005 58 19 133 224 132 3,675 2,166 3,794 5,349 2,188 551 771
2006 59 19 147 250 411 6,700 2,319 4,201 7,826 6,437 2,550 1,314
2007 61 20 267 279 1,188 8,931 2,491 4,490 13,579 12,279 8,316 2,219
2008 62 20 537 389 2,624 8,341 3,184 4,980 18,171 18,171 10,573 3,243
2009 62.91 21.58 656 464 4,511 9,223 3,452 6,715 21,725 22,476 11,370 4,333
2010 63.48 23.26 794 517 5,896 12,779 6,192 14,948 27,333 25,953 12,232 5,866
2011 64.55 28.34 1,178 676 6,857 24,074 12,770 24,066 40,910 29,808 13,320 8,118
2012 66.67 33.55 1,864 1,205 7,440 43,308 21,013 36,771 60,326 36,112 17,825 10,703
2101 69.52 38.25 3,085 1,531 7,795 56,138 26,564 56,391 79,109 43,304 24,512 13,137
2102 70.15 40.10 3,416 1,756 8,052 65,085 29,245 61,704 86,339 49,639 25,517 14,639
2103 70.68 43.25 3,753 2,021 8,856 79,697 33,940 64,225 92,026 59,977 26,103 16,536
2104 71.31 46.33 4435 2367 11103 93879 39425 65144 98097 69386 26578 18980

 

      10月度   11月度  12月度    1月度      2月度    3月度   4月末予想

      前月末比 前月末比 前月末比 前月末比 前月末比 前月末比 前月末比

ドイツ    179%   206%   165%   126%  110%      116%  116%

スウェーデン 139%   188%   180%   130%  116%   123%  118%

英国     223%   161%   153%   153%     109%      104%  101%

米国     126%   150%   147%   131%     109%      107%  107%

ブラジル   115%   115%   121%   120%     115%   121%  116%

台湾     105%   122%   121%   114%  105%      108%  107%

中国     100%   103%   103%   104%     101%      101%  101%

韓国     111%   131%   178%   127%  115%      115%  117%

日本     121%   148%   158%   166%     111%      110%  118%

インド      131%   116%   109%   105%  103%       110%  125%

南ア       108%   109%         134%   138%       104%         102%  102%

世界     135%   138%   132%   123%  111%         113%  115%

 

人口100万人あたりのCOVID-19の感染者数推移(東アジアの4カ国)

  中国 台湾 日本 韓国
2002 55 1 2 57
2003 57 13 15 191
2004 58 18 111 210
2005 58 19 133 224
2006 59 19 147 250
2007 61 20 267 279
2008 62 20 537 389
2009 62.91 21.58 656 464
2010 63.48 23.26 794 517
2011 64.55 28.34 1,178 676
2012 66.67 33.55 1,864 1,205
2101 69.52 38.25 3,085 1,531
2102 70.15 40.10 3,416 1,756
2103 70.68 43.25 3,753 2,021
2104 71.31 46.33 4435 2367

 

 

 

人口100万人あたりのCOVID-19の死者数推移(11ヶ国と世界)

  中国 台湾 日本 韓国 インド スウェーデン ドイツ 英国 米国 ブラジル 南ア 世界
2002 1.97 0.04                   0.37
2003 2.31 0.04 0.44 3.18   14.46   36.19 9.58 0.75   4.96
2004 3.22 0.25 3.28 4.84 0.78 243.78 75.05 394.1 184.19 25.72 1.74 29.23
2005 3.22 0.29 7.04 5.29 3.74 435.18 101.45 552.79 313.54 135.65 11.52 47.41
2006 3.22 0.29 7.69 5.51 12.61 525.78 107.11 596.28 381.08 274.34 44.81 64.42
2007 3.24 0.29 7.93 5.87 25.91 568.26 109.11 607.99 459.42 429.35 134.97 85.74
2008 3.28 0.29 10.11 6.32 46.72 577.86 110.98 612.63 553.07 568.44 238.57 108.66
2009 3.29 0.29 12.37 8.06 70.65 580.14 113.24 622.12 580.14 672.38 282.15 129.46
2010 3.29 0.29 13.88 9.05 88.15 590.34 127.45 687.11 693.98 750.27 325.01 151.74
2011 3.30 0.29 16.41 10.26 99.72 661.53 199.25 862.40 809.80 814.45 363.11 188.39
2012 3.32 0.29 26.03 17.89 107.78 864.12 403.31 1,084.49 1,044.51 917.15 480.01 233.25
2101 3.35 0.34 45.49 27.79 111.88 1,147.71 682.27 1,566.85 1,333.28 1,056.19 744.65 284.33
2102 3.36 0.38 62.38 31.31 113.88 1,269.99 837.30 1,813.08 1,550.72 1,199.39 842.93 324.80
2103 3.36 0.42 72.39 33.84 118.06 1,333.26 914.13 1,870.12 1,667.88 1,512.59 891.03 361.22
2104 3.36 0.53 77.00 35.69 130.61 1,375.40 976.31 1,884.93 1,750.22 1,918.33 912.93 403.14

 

ブラジルとインドの増加が心配です。

 

         10月度  11月度    12月度   1月度        2月度         3月度    4月末予想

                     前月末比  前月末比 前月末比  前月末比 前月末比 前月末比 前月末比

ドイツ    110%  156%   202%      169%         123%        109%  107%

スウェーデン 102%  112%   131%    132%   111%   105%  103%

英国     110%  126%   126%       144%        116%        103%  101%

米国     112%  117%   129%   128%       116%        108%  105%

ブラジル   112%  109%           113%        115%   114%       126%  127%

台湾     100%  100%   100%   117%         112%      111%  126%

中国     100%  100%   101%   101%   100%       100%  100%

韓国     112%  113%   174%   155%   113%       108%  105%

日本     112%     118%   159%        175%   137%        116%  105&

インド               125%  113%   108%   104%   102%        104%  111%

南ア     115%  112%   132%   155%    113%        106%  102%

世界     118%     124%           124%   122%      114%        111%   111%

 

人口100万人あたりのCOVID-19の死者数推移(東アジアの4カ国)

  中国 台湾 日本 韓国
2002 1.97 0.04    
2003 2.31 0.04 0.44 3.18
2004 3.22 0.25 3.28 4.84
2005 3.22 0.29 7.04 5.29
2006 3.22 0.29 7.69 5.51
2007 3.24 0.29 7.93 5.87
2008 3.28 0.29 10.11 6.32
2009 3.29 0.29 12.37 8.06
2010 3.29 0.29 13.88 9.05
2011 3.30 0.29 16.41 10.26
2012 3.32 0.29 26.03 17.89
2101 3.35 0.34 45.49 27.79
2102 3.36 0.38 62.38 31.31
2103 3.36 0.42 72.39 33.84
2104 3.36 0.53 77.00 35.69

第四波と、将来の感染症に備えて、この度の『後手に回った新型コロナ感染症対策』の経済へのマイナス影響の分析を、スパコン『富嶽』で、是非やってほしいと思っています。 

 

今までは、各方面・分野で『喉元過ぎれば…』で世界中に後れをとっている事例が日本では、多々ありますので。 台湾までとは言いませんが韓国並みに『人口100万人あたりの感染者数』を抑え込んでいたら、と思います

  (20210412纏め #313)

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『世界の城郭 17(コンウィ城がラピュタの城のモデル)』 ―優雅な姫路城(白鷺城)の姉妹城となった好対照で無骨・堅固なコンウィ城―

2021-04-12 13:54:18 | 城・城郭・城塞

『世界の城郭 17(コンウィ城がラピュタの城のモデル)』

優雅な姫路城(白鷺城)の姉妹城となった好対照で無骨・堅固なコンウィ城―

  殆ど同時代に完成した、この二つの対照的(武骨と優雅)な城郭を姉妹城に決めたことに、ただ感心しております。 コンウィ城は、1294年にウェールズ軍に包囲されると、エドワード1世は海軍の応援が着く翌年まで篭城の実戦経験が一回だけ、又姫路城は優雅な堅城ですが、実戦の経験はなく、両方とも良き時代の城郭です。

堅城 コンウィ城(1283年~1287年)

ウキペデイアから引用

 英国で最もよく保存された中世の街の、コンウィ城は、姫路城の姉妹城で、エピソードも沢山あります。 この城は1283年から1287年に建てられ、この地域の防衛のためにできたので、砦としての軍事的な役割が大きかった城で、 建てられてから700年以上経った今では、屋根が無くなり外壁と8つの塔が残されています。

 

1300年ころのコンウィ城予想図

ウキペデイアから引用

 

優雅 姫路城(1333年~1346年)

ウキペデイアから引用

 シラサギが羽を広げたような優美な姿から「白鷺城」の愛称で親しまれる姫路城。 白漆喰総塗籠造りの鮮やかな白の城壁や5層7階の大天守と東、西、乾の小天守が渡櫓で連結された連立式天守が特徴です。

 

描かれたコンウィ城

 イギリス、ウェールズ北部の都市コンウィにある城。 13世紀、イングランド王エドワード1世がウェールズ遠征の拠点として築いた城は8本の円塔と外壁が残り、1986年、カーナーヴォン城、ビューマリス城、ハ―レフ城とともに「グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁」として世界遺産に登録された。 イギリスの画家、ターナーほか、この城を描いた作品が数点あります。

 

ターナーの「コンウィ城」

 

城の絵‼、ターナーの「ノラム城の日の出」

(モネ「印象・日の出」に影響を与えた)

 

モネの「印象・日の出」

 以前(20180609)の BS 放送『モネの「印象・日の出」に 影響を与えたターナー』で紹介された、英国の画家ターナーの作品には驚かされました。  この度は、『コンウィ城がラピュタの城のモデル』ということで調べていたら、『モネの「印象・日の出」』にまでつながりました。

                    (20210412纏め #312)

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『「護天涯」の碑、立山カルデラの土砂災害から富山湾の深さ維持』 ―維持された富山湾の深さが深海性・回遊性ホタルイカを呼ぶ―

2021-04-11 10:12:39 | 地球・火山・地震・津波

『「護天涯」の碑、立山カルデラの土砂災害から富山湾の深さ維持』

『維持された富山湾の深さが深海性・回遊性ホタルイカを呼ぶ』 

  いくら憬れても非力な山男には、縁が遠かったのは『穂高連峰の岩壁』であり剣・立山の岩壁』で、これらは『夢のまた夢』の世界でした。 時は経ち、世界的な規模のカルデラが沢山ある日本の中で、急峻な山岳地帯の立山連峰の立山にある立山カルデラ(南北約5km、東西約7km)を知りました 

 世界には、『噴火の冬・氷河期』を起させるほどの、巨大火山噴火の痕跡・カルデラはあります。 トップ5;)

❶南北約70km、東西約50km  米国のイエローストーンカルデラ

➋南北約100km、東西約32km  インドネシアのトバカルデラ 

❸南北約32km、東西約37km  日本大崩山(コールドロン))

❹南北約26km、東西約20km  日本の屈斜路カルデラ

❺南北約25km、東西約18km  日本の阿蘇山カルデラ

これらに続くのは、南北約11km、東西約8km日本の箱根カルデラです。 

 以前、立山カルデラは約10万年前の称名滝火砕流を噴出する噴火によって形成された陥没カルデラであると考えられていたが、現在では浸食カルデラであると考えられているほど、この浸食による土砂・土石流との闘いは大変であったと想像がつきます。

 

護天涯

 天涯とは「天のはて、極めて遠く隔たったところ」という意味です。 この碑は、富山平野の土砂災害を防ぐために人里を離れた立山カルデラを守ることは、あたかも地の果て天涯を守ることに通じる、という意味で使われており、大正4年、当時の浜口恒之助知事により刻まれました。

ウキペデイアから引用 

 立山(たてやま)は日本の飛騨山脈(北アルプス)北部、立山連峰の主峰で、中部山岳国立公園を代表する山の一つであり、雄山(おやま、標高3,003 m)、大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m)、富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)の3つの峰の総称で、雄山のみを指して立山ということもあるが、厳密には立山連峰に立山と称する単独峰は存在しない。 剱岳、鹿島槍ヶ岳、唐松岳とならび、日本では数少ない、氷河の現存する山と知られています。 

 昔、山岳部で『ヤマヤ』だったころに憬れの『立山連峰の剣・立山』は高望みせず『後立山連峰』の代表的な山々を、一番天候に恵まれた初夏に、白馬岳から鹿島槍に縦走をしたことがありました。 白馬岳は、お世話になった会社の厚生課が主催した夏季行事の『白馬岳登山』を山岳部で支援し、その後、山岳部は厳冬期に鹿島槍北壁をアタックする計画があり、その偵察で鹿島槍への縦走でした。 

 表題の立山カルデラある『立山』が『立山連峰の本家』で、壮大で関東から見れば『立山連峰』は分家のように感じていました。 理由は『立山連峰』飛驒山脈の北東部,黒部川中流部(黒部峡谷)の東側を南北にはしる連峰で,主稜線が長野県と富山県の県境をなし、名称は富山県側からみて立山連峰の『うしろ』にあることです。

 

白馬岳付近から望む立山連峰

右後方に霞んでいるのが白山、ほぼ中央左寄りに剣岳と、その左に別山と立山、

立山と別山の間の大きな雪渓が立山カルデラ

ウキペデイアから引用

 

立山連峰遠景(中央の大きな窪みが立山カルデラ)

ウキペデイアから引用

 

立山火山(弥陀ヶ原火山とも)の地形図

左へ伸びる平坦部が弥陀ヶ原…中央右の窪地が立山カルデラ

ウキペデイアから引用

 

立山砂防(富山湾を土砂からきれいに・深いを維持)

 安政5年(1858)2月26日の八つ時(新暦4月9日午前2時ころ)、跡津川断層の活動によるマグニチュード7.0~7.1の大地震が飛越地方を襲いました。 この地震で、立山カルデラは大鳶・小鳶の両山をはじめとして各所で崩壊し、その土砂が常願寺川の上流をせき止めました。 

 一般の被害はおよそ100カ村に及び、全壊家屋140~150戸、半壊家屋300~400戸と伝えられています。そのほか、城の石垣や家の壁、土蔵や土塀が崩れるといった被害や、地割れ、水の噴き出しなども記録されています。 それ以来、富山藩・富山県は砂防事業に尽力をしてきました。 

 明治39年から富山県が工事を開始したが、度重なる災害のため、大正15年から内務省(当時、その後建設省)による国直轄事業になりました。

 ウキペデイアから引用

自然;巨大カルデラと地震と砂防との共存は大変です。

(記事投稿日:2021/04/11、#311)

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『船舶設計技術者の著書から「元寇と神風」の謎に興味津々! 1』 ―最近のノルマンディー上陸作戦迄は史上最大の上陸作戦は元寇・弘安の役―  

2021-04-07 23:36:12 | 歴史・日本

『船舶設計技術者の著書から「元寇と神風」の謎に興味津々! 1』

        ―最近のノルマンディー上陸作戦迄は史上最大の上陸作戦は元寇・弘安の役―

 

最近、巡り合った本ですが、船舶設計技術者・播田安弘著『日本史サイエンス』―蒙古襲来、秀吉の大返し、戦艦大和の謎―、でした。 この中に、魅かれたキャッチフレーズがありました『蒙古軍は、なぜ一夜で撤退したか』、『ジャイアント・キリング、弱者が強者を制する、いわゆる番狂わせ』と。

 

 モンゴル帝国の最大版図も東欧までで、西欧、ドーバー海峡の先の島国グレートブリテンまでは拡大できませんでした。 この巨大な帝国は、四ハン国、❶ジョチ・ウルス、❷チャガタイ・ウルス、❸フレグ・ウルス、❹大元ウルスの領域国家である、ゆるやかな連邦体制に移行した。 騎馬民族・大元ウルスが、江南・高麗の歩兵を大動員しても、東シナ海、玄界灘を渡海しての日本上陸作戦は無理だったようです。

 

博多湾(蒙古軍の上陸作戦失敗)

蒙古軍の元寇の上陸作戦が『文永・弘安の役』の二度とも失敗したのが博多湾です。 時代が違うと言え、博多湾上陸作戦の海岸は、ノルマンディー海岸・九十九里海岸のような遠浅で広大な地形と全く違います。

 ウエブ情報から引用

ノルマンディー海岸(連合軍が上陸作戦成功)

『上陸作戦』で思い出すのは『WWⅡ ノルマンディー上陸作戦』です。 ノルマンディー海岸は、遠浅で海岸線の長さはおよそ70㎞を連合軍は選択しました。 

 

ウエブ情報から引用

九十九里海岸(米軍が上陸作戦計画した上陸地点)

更に驚いた偶然の一致は、米軍が東京へ侵攻(史実は、その前に無条件降伏で実行はされず)を計画した海岸は東京湾ではなく、千葉県の九十九里海岸、遠浅で長さも、66㎞でした。

ウエブ情報から引用

 文永・弘安の役の博多湾は海岸が複雑に入り込んだリアス式海岸で、湾は浅く、海底が複雑な地形でした。

 

文永の役・弘安の役

『元寇』(文永の役・1274年旧暦10月晩秋、弘安の役・1281年旧暦6月初夏)と『神風』のことは、歴史の教科書よりも、映画や小説であまりにも良く知られておりますが、実際には、失敗は複合原因であったようです。 蒙古軍が撤退したのは、『神風(発達した低気圧の季節風と台風)』だけではなさそうと、いつも頭の隅っこにありました。 (勝因を鎌倉武士ではなく『神風』にしたかったのは朝廷と寺社勢力にあったようです。 昭和の大戦中は、皆ご存じのように「神風に期待」は特に酷かったようです。 因みに遣隋使・遣唐使は、『盛夏季に、北太平洋高気圧(但し西縁)に覆われ、比較的穏やかな南東風 と晴天が続く時期』に渡航した。

 

文永の役、

ウエブ情報から引用

1274年 文永の役の鳥飼潟の戦い(『蒙古襲来絵詞』)

 

『神風』説

文永の役は台風シーズンからは外れていたようで、『神風』は台風でも温帯低気圧はなかったようです。 旧暦10月晩秋はユリウス暦・グレゴリオ暦でも11月中・下旬になり、台風ではなくこの季節に玄界灘に吹く暴風雨であったと想像できます。 厳しい冬の季節風の前に撤退したのが真相でしょうか。

 

『威力偵察』説

兵力数十万を動員した『弘安の役』に対して、『文永の役』の動員数は、数万であったために、『威力偵察説』が提唱されていますが、数万の上陸作戦が『威力偵察』であったとは、考えられません。 元・高麗軍3万は対馬、壱岐を襲うと10月19日、博多湾に集結。 翌20日には分散上陸を開始し、日本の武士団と壮絶な戦いを演じました。

 

 

弘安の役

ウエブ情報から引用

1281年 弘安の役の御厨海上合戦(『蒙古襲来絵詞』)

 

1281(弘安4)年 、元軍は東路軍(兵4万、兵船900艘)、江南軍(兵10万、兵船3500艘)の二手に分かれて、日本侵攻に向かいました。  朝鮮半島を発した東路軍が先に日本に着き、5月21日に対馬に、6月6日には博多の志賀島に上陸します。

 

これに対し日本の武士団は、関東から動員された者も含めておよそ6万5000。侵攻に備えて築いた防塁に拠り、敵を睨みました。そして夜に入ると、日本の将兵は果敢に小船で夜襲を仕掛け、敵兵船に斬り込みます。 敵の首をあげ、兵船に火をかけて暴れまわれました。

 

一方、元軍(東路軍)は、昼間は防塁に拠る日本軍を攻めあぐね、夜には夜襲を受けて消耗し、主力軍の江南軍の到着を待ち望みます。 その江南軍の大船団がようやく姿を現わしたのは、6月の末でした。 東路軍と江南軍が合流し、14万もの大軍勢となった元軍は、6月27日、肥前の鷹島に集結。 いよいよ上陸して本格的な侵攻を始める準備7月下旬までに整えます。 日本軍も激戦となることを覚悟したことでしょう。

 

ところが閏7月1日(現在の8月23日)の夜のこと。 猛烈な台風が九州を襲い、鷹島に集結していた兵船は、風雨に翻弄されて大破、次々と荒波に飲み込まれていきます。 4000艘もの兵船はほぼ全滅し、14万の元軍将兵の約80%が海中に没しました。これでは日本侵攻どころではなく、辛うじて沈没を免れた兵船は撤退するより他はなくなります。 また鷹島に取り残された元の将兵は、ことごとく日本軍に討たれることとなりました。

 

かくして日本は、元の本格的侵攻を撃退することに成功しました。 台風を「神風」と呼んだのも、この状況下では当然だったのかもしれません。 もっともこの時点ではまだ元は日本征服を諦めたわけではなく、鎌倉幕府は臨戦態勢を解くことはできません。 それによる御家人の負担と、恩賞の少なさが、やがて幕府への強い不満につながっていくことを思うと、元寇はやはり大きな影響を日本の歴史に及ぼしたといえそうです。 元王朝も元寇の後は衰退に向かいます。

 

特に、元寇・弘安の役が、これほど大規模であったことを本当に理解できていませんでした。 時代はずっと後になり現代で、兵站用の艦船と装備の発達が全く異なりますが、『史上最大の作戦・WWⅡノルマンディー上陸作戦』のスケール・動員兵員数は1,332,000人余、守るドイツ軍は380,000人余でした

ウエブ情報から引用

 連合軍の揚陸(19440606)

一方、鎌倉時代の弘安の役の蒙古側の兵力は、総数 540,000〜556,989人(数不詳の江南軍水夫を除き)と、中国側に記録が残っていることに驚きます。 

東路軍 40,000[〜56,989人

  • 蒙古・漢軍 30,000
  • 高麗軍 9,960
  • 水夫 17,029

江南軍 100,000人

  • 水夫 人数不詳

軍船 4,400艘

蒙古軍 400,000人(*)

(*)『元史』巻一百二十九 列傳第十六 阿剌罕「十八年,召拜光祿大夫、中書左丞相、行中書省事,統蒙古軍四十萬征日本,行次慶元,卒于軍中」(『元史』に記載ですが要検討課題、十数万か数十万の差があるので)

東路軍軍船 900艘
江南軍軍船 3,500艘

 

日本の鎌倉幕府側の兵力不明。 江戸時代に編纂された『歴代鎮西要略』によると25万騎。 なお同書は、対する元軍の兵力を『幾百万とも知らず』(実際は数十万)と記載してあり、これこそ日本版『白髪三千丈』の世界です。 元寇と神風の調査はこれからも続けます。

(20210407纏め、#310)

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