原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載 「入学後にこそ能力を発揮しよう!」

2024年11月05日 | 教育・学校
 「原左都子エッセイ集」“昨日のトップ50内” に冒頭表題のエッセイがランクインしていた。

 私としては、一人娘の「私立中高一貫校受験」を終えて既に十数年以上の年月が経過しているのだが。
 このバックナンバーを読んで、娘中高受験前からその後の時代をある程度リアルに思い起すことが出来て。 意外なところで苦労もした事実を再認識させられたりもした。

 今時は、私立中高受験生にとっては受験直前期では無いものの、受験勉強の頑張り時であることには間違いないだろう。

 そこで、本日は2010.02.02公開の冒頭表題バックナンバーの一部を、以下に再掲載させていただこう。

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 2月当初の東京都内の私立受験は我が家も数年前に経験済である。 この厳寒の季節の例外ではなく、我が子の受験日もやはり今年同様の悪天候に見舞われてしまったものである。

 あの数年前の我が子の私立中学受験における“闘い”は、私にとっては忘れもしない光景である。 
 我が家の娘は多少の事情を持って生まれて来ている。(その事情とはあくまでも“多少”の域を越えない範疇であり、人並み以上の優れた能力も並在しているという一種特殊な事情に過ぎないのではあるが。) それでも、そういった事情を抱えて生まれてきているまだ10歳そこそこの我が娘には、現在の「公立」の実態(生き残る者のみしか生き残れないがごとくの)まさに厳しい完全競争の世界の中で到底勝負できる力はないものと判断した親心で、私立受験を目指させたのである。

 既に高1になった娘が通学している私立女子中高校は、中学受験当時において我が子にとっては“第二志望校”の位置付けでしかなかった。
 そうではあったが、2月2日の受験2日目における受験の本番で我が子は全力を尽くし、第二志望校ながらも“一発合格”を果たしてくれたのだ。 あの時の感動は一生忘れることはない母親の私である。 我が子幼少の頃よりの「お抱え家庭教師」である母の厳しい受験指導によくぞ耐えて、たとえ第二志望校だったとはいうものの“コネ”とも“金”ともまったく無縁の中、私立中高校の合格ゲットを自らの実力で果たしてくれた。 (本人の実力のみで勝負させないことには、娘のその先はないものと腹をくくっていた“鬼母”の私だったのだが…)

 本日(2010年2月2日)、娘が通っている私立中高が中学受験のために「自宅学習」とのことで娘は在宅していたのだが、今日の東京の雪景色を自宅から眺めながら、自分の受験当日に思いを巡らしつつ興味深い話を母の私に語ってくれるのだ。
 以下に娘のその話を紹介しよう。
 「あの後、私は一発合格した(その時通っていた)私立中学へ入学したけど、中学入学直後は勉強も他の事も全然さえなくて、きっと周りの生徒も先生も私の事を“変な奴”だと絶対思っていたと思うよ。 何でこんな出来の悪い奴がうちの学校へ入れたのかなと思われてたと思う。 それでも私は私なりにずっと頑張ったよ。 そしたら少しずつ成績も上がってきて少しずつ周囲から認められるようになって応援さえしてくれるようになって、今では勉強も自分で頑張ろうと思うし将来の夢も自分自身で見つけられそうで、今の学校に入学できて本当によかったと思ってる。」    
 (あなたの尋常ではない努力は、それをずっと身近で見ているこの母が一番よく知ってるよ。)
 これ程にまで成長している我が子に接する今現在、母親としての立場で考察した場合、「私立中学受験」など通り過ぎてきた一経過段階に過ぎず、取るに足りない過去でしかないというのが事実である。

 それでも、昨日大雨に打たれつつ帰宅の途についている私立中学受験を終えた受験生母子を背後から観察すると、冷たい大雨の中にあって尚「これでこの子の将来は開けた!」と確信しているがごとくの背中がその親子に見て取れるのは、この私も数年前に味わった一時の錯覚と同様なのであろう。
 
 その上で子どもの将来を開き得るのは、まだまだ幼き子どもを育てる親の総合力と、その親の影響力の下で育ち行く子どもの潜在能力、努力との相互作用力であることは間違いない事実である。
 それらの相互作用力を親が重々認識することを最低条件とした上で、子どもが中学生頃の時期とは、その進路が公立、国立、私立の如何にかかわりなく、今後共子どもが最大限能力を発揮する環境を整えられる親力の見せ所、見せ時期なのであろう。 
 とにかく子どもの中学受験とは、親としてはまだまだ子育てのスタートラインに着いたばかりの時期でしかない。 今後こそが親としての勝負時であることを今からわきまえておこう。

 (以下略すが、以上本エッセイ集バックナンバーの一部を引用したもの。)




 これを2024.11の今現在読んだ原左都子の感想だが。

 いやはや、この原左都子の当時はまさに過去に世で言われていた「教育ママ」そのものの勢いで、我が一人娘の教育に日々全力でかかわっていたものである。
 それでも、以下の部分は忘却していたことに気付かされる…
 (娘曰く、「あの後、私は一発合格した(今通っている)私立中学へ入学したけど、中学入学直後は勉強も他の事も全然さえなくて、きっと周りの生徒も先生も私の事を“変な奴”だと絶対思っていたと思うよ。 何でこんな出来の悪い奴がうちの学校へ入れたのかなと思われてたと思う。 それでも私は私なりにずっと頑張ったよ。 そしたら少しずつ成績も上がってきて少しずつ周囲から認められるようになって応援さえしてくれるようになって、今では勉強も自分で頑張ろうと思うし将来の夢も自分自身で見つけられそうで、今の学校に入学できて本当によかったと思ってる。」 )
 
 この文章を読んで、まさに我が娘の特質を思い起した…
 (生まれ持って「発達障害」を抱えていたせいで)何処へ行ってもすぐには我が子の実力は理解されず、表向きの“変な奴”部分が目立つ子であった事実を母親である私も十分に認める。  
 それでも我が娘の日々の“頑張り力”の程は、母親の私が一番の理解者であるが故に。  もしも、我が娘の“変な奴”部分を責める人間が周囲に出現したならば、母のこの私がその場にしゃしゃり出てでも俄然と防御に回ろうと決心していたものだ!!
 ところがその心配がないままに、我が娘は遅ればせながらも自身の能力を周囲にアピールできるまでに全開してくれたのだ!

 我が娘は中高一貫校に進学して、大学進学を果したのだが。
 娘の高校卒業時に、私は娘中1時の担任の先生から質問を受けた。 「〇〇さん(娘の事)は何処の大学に進学が決まりましたか?」
 それに母の私が自信を持って応えて、「△△大学です!」
 それを聞いた中1時の担任先生の驚きの声が今尚忘れられない。 「えっ! 難関大学じゃないですか!!」
 (補足説明をすると、娘よりも高校・大学時代にずっと優秀(??)だった私に言わせてもらうに、それ程の大学でも無いのだが。 娘が卒業した私立中高にしては確かに“難関”大学への進学だったのだろう。 私立中高など、まさに生徒の大学進学先で先々のレベルが決定すると言う意味で、娘も卒業私立中高に貢献できたとの点で業績を残せたとのことだろう。)

 

 このバックナンバーが何故、昨日のトップ50内にランクインしたかを想像するに。
 今現在は、世間では2月初頭受験の私立中高一貫校受験に向けてのラストスパートに入っている事実を物語る故であろう。

 
 最後に、高校教諭経験もある原左都子からの受験生へのアドバイスだが。
 私立中高一貫校受験の場合、今頃とはまさに2月の受験に向けての大事な時期であろう。
 とにかく自身が進学したい学校を早めに決定して、全力で勉強に励みましょう!!
 

「マイナ保険証」は使いづらいらしい…

2024年11月04日 | 時事論評
 この原左都子は、「マイナカード」は “一応” 作った。

 “一応” と表現するのは、作った切りただの一度たりとて利用していないが故だ。

 この「マイナカード」が「健康保険証」としての機能を果たすこととなった事実は皆さんご存じの事だろう。
 そして、それを「健康保険証」として有効利用されておられる事でもあろう。


 この私が、「マイナカード」を健康保険証として利用しない事実には理由がある。

 そもそも私自身が医学関係者であるが故に、自分に起こる病的症状や予後がたいていの場合は自分自身である程度(あくまでも“ある程度”の範疇だが。)診断可能であるが故だ。 参考までに、これまで病院へ行かなかったが故に症状が悪化したり、取り返しがつかなくなった事例は一度も無い。
 これまでに自主的に病院を受診したのは、40歳時に「頭部皮膚癌」を患った時と、「我が子の出産入院時」、そして2年程前に転んで「左膝複雑骨折した時」のみと言って過言でない。
 (まあ、他にも病院受診したことはあるにはあるが、いずれも予後は良くて後で思えば受診の必要は無かったと結論づけられよう。)



 この「マイナンバーカード保険証」だが。
 いま問題となっているのは「マイナンバーカードが本人以外の保険資格と結びついている」という点であるらしい。
 以下に、これに関するネット情報を引用しよう。

 マイナンバーカードの保険証としての利用開始にあたっては、「スマートフォンを使ってマイナポータル経由で」「市町村の窓口」「コンビニATM」での手続きが可能なほか、初回受診時に医療機関で利用申請を行なうことで“基本的に”すぐに利用が可能だ。
 一方で、オンライン資格システムを利用するための資格登録作業、つまり“紐付け”については保険組合などの機関が資格取得時点(保険加入など)のタイミングですでに行なわれており、「マイナンバーの記載がなかった」といった理由で資格情報を管理する団体が本人情報を照会する際に、異なる手段で実施したことで発生した。
 現時点で「全国で7,000件ほどの紐付けミスが発見された」(デジタル庁)と述べている。総務省によれば、6月25日時点でのマイナンバーカードの申請数は9,730万枚(人口比率で約77.3%)、交付数で8,787万枚(約69.8%)とのことで、比率でいえば0.01%未満ということになる。 (中略)
 そもそもミスを少なくはできてもゼロにすることは不可能で、「ミスがゼロ」という説明は信用に値しないといっていい。むしろ、発生するミスを少なくする過程でいかにアフターケアをきちんとできるかの方が重要で、その点が関連省庁や各自治体には求められる。
 なお、同様に「みんなが納得するまで進めるべきではない」という意見も眉唾物だ。万人が納得する見解など存在せず、議論を進めないための方便に過ぎない。こうした行政の根本にかかわる改革には確かな意思とバランス感覚が重要だ。 (途中大幅略) 
 一方で、マイナンバー関連事業を進めるにあたって内閣総理大臣の岸田文雄氏は、今回の一連の問題を受けて6月21日に実施した第1回マイナンバー情報総点検本部において「デジタル社会への移行のためには国民の信頼が不可欠であり、マイナンバー制度に対する信頼を1日も早く回復するべく関係機関が一丸となって全力を尽くす」と述べている。 6月27日の閣議後に行なわれた会見において河野大臣は「岸田総理からは、特に高齢者などが不利益を被らないように」と念を押されたことを加えた。(6月21日に実施された第1回マイナンバー情報総点検本部における岸田総理(首相官邸のYouTube動画より抜粋)
 なぜ紐付けミスが発生するのか
 なぜ前述のミスが発生したかという点についてまとめていく。資料はデジタル庁のページにも掲載されているが、根本的には「”マイナンバー”の情報が記載されていないとき、本来と違う手順で本人確認を行なった」ことが原因となる。
 オンライン資格確認では、医療機関などでマイナンバーカードが提示されたとき、社会保険診療報酬支払基金・国保中央会が運営するオンライン資格確認等システムに問い合わせを行なって資格情報の有無を確認する。
 新規登録、つまり紐付けの段階で“マイナンバー”が提示されているのであれば特に問題はない。だが“マイナンバー”が提示されなかった場合、地方自治体の基本台帳情報を持っているJ-LIS(ジェイリス、地方公共団体情報システム機構)への問い合わせが発生するが、その際に本来の規定である「4情報(氏名、生年月日、性別、住所)の一致」を逸脱し、充分な確認を得ないまま紐付けが行なわれることでミスが発生する。
 マイナポイント事業終了前の申請ラッシュもあり、自治体を含む関連機関の紐付け作業負担もかなりのものがあったと想定されるが、それでも確認不足による作業ミスであることには変わりない。
 そのため、「マイナンバー情報総点検」の実施にあたって原則として「マイナンバー」の確認を必須とし、J-LIS照会を行なう際のガイドラインや統一的な基準の制定、そして将来的な機械化まで、可能な限りミスをなくす方策を採ることを目指す。
 1点、よく勘違いされているが「マイナンバー」と「マイナンバーカード」は別物だ。マイナンバーカードを保持していなかったり、あるいは返納してしまったとしても、“マイナンバー”自体は住民票がある限りは自動的に割り振りが行なわれている。つまり「マイナンバーカードがないので“マイナンバー”情報は出せない」ということは本来あり得ない。マイナンバーカードとは、オンラインでも本人確認が可能なICチップ入り顔写真付きの公的身分証明書に過ぎない点に注意したい。

 (以上、長くなったがネット情報より一部を引用したもの。)



 さて、最後に話題を表題に戻そう。

 現行の健康保険証廃止まで、(最短の人で後1か月)と時が迫っている現状のようだ。  (参考のため、10月生まれの原左都子自身の健康保険証は「令和7年9月末日が有効期限と保険証内に記載されている。)

 この後に及んで、この「マイナ保険証」が実に使いづらいらしいのだ…
 例えば、「解除に1か月以上を要する」だの、「これに関して1400名以上の医師が国を訴えている」だの、「政府は“解除申請”を自治体に丸投げしている」だの…

 医師先生達の立場になれば、こんなご自身の業務と無関係の事項で自らの生業が脅かされていることであろうし。
 政府は自らが勝手に決定した事項の後始末を、何でもかんでも面等臭い作業は地方自治体に丸投げしている実態を、市民として慮って余りあるし。

 ここはどうか、政府は「マイナ保険証」の今後の扱いに関して。
 国民(医師や地方自治体職員氏も含めた)皆の迷惑な実態を慮って、是非とも今後の方針を見直していただきたいものだ!!


またもや「公安警察」の我が家ご訪問…

2024年11月03日 | 時事論評
 冒頭表題の「公安警察」の我が家ご訪問は、我が一人娘が2歳時から続いている。 我が娘はそろそろ31歳を迎えようとしているため、30年近くの年月に及び追跡が実施されている計算となる。


 現在の住居へ転居するまで、我が家は(あくまでも自己都合により)3度の引越を繰り返しているが。
 何処に引っ越そうと、何年かに一度は必ず我が家の新たな住所を追跡して、しつこくもやって来る。


 既に本エッセイ集バックナンバーにても、この「公安警察の我が家訪問」に関して2度程この件のエッセイを公開しているため、ご記憶の方もいらっしゃるだろう。
 
 何が目的で、「公安警察」が我が家を追跡調査しているのかを説明すると。
 事の発端は、「地下鉄サリン事件」等々オウム真理教による殺戮が原因と想像している。
 もう既に、「サリン事件」等々の主犯者たちには死刑判決が下されて、この世から消えているが。
 今尚「アレフ」と名前を変えて、反社会活動を繰り返していると見聞する。

 何故 我が家(の亭主の追跡が目的のようだ)が、公安警察のターゲットとなってしまっているのかを説明しよう。
 「松本サリン事件」「地下鉄サリン事件」にてのサリン製造の主犯格だった既に死刑執行済みの複数人のオウム真理教者(土屋等々)が、偶然だが亭主と同じ大学・大学院の出身者であるが故だ。(これは亭主の推測です。) あるいは、亭主はオウムの中心人物でテレビによく出ていた「上祐氏」なる人物と、早稲田高等学院の同窓でもある。
 いやもちろんのこと、我が家の亭主はオウムとはまるで無関係なのだが。 とにかく 公安警察側としては、今尚アレフに引く継がれている「オウム真理教の悪質犯罪」を追跡するのに必死の様子であり。 少しでもそれらの人物と接触があった対象者を徹底的に“洗い出そう”としているとのことだろう。

 
 今回の公安警察の我が家への訪問は、「地下鉄サリン事件」以降数回目となろうか??
 一番最初の「地下鉄サリン事件」直後の訪問時のことをよく覚えているが、2名の警察官がやって来て、亭主のみならず、私の経歴等々まで時間をかけて聞き取り調査して行ったのを鮮明に憶えている。
 
 その後の訪問時にも、どうやら警察官は「分厚い書類」を持参して来る。
そして 特に亭主の事を詳細に知りたいらしいので、一度私が「亭主が在宅しておりますので、本人を呼びましょうか?」と尋ねると、「いいです」と言うので呼ばなかったのだが。 今後また訪問があれば、今度こそ是非亭主自らに最初から対応させるつもりだ。


 ただこの公安警察の調査とは、亭主をオウム(アレフ)の一味と捉えて疑っているのではなく。 むしろ、オウム(アレフ)の被害から我が家を守ってくれることに最大の意義があると思うふしがある事に関しては、過去にもエッセイに記述している。
 例えば過去の公安警察の方は、もしもの時の連絡先として、ご丁寧に警察署内の内線番号を書いて「何かありましたらこちらにご連絡下さい」と言って置いて行かれたのだ。 (その内線番号は、大事に保管してあります!!)


 
 ついこの前、NHKテレビの「新プロジェクトX」にて、「地下鉄サリン事件」が取り上げられたが。 これを私は食い入るように見た!!
 特に「科捜研」の化学に詳しい一男性係員がオウムの死刑囚・土屋(だったか?)に化学反応式を示して、原因物質がサリンである事実を迫った画像が実に圧巻であり印象深かったのだが。
 それにより、「地下鉄リン事件」が解決へと向かい、死刑囚を処罰することに辿り着いた訳だが。


 私個人的には、いくら我が亭主が所属していた大学(院)専攻科がオウム死刑囚と同じ(参考だが、当該大学院博士課程への進学者は超難関故に極めて少人数らしい!!)であったと言えども。 公安警察がいつまでも我が亭主の追っかけをしてくるのは、家族としても是非勘弁願いたいものだ!!😨 😱 

 それでも オウム(アレフ)が活動を続行している限りは、またやってくるのだろうなあ。😵 
 まあ 公安警察のその目的とは、亭主を犯人扱いしているというのではなく、オウム(アレフ)による被害から我が家を守ってくれようとしているとの感覚が強いため、仕方が無いのかもしれない…  


80代で 恋人が出来たお母さん、素晴らしいじゃないですか!!

2024年11月02日 | 恋愛・男女関係
 本日のエッセイテーマは、2024.11.02付朝日新聞「悩みのるつぼ」相談より引用する。


 早速、50代女性による「恋人が出来た母に不信感」と題する相談を以下に要約引用しよう。

 離れた場所に住む80代の母の事で相談です。
 5年前に父が亡くなった後、母は自立して一人で暮らしており車で30分のところに住んでいる。
 数カ月前の帰省時、母から趣味で知り合った数歳年下の男性と 父の三回忌後から交際していると聞いた。 (中略)
 姉と妹とは「母が幸せなら見守ろう」と決めたし、妹は「人生の最後で好きな人が出来た母は幸せ者」、夫は「お母さんが幸せならいいのでは」と言う。 年齢的にも、母の最後の青春を認めてあげるべきかもしれない。
 しかし、父の死後わずか2年で他の男性に浮かれ、相手の元妻を悪く言う母に不快感や憤りを感じ私は口論の末に絶交し、相手の男性にも不信感がぬぐえない。
 心の持ち方、母との今後の付き合いについてアドバイス頂きたい。

 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」より転載したもの。)



 原左都子の私見に入ろう。

 基本的に私は、婚姻者の離婚後や相手の死後の再婚に関しては 自由に行えばよいと考える派だ。
 相談者のお母上の場合も夫の死後5年後の再婚との事、何らの問題も無いであろう。
 相談者がおっしゃる通り、お母上のお相手の過去のパートナーに対して愛情が無かった、などとの母からの要らぬ話は無用としても。
 とにかく 相談者のお母上が今後一緒に生きるパートナーを見つけてくれた事実とは、子どもにとってはむしろ「吉報」と私は捉える。 まさに、相談者の姉妹がおっしゃる通り、「人生の最後で好きな人が出来た母は幸せ」ものであるし。 相談者にとっても、今後母親の世話が省けてラッキーと思えば済む話題では無かろうか??


 この相談者氏が、それ程までに自身の母に対して「依存心」が強かったのだろうか?
 まるで幼児の如く、自身の母を他人に取られるような一抹の不安感が過るのであろうか??

 この私など、施設暮らしが既に10年近くなる実母に、一度足りとて「浮いた」話が無い事実に愕然としていた程だ。
 少しは せっかくの集団施設暮らしの身で、お気に入りのパートナーでも見つけて楽しく暮らしてくれたら、私の実母に対する電話付き合いも減るのになあ…   などと、本心で思ったほどだ。
 参考だが、叔母のさっちゃんの話によれば、実母にも施設内でお気に入りの男性入居者がいた時期もあったらしい。
 それがどうなったのかは全く不明だが、一番最近私が実母の施設を訪ねた祭には、「施設暮らしで楽しいことなど一切無い!!」と、私相手に吐き捨てていたことを鑑みるに…  単に母親の片思いか短い付き合いだったのだろうなあ…


 
 基本的に高齢者の男女交際とは、その余生を考慮するに交際自体も「短命」にならざるを得ないのが運命だろう。

 それでも、私は高齢者恋愛を心より応援したい派だ!!

 高齢域に入って、自身の身体が不自由を強いられて。
 それでも愛する人が現れるとの事実とは、何にも勝る「心を揺り動かすサプライズ」ではなかろうか??
 たとえ そのサプライズにも「別れ」が訪れようと。 
 人生最後に愛する人に巡り会えた幸せを、天国へお土産に持って行きたいものだ!!


小学生時代に近所の子に「小遣い銭をせびられた」思い出…

2024年10月31日 | お金
 先程、知人とお金にまつわる話題でメールのやりとりをしていて。

 我が小学生時代に実際に起こった冒頭表題の「事件」を思い出したので、本日のエッセイテーマはそれで行かせて頂きます。


 時は、小学中学年(3,4年頃)の事だが。

 昔(私が小学生時代の昭和30年後半頃)の子ども達とは、小学校から帰宅すると必ずや近所の子ども達があらかじめ約束するでもなく、庭の広い家や近くの田園等々に集結して、日が暮れそうになるまで遊んだものだ。

 その中に、私より一学年下の「Kちゃん」と言う女子がいた。
 このKちゃんは、まさにその「庭が広大な家(大農家の令嬢であり、夏休み中のラジオ体操などは、必ずKちゃん宅のその広大な庭に皆が集結して毎朝体操をしたものだ。」

 Kちゃん宅は我が家に近かったこともあり、個人的に一人で我が家に遊びに来ることもあった。
 ある時Kちゃんが、私が小遣い銭を溜め込んでいた「肝油ドロップ」の缶を発見した。 
 それを見たKちゃんが私に訴えるには。 「これお金が入っているけど、どうしたの?」 私応えて、「小遣い銭を貯めてるの」
 それを聞いた途端、Kちゃんが言い始める。 「私、お金が無くて困ってるの。 〇ちゃん(私の事)がこれをちょっとでもくれると嬉しい…」
 即座に私が諭して、「子ども同士でお金のやり取りをするべきでない、と親や先生に言われているよ。」
 それを聞いたKちゃんが、なんと泣き落とし作戦に入った!! 「〇ちゃんがこれをくれないと、私はどうしても困る… 」と更に泣き落としが酷くなる!

 対応が鬱陶しかった私は、しかたなくKちゃんに5円だけあげただろうか…

 これが癖になったしまった!!

 その後、Kちゃんは日々我が家の私の元へ訪れて、「〇ちゃんがお金をくれないと、私はホントに困る…」と相変わらず泣き落とし作戦を展開する!!
 それはそれはしつこくて。 仕方なく、私は言われるままに一回5円ずつKちゃんに渡しただろうか…

 困り果てた挙句、いつも家にいた祖母にこの件を相談した。 と言うのも、両親が共働きで帰りが遅いし、一切教育熱心でも無かった親どもが私の言うことなど聞いてくれもしない日々だった故だ。

 そうしたところ、祖母からの回答とは。
 「一切やらんでええ!!  あの家は分限者じゃ! うちよりもずっとお金がある家じゃ! そんな家の子に一銭もやらんでええ!!」

 と言われてもねえ…
 困り果てた私だったが。

 その後2人共々成長する過程を得て、この事件は自然消滅した。



 今現在思い起すに、この大規模農家のお嬢さんだったKちゃんからの「カツアゲ事件」で、私は一体如何程の我が小遣いをカツアゲされたのかは不明だ。

 (それにしても 実際この私、一旦やると決めた事柄の実行力が子供時代から旺盛で。 その頃から貯めた小遣い銭が高校生時代には数十万円単位まで増幅していて、それを近くの郵便局まで貯金通帳を自分で作りに行き。 その後もその通帳金額が増幅する一方で。  … 単身上京後、医学関係企業に勤務するようになって以降今現在に至るまで、親金銭依存一切無き人生を歩み続けている。 例えば、独身30歳時点で首都圏に単独で購入したマンション物件も全て自己資金で短期間で完済している。)



 今現在に至っては、どなたかから金銭をせびられるなる事件に遭遇することの経験も皆無だ。

 そんな私が思うに。
 遠い過去に於いて、未だ幼き小学生時代に私相手に「カツアゲ」を実行した大規模農家の娘のKちゃんは。  
 その後立派に成長されて自宅の大規模農家を引き継いでおられるのだろうか… 

 などと、ちょっと想像してみたりもする…