原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

重度認知症高齢義母の「多動性」に驚かされる!!

2024年10月30日 | 医学・医療・介護
 昨日、高齢者介護施設に暮らす現在93歳で重度認知症を抱える義母がしでかした「事件」及びそれに対する対応に関して、施設のケアマネージャー氏より電話が入った。


 ケアマネ氏曰く、「本日お義母さんが施設内で怪我をされて、出血多量だったので私が病院に連れて行きました。 結果としては、何針(だったか私が忘却したが)縫う措置がとられ、その後施設まで連れて戻って来て 今はベッドで寝ています。」

 (私の感想だが、またかよ…、としか言いようが無い… )
 と思いつつ、ケアマネ氏と会話する機会が少ない身故に、この電話のついでに私なりの質問をさせて頂き、意見を述べさせてもらった。
 「義母に元々“多動性”がある事実を、重々承知しているのですが。 今現在既に重度認知症かつ足が不自由、加えて脳内出血を多数抱えている身にして、一体如何なる行動をして怪我をしたのでしょうか??」

 ケアマネ氏曰く、「お義母さんは現在は本来ならば一人で行動不能な身です。 ところがおっしゃる通りで、多動性があるがばかりに どうしても自室のベッドで静かに寝て居られず、這いずってでも部屋から外に出て行く癖があります。 本日も、どういう訳か廊下まで這いずって出て来て、何かに身体をぶつけて大量出血となった始末です…」

 そうだとしても、高齢者施設内で一番多忙なケアマネ氏自らが、義母の病院受診に付き添って下さったとのこと。😨 
 とにもかくにも申し訳なさの極みで、重々お礼を申し上げた。


 これ、実際大変だ!
 
 義母には昔から「多動性」があるのを、私は重々承知している。
 とにかく家でじっとしているのが極度に苦手な人物で、亭主と結婚当初期にメゾン原(昨日のエッセイを参照下さい)の一室に住まわせてもらっていた私が知る限りでも、義母(当時60代前半期)は毎日朝から出かけて(どこへ行くのかは知らないが、と言いつつ義母の行き先に関する私なりの目星はついていた。 ここでこっそり暴露すると「浮気」に精を出しているのがバレバレの男好きの義母だった…)は、帰って来るのは夜だったものだ。

 その義母の多動行動に関して、亭主に質問したことがある。
 「あなたのお母さんて毎日朝から出来る限りのお洒落して出かけるんだけど、一体何処へ行ってるの??」 
 亭主が応えて、「ああ、町内会の用事があると言ってるよ。」
 私が返して、「あのねえ、町内会の用事が毎日朝から晩まである訳が無いでしょ!! それに、何で町内会の用事のためにあれ程着飾る必要があるの!!??」
 私なりには、義母の行き先が目星がついていたのだが。 それを義母の長男である亭主に言う必要もないし…。  私自身も当時は定時制高校教諭をしていて、午後から夜遅くまでは外出していたし。 特段の被害が私にある訳もないし。
 とにかく、義母の多動性奇行を放置しておいたものだ。



 話題を元に戻そう。

 その義母だが、とにかく自身がいくら年老いても、認知症になろうとも、基本的な行動パターンがまるで変化しない事実に、他人の私が驚かされるということだ。

 今回の、「義母這いずり大怪我事件」に関しては、一体全体義母が施設内の何処へ行こうとしていたのかは不明だが。

 とにかく、自身が主体的に欲す欲求行動をいつまでも執念深く実行せんとする、その義母のパワーに驚かされた次第だ。

 これ、きっと義母は長生きするぞ。
 長生きして義母が目指すべく道を、床を這いずってでも実行し続けるであろうと、私は結論づける。


 そうだよなあ。

 この私も上っ面だけカッコつけてばかりいないで。 
 義母の如く、自身が一番やりたいことを認知症を患っても成し遂げるべく、全身全霊で生きたくもなるなあ…


「メゾン原・ゴミ収集所問題」、未だ難航しています…

2024年10月29日 | その他オピニオン
 今回のエッセイは、2024.10.01付にて公開した冒頭表題のエッセイの続編となるが。


 とりあえず、既に公開している前編の一部を以下に再掲載しよう。

 我が家が東京23区内に不動産賃貸物件を所有・運営している事実に関しては、過去のバックナンバーにて幾度か記載している。
 この賃貸物件に関して、新たな「課題(問題)」が発生した。
 それが表題の「ゴミ集積所」なのだが。
 現在までは、管轄自治体の清掃局が その地域の周辺の比較的広範囲で一箇所の集積所を設置していたのだが。
 昨日かかってきた賃貸借仲介不動産会社からの電話での提案を、以下に反復しよう。
 不動産仲介会社係員が曰く、「原様ご所有の賃貸借物件周辺の『ゴミ集積所』がこの度大幅に変わるらしいです。 その件に関し仲介会社側の考えとしては、原様ご所有賃貸借物件(「メゾン原」)内に新たな独立した『ゴミ集積所』を設けて、清掃局に収集して頂くというのはどうでしょう?」
 この話を聞いた我が亭主が大いに戸惑って、電話の後で私に曰く「そうした場合、メゾン原の敷地内にゴミ集積場所を設けねばならないが、その面積を確保できるかどうか。 加えて、集積場所の掃除をこちらで実施せねばならないとの問題もある。」
 まさにその通りだ!
 (えっ? ちょっと待ってくれよ。まさかその担当をこの私に任せられて、ゴミ収集の都度、メゾン原まで掃除に出向かねばならないとすれば、とんでもない大仕事だ!! それだけは勘弁願いたい!)😱 😭   我が内心で、そう思うのも必然だろう。😶 
 とにかく、その件はもう少し様子を見ようと話し合った後に。
 本日になって、新たな案が浮上したようだ。
 不動産賃貸仲介会社の担当者が本日の電話で言うには。 
 「『メゾン原』の内部ではなく、「メゾン原」外部の道路(外部者所有の私道なのだが、その道に関しては私道であることと、奥の方が道が狭くなっていること等が理由で、車の通行はゼロ、しかも通行人がその近辺に居住する人達に限られている。)にゴミ集積所を新たに設けるとの案が、区の清掃局より出ています。 それに従うと、ゴミ集積所を利用するのは「メゾン原」を含め9戸の住人に限定されます。」
 その話を聞いて、私が亭主に「その案はいいと思う。 (そうなると、まさかこの私がいちいちメゾン原まで掃除に行かなくていいよね?😜 )」 とは一言も口に出さなかったが。 
 まあそうだとしても、新たな集積所の掃除を誰かが担当せねばならないのは必然だろう。
 突然降って湧いた、我が家所有の賃貸物件「メゾン原」管轄自治体内の新たな「ゴミ集積所」設置問題に直面し。
 人間としてこの世に生きている以上、「ゴミの処理」とは必要不可欠の課題であり。
 その処理を私自身を含め各自が責任を持って実施できてこそ、世の中が成立する事実を突きつけられた思いだ!
 えっ??   そう思うのならば、原左都子さんが「メゾン原」までゴミ収集の都度毎回通って、その処理をすれば??  って!?!
 そうだなあ、自宅から近ければ行ってもいいけど。(労働好きな私にして、本気です!!)😈 
 なんせ 電車2本乗り換えていく場所だし、それが毎週幾度ともなれば、ギブアップだなあ… 😱 😭 

 (以上、バックナンバーの一部を再掲載したもの。)



 
 この件に関して、本日先ほど不動産仲介会社から我が家に電話があった。

 それによると。
 今回のゴミ集積所移転の真の理由が判明した。
 その“真の理由”とは。  従来のゴミ集積所が表通りの人通りが多い商店街に面していたせいで、マナーの悪い一般通行人がその集積所に瓶・缶・その他の食品ゴミ等々を頻繁に捨て去って行くため、常にそれらのゴミが散らかっている状態だそうだ。 
 その迷惑行為のため、表通りの商店等が後片づけに日々困惑しているとのことである。
 そこで区の清掃局が、思い切って区民のゴミ収集所を表通りではなく小路に移転する案を決定したとの事。
 その一案として、特に我が家のような「メゾン原」等の集合住宅に関しては、集合住宅単位で「ゴミ集積所」を設け収集を行う事に変更したらしい。

 そして、もう既に「メゾン原」以外の個人住宅の方々のゴミ集積所は決定しているらしい。
 故に 後は「メゾン原」が単独でゴミ集積所を設置してくれたら、来年の春からはそこにゴミ収集に来て下さる、との不動産仲介会社の話だが…

 それを受け入れて、敷地内にゴミ収集場所を確保するとして。
 やはり、ゴミ収集後の片づけ・掃除を誰が負担するかが一番の課題となるであろう。
 いや、メゾン原 各部屋の住人の皆さんがゴミ捨てマナーを守り 理想的な捨て方をしてくれるならば、その手間は皆無となるはずだが…

 とりあえず、それに期待することとして。


 もしもその期待が外れた場合は。 
 
 これ やはり、どう考えても我が家で一番暇そうなこの原左都子が、ゴミ収集の都度週3,4回は「メゾン原」までゴミ収集後の清掃に行かねばならない、との結論か!!?!😖 😵   
 

「楽天写真館」で、過去の写真をプリントアウトしました!

2024年10月28日 | 自己実現
 (冒頭写真は、ブエノスアイレスの芸術家であられる 左はハビエルさん、右はグスタボさん。 ご両人の日本にての制作品展示会時に都内の美術・造形スタジオにお邪魔して撮影した写真。)



 今回の写真エッセイは、全て既にバックナンバーにて公開済みのものばかりだが。


 先だって、ネット展開の「楽天写真館」に発注してプリントアウトを依頼した。

 この「楽天写真館」に関しては、原左都子は以前よりお世話になっていたのだが。
 この度、そのシステムが新展開となったとの情報を得て、試しに数枚の過去の写真プリントアウトを発注してみた。


 その結果の一つが、冒頭写真だ。
 いやいや 十分に美しくプリントアウトされているし、料金も安価にての写真が郵送で届けられた。


 その他の写真の一部を、以下に列挙させて頂こう。

         
 こちらは、私が28歳時に大阪にて撮影した写真。 
 実際の写真よりも、横に拡大されている感覚だ。😖 


         

         

 これら2枚は、「原左都子エッセイ集」バックナンバーにて最近再び取り上げたため、ご記憶の方も多いだろう。

 我が高校教諭時代(30代後半期)に、教諭仲間が撮影してくれた写真だ。
 上は、職員室の「今月の行事予定黒板」に 学校行事分掌担当だった私がその予定を書き込んでいる場面を、同僚の男性教諭が撮影してくれたもの。
 下は、高校の文化祭時に「美術部展示室」を見学中に、写真撮影が趣味の同僚女性教諭が撮影してくれたもの。



 写真とは、元の写真の映りが良いのが全てだろうが。

 こうやって 再び専門の写真プリントアウト企業にて、再度それを実行した写真を自宅に届けてもらうと。


 なんだか、過去には無かった感動が蘇るのが不思議だ。

 写真という媒体自体に、その要素があるのに加えて。

 プリントアウト業者のお力も多大で。

 単なる被写体である私に、それを撮影した当時である過去とはまた異なる多くの感動を届けてくれた事実に、感謝申し上げたい!! 


“自分なりの成功を自分自身で勝ち取る面白さ” を伝えてはどうか??

2024年10月26日 | 人間関係
   本日も、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談から題材を得よう。

 
 2024.10.26付朝日新聞「悩みのるつぼ」相談は、60代女性による「何をやっても続かない長男」と題する相談だった。
 早速、以下に要約引用しよう。

 長男は24歳、地方の大学薬学部に進学、半年で授業についていけなくなったようで、1年留年。 結局、退学した。 戻ってきてから自動車学校に通ったが、教官に態度が悪いと叱られたらしく、途中でやめた。
 その後、週に3,4回、4~5時間アルバイトをしている。 アルバイトに行かない時は部屋に閉じ込もってゲームをし、食事の時以外は私達とは話さない。
 就職を頑張ってみたらと何度か話をしたが、「どうせ自分はなんでも中途半端で終わってしまって、どうしようもない人間だ」と怒り出す。
 中高と剣道をやっていたが、それを途中でやめたのも気にしているようだ。 また、自分の殻に閉じこもっているようだ。
 アルバイトでもいい。フルタイムで働き、私達がいなくなった後でも生活できるように頑張って欲しい。 このまま様子を見て本人のやる気が出るのを待つのか、家を追い出して一人で暮らすようにさせるか、どうしたらよいか。

 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談内容を要約引用したもの。)



 原左都子の感想に入ろう。

 相談女性が60代、そして長男が24歳とのことは、比較的高齢にて出産された息子さんのご様子だ。  今時は、これ程年齢差がある親子は特段珍しくないのだろうが。

 この原左都子も、今から31年前の38歳時点で我が一人娘を出産したのだが。
 当時は、これ程の高齢親は周囲でも珍しかったものだ。 
 それが理由とは言い切れないものの、我が娘は超難産の末に仮死産にてこの世に誕生した。
 その後の我が子育ては、可愛い我が子を「仮死産」で産んでしまった責任を取るべく、努力に努力を重ね最善を尽くしたものだ。
 そんな我が努力よりも、本人が持って生まれた才能に恵まれていたと言うのが正解なのだろうが。 
 我が一人娘は、特に私立中高に進学した後からは順風満帆に勉学(及びクラシックバレエや造形絵画等々)に励んでくれて。
 無事に大学卒業後は、自身が選んだ職場で活躍しつつ。 その後自らの希望で転職した後も、順調に自身の業務を頑張る日々だ。

 その転職の際に、「30過ぎての転職の際には、失業保険をかなりの金額もらえるからそれを貰って、少しゆっくりしてからにしなさい」との親の“指導”をまるで無視して。 一銭の失業保険も受け取らないままに、次なる仕事を始め頑張る日々だ。😲 

 この我が娘の「仕事好き」は一体どこにルーツ(根源)があるのかと、母親の私なりに探ってみるのだが。
 仕事以外に趣味が無い、というのも一つの理由だろう。 いや、趣味があるにはあるが、やはり金銭との報酬が手に入る「仕事」とは娘にとって何にも増して魅力的なのかもしれない…

 あるいは、「間が開く」のが嫌なのかもしれない。 
 これに関しては、私も実に同感だ!! (だからこそ、この一銭にもならないエッセイ集を日々綴り公開し続けている!😖 )  急に生活習慣が変わると生活リズムが崩れるのは確かだろう。 それが嫌なのか、とも親として考え得る。

 とにもかくにも、我が子が勤勉な人間に成長してくれた事実とは、何にも勝る親孝行だろう。 



 冒頭の朝日新聞「悩みのるつぼ」相談に話題を戻そう。

 ご長男の「何をやっても続かない」事実に関しては、いつからそうなのかが相談内容からは不明だが。
 それまでの人生にて、少なくとも地方の大学・薬学部に進学できる能力は培って来れていたはずだ。
 大学進学と共に「一人暮らし」を始めた事実が、息子さんにとって痛手だったと十分に考え得る。 
 親御さんの立場として、その辺の息子さんの「一人暮らし」から発生したと思しき変化をもう少し慎重に観察して手助け出来たならば、息子さんの進むべき道が違っていたのかもしれない。

 子育てとは、決して我が子が「一人暮らし」し始めたから終了するものではあり得ない!!
 息子さんの環境が激変したならば尚更、それなりに親としていつもより注意深く見守ってあげる努力を要するのではあるまいか??

 息子さんが、「何をやっても続かない」と嘆くよりも。

 親こそがその原点に立ち戻って、息子さんと対応し続けることが可能ならば。
 未だ24歳の息子さんも、表題に掲げた「自分なりの成功を自分自身で勝ち取ることの面白さ」を徐々に体得しつつ実現させるであろうし。

 息子さんの今後の生き様も、良き方向へ変化し得るのではあるまいか??


親には親の、子には子の人生がある …

2024年10月24日 | 医学・医療・介護
 本日のエッセイは、2024.10.22付朝日新聞「取材考記」より くらし報道部 鈴木彩子氏による「互いに自分らしく 親の老後 繰り返し対話を」より題材を得よう。


 早速、当該記事を以下に要約引用しよう。
 
 団塊の世代が75歳以上になる2025年がすぐそこだ。 帰省すると、親からその世代の「老い」を見聞きする機会が増えた。
 親の老いに、働き盛りの世代はどう向き合ったらよいのか。 (中略)
 介護サービスをフル活用することで、働きながら在宅介護も可能という人もいる。 
 施設入居を選んだ人もいた。 大切なのは、親がその人らしく過ごせること。そして、子ども自身も自分らしく生きられるように、という視点だった。 親には親の、子のは子の人生があるから。 
 時間とお金を使いながら、親の介護をしているという声も沢山寄せられた。 施設入居を選んで本当に良かったのか、罪悪感がぬぐえない、と言う声もあった。 (中略)
 老いていく親も子供も、幸せに生きるにはどうしたらよいのか。
 親がどんな時に幸せを感じるのか、何を大切に生きているのかを、繰り返し話し合う事が大切という専門家もいる。 (中略)
 日本人の平均寿命は、男女ともに80歳を超えた。 死因で3番目に多いのは「老衰」。 今は「天寿を全うできる国」になりつつあるそうだ。 そんな時代だからこそ、「どう生きるか」「何が大切か」を家族で話していきたい。
 
 (以上、朝日新聞「取材考記」より一部を引用したもの。)



 今回の執筆担当者は、2003年入社であるらしいが。
 おそらく、私よりも20歳以上若い世代の方であろう。

 我が義母と実母も、それぞれ別々の高齢者介護施設へ入居しているが。
 現在義母が93歳、そして、実母が92歳を迎えようとしている。
 両人共々高齢者施設へ入居したのは本人たちが80歳を過ぎた頃であり、入居後義母は10年余り、実母は8,9年の年月となろうか。

 入居当初はまさに、上記朝日新聞にも書かれているがごとくに。 辛うじて「親がその人らしく過ごせる」年代だったものだ。
 話好きな義母は施設からよく電話を寄越して、日々の暮らし状況を伝えてくれたりもしていたし。 
 嫁の私に対する要望もよく言ってきた。
 例えば、「お世話になっている係員の娘さんにプレゼントをしたいので、〇子さん(私のこと)が適切なものを選んで施設まで送ってくれる?」 
 この“事件”ほど私にとって迷惑なことは無かったのでよく覚えているのだが。 (何が迷惑か、って。 何で見知らぬ子どものプレゼントを私が選んで送らねばならないのか!!! 実際怒り心頭だったが、結果としては施設内でのプレゼント禁止条項に触れるため、私が送ったプレゼントが該当子どもに手渡されることは無かったようだ。)😖 😵 

 片や 郷里の高齢者施設へ入居中の実母は、つい最近までは 私にとって特段の迷惑行動は無かったのだが。
 先だっての当エッセイ集バックナンバーにて述べた通り、現在認知症状が出始めていて 我がまま・暴言が目立つようになってきている…



 朝日新聞の鈴木記者は、「互いに自分らしく 親の老後繰り返し対話を」とおっしゃるが。

 それは 未だ親御さんが高齢域とは言えどもお若くて、認知症状が出ていない状況だからこそ。 そんな悠長なことを言っていられるのだと判断する。

 これが、後10年経過して。
 認知症(重症になる程大変です!!)を抱えるまで、自身の親が高齢者施設内で生き延びたならば。
 それはそれは、たとえ家族であれども実の子であれども、老いぼれた親が手に負えない存在になる時期が訪れるのが、世の無情(無常)というものだ…😭 😱 


 「互いに自分らしく 繰り返し対話を」と、いとも簡単に 朝日新聞の鈴木彩子氏は(きれいごとを)おっしゃるが。

 鈴木氏自身の親御さんが認知症等々で今後老いぼれた暁に、今一度 朝日新聞紙上で同テーマにて。
 「親の介護」に関して、改めて ご持論を述べられることを楽しみにさせて頂きたいものだ… 


 たとえ、自分の親であれ。

 認知症者の介護って。  朝日新聞社の鈴木氏がおっしゃる程、甘くはないですよ…