昨日、高齢者介護施設に暮らす義母が「老衰死」段階に入った訳だが。
この「老衰死」を選択する事とは、要するに今後何らの人工的「医療延命措置」を加えることを取りやめて、あくまでも本人が自然のままで死に至ることを目指す方策を選択したことと言えよう。
それはよしとして。
この措置とは、あくまでも既に本人が自力では生存不能な段階に入ったためにその措置を採用したということだろう。
言い換えれば、 本人が人(生命体)として もう既に自力で生命を今後つなげる能力を全く失った状態にある、という訳だ。
後は、生命体が終焉を遂げるのを見守りつつその命が消え果てるのを待って、火葬等の手段でこの世から完全に消去させるのが遺族の役割であろう。
この原左都子も もちろんの事、自己の死に際が訪れた際に「延命措置」などする希望は一切無い!
その場合、「老衰死」であるのが理想的であろうが。
そうとは限らないのが、人の生きる道という訳でもあろう。
私の場合は、生まれ持った身体は比較的丈夫な体質のようだが。
どうも 運動神経が鈍いせいか、特に高齢域に差し掛かって以降「怪我」をする機会が増えている。😱
この怪我が年齢と共に重傷になっているのが、一番気がかりだ。
もう3年前になろうか、道路で転び左膝複雑骨折にて入院手術を受けている。
もう少し前の60代手前期にも 自宅バルコニーにて激しく転び、左鎖骨、右手首の2箇所骨折を経験している。 この際は幸い骨折箇所が腕と鎖骨だったため、自宅から通える整形外科医にて通院でお世話になった。
このように、転び易い体型(元々の長身スリム体形に加え、側弯症を抱えている関係で身体が左側に傾いていてバランスが悪い)であることが災いして、実際普段から危険性の高さに苛まれている。
もちろんの事 私自身がそれを十分に自覚できていて、普段は怪我をせぬよう気を付けている。
不意の事故を起こしやすい事実を十分に認識して行動しているつもりでいるのだが。
私の場合は 自身が医学関係者であることが大いに幸いして、その専門力・知識力が我が体型・体質の欠点等々を補いつつ生命を繋げることが叶っていると自負している。
特に 「病気(各種疾患)」については、我が身の疾病対策においてある程度の自信はある方だろう。 それが証拠に、今まで「病気」に関しては、特に医学者として活躍し始めて以降は 何らの重症疾患に苛まれていない。
まあ 怪我に関しても、今までのところはとりあえず「命を失う」までの重傷には苛まれてはいないが。
とにかく、義母が「老衰死」を待つ状態に突入した。
本日も 亭主がその義母の今後の成り行きや死に至るまで家族として何をするべきか、等々の話し合いに義母の施設へ出掛けている。
主治医によれば、義母の命は昨日時点で 後1週間との事だったが。
とにかく、死に至るまで義母が苦しまないことを祈るばかりだ…