原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

学校のお勉強が本気で面白くなる時

2024年07月15日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.07.12付朝日新聞・漫画「ののちゃん」より転載したもの。 いつものことながら、写真が横向きになっていることをお詫びします…)


 冒頭の漫画「ののちゃん」 内で ののちゃんは未だ小学生の立場にして、勉強の「伸びしろ」について語っている。
 そんな言葉を小学生にして既に知っているとは、凄いことなのだが。

 
 この原左都子ですら(という表現も図々しい、と言うより勘違いであることを認めるが)😝 😖 、自身のお勉強に対する「伸びしろ」なるものに学習に励んでいる子ども自身が気付いたり、それに左右されることはまず無いと言い切れるであろう。

 しかも、だ。 
 未だ小学生の ののちゃんとAさんの「お勉強」の“伸びしろ”なるものを漫画内で図示して比較しているが。 
 そんな比較が叶うのは、子ども本人が大人になって如何なる学習能力を身に付けているかが判明した後でも困難極めることでもあろう。


 そう言いつつ、この原左都子は自分自身の学習に於ける「伸びしろ」を大いに育ててもらった事件があったと結論付けられる、類まれな存在であろう。

 既に当該「原左都子エッセイ集」内で幾度となく公開している事実であるため、「もう、聞き飽きたぞ!」とゲンナリする読者の方々も多々いらっしゃるだろうが。😵 



 今一度、その事件を繰り返らせて頂こう。
 
 それは、中2の「数学」の授業中の出来事であった。
 未だ若き男性数学教師が、授業中に突如と言い始める。
 「みんながノートに“点”や“線”を書いているけど。 “点”や“線”とはあくまでも“概念”であるが故に質量や重量が無い存在のものであり、本来ノートに形作って書ける性質のものでは無い。 それなのに何故、ノートに点や線を書いているのかと言えば、それは数学学習上の必要に迫られて便宜上そうしているだけのことだ。」

 ここで、絶対的に出る生徒側の反応とは、「先生、何言ってるの? ちゃんとノートに書けるよ!!」 
 この反応も 私には理解できるのだが。 
 それ以上に、数学教師が発した「概念」との用語に強い関心を抱いた!!


 その時初めて聞いた言語だった事には間違いないのだが、その「概念」の世界に強烈に誘われる気すらした。
 (へえ、点や線は「概念」なんだなあ。 質量や重量が無い「概念」の存在なんだなあ。)

 この私が 本気で学校の勉強に興味を持てたのは、この時が初めてだったと言い切れる!! 
 それまでもとにかく真面目派の私は、学校のお勉強に特段の興味も無いにもかかわらず励んでは来たものの。 まさに何らの目標意識も持てないままに、単に周囲からの「〇ちゃんは良くお勉強ができるね!!」等々のプラス評価のみに依存して、無機質・無意味に勉強を頑張ってきたと言える…😱 😫 



 今尚、我が中学生時代に一時お世話になった 当時若き男性であられた数学の先生に感謝申し上げたい思いだ!

 私がその後、数学を原点として理系の「医学部」に進学出来たのも。

 その後更に、2度目の大学にて「科学哲学」等々の授業にて更なる概念の世界に触れることが叶い、我が人生の更なる充実を図れているのは。

 たかが、子どもの学校のお勉強の一つの位置付けでしかなかった「中学数学」にて。
 「点や線は概念の世界の産物である」と教えて下さった、あの若き男性教師の御指導であることに間違いない!!
 

大学理工系学部での「女子枠」設定、私も反対派だ!

2024年07月06日 | 教育・学校
 この原左都子も国立大学医学部パラメディカルコースの出身者であるため、「理系」学部に通った身であると言えるが。


 この私が通った理系の 医学部パラメディカルコース には 当時女子学生が多かった記憶がある。

 特に看護学部など、学生のほとんどが女子だった記憶がある。
 参考だが私が選択した「臨床検査」コースも、当時は女子学生が多かった。 現在に至っては、男子学生が急激に増加している様子のようだが。

 高齢域に達して、骨折などしでかして病院入院を経験せざるを得ない私だが。
 特に、我が専攻だった「臨床検査技師」分野の男性比率が大幅に上がっている現状に驚かされたりもする。



 さて、話題を大学理工学部での「女子枠」設定に戻そう。

 早速、2024.06.14付朝日新聞記事「広がる女子枠 その先は」の中から、「『女子枠だから合格』は嫌 就職の姿示して」 より一部を以下に引用しよう。

 女子枠の広がりを、高校生や高校側はどう受け止めているのか。
 某塾が実施したアンケートによると、回答者約2400人のうち、賛成が65%,
反対が35%だった。 記述欄には「女子の進学の幅が広がる」など歓迎する声の一方、「募集定員を男女で区別することこそが差別」との意見もあった。
 高校側の受け止め方も様々。
 某私立進学校の教諭は「女子枠だから合格したと思われるのが嫌で女子枠のある大学は受けたくないという生徒もいる」と言う。
 生徒の半数以上が理系に進む公立女子の教諭は、「女子は理系と言っても、資格の取れる医学や薬学系への希望が多い。」等々と話す。 
 女子への理系教育を積極的に採り入れている某私立中高校長は、「大学の理系分野に女子が進学し易い環境が広がることは、生徒にとっても国に取ってもいいこと。 ただ、多くの生徒も保護者も教員も、特に工学系について大学の授業や研究、卒業後の仕事のイメージを持てないのが実情だ。 大学側はどんな研究があるのか、卒業後はどんな職につけるのかをもっと発信して欲しい。」としている。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)




 原左都子の私事及び、私見で締めくくろう。

 上記引用文内の、某私学高校・校長がおっしゃる通りであろう。

 この私が進学先として、医学部パラメディカルコースのひとつである「臨床検査技師」コースを最終的に選択した理由も、当該校長の御意見通りだったものだ。

 私の場合は元々 中学生時代から「数学」が得意で、高校進学後は「理系コース」一筋だったのだが。
 いざ、大学学部選択段階になって何故「医学部」を専攻したのかと言えば、まさに確実に「国家資格」をゲットできる分野だし、先々の就職が確約されているがごとくの進路先だったが故だ。😠 
 (いえ、正直言って「工学系」にも興味津々だったものだ。 ただ当時の工学部専攻女子学生とは全体の1%にも満たなかったと記憶しているし。 上述のごとく、工学部にて取得できる明瞭な「資格」が分かりにくかったような記憶もある…??)

 そして国立大学医学部に入学した私は、確実に「臨床検査技師」免許を取得後、医学分野で長年活躍を続けることが叶ったとの道程だった。



 そんな我が人生を振り返りつつ、再度「理工系学部の女子枠」設置に関して考察してみよう。

 そうだなあ。
 各大学理工学部がどうしても女子枠を拡大したいのならば。
 例えば、卒業後如何なる「資格(できれば国家資格)」を取得可能なのか。
 あるいは、その資格の下に世の工業界にてどれ程の輝かしき活躍が可能なのかを、女子高校生に明確に提示することこそが急ぐべく優先課題ではなかろうか?!?

 実際問題、この私も遠い過去に工学部の場合それが全く不透明であったからこそ工学部受験は避けて。 
 それら条件に対する絶対的達成目的感があった「医学部」進学を決定したようなものだ。

 今の時代は特に、安易な理由で大学側が「女子枠」拡大を目指すなど危険性のみが大きいのではなかろうか???

 理工学分野における「(国家)資格制度」の充実や、業務の明確度を上げる等々の努力を施した後に、その制度を立ち上げても遅くは無かろう。
 

令和の現代尚、女子が小学生時代から理数離れ?!?

2024年05月18日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.05.17付朝日新聞記事「女子の理数離れ 小学生から?」より転載したもの。)


 今回は、朝日新聞記事の要約を省略するが。 
 要するに冒頭表題の通り、今現在尚“女子の理数離れが如実に進んでいる”との朝日新聞記事の報道内容である。



 原左都子の私事に入ろう。

 
 その私事を語るに際し、「原左都子エッセイ集」2008.10.08付バックナンバーを 以下に再掲載させていただこう。

 私は小学生から高校2年生の途中位まで、算数、数学が好きな子どもだった。そのため大学の進路希望では理系を選択したのであって、当時特段理科が好きだった訳ではない。
 数学の何が好きなのかと言うと、そのひとつの理由は確実に100点が取れる教科であるからだ。 例えば国語の場合、作文等においては教員の評価の偏り等の要因で減点されてしまったりするような不透明性が避けられないのだが、これは評価される側としては納得がいかない。 そういうことがなく評価に透明度が高いのが算数、数学の特徴であろう。 (ただ証明問題等において、解答を導く論理に誤りがないにもかかわらず、自分が教えた通りの書き方をしていない等の理由で減点するキャパのない教員もいたが…。)

 私が算数・数学がもっと本質的に好きだった理由は、数学とは哲学と表裏一体である点である。(このような数学の学問的バックグラウンドを把握したのは、ずっと後のことであるのだが。)紀元前の古代から数学は哲学と共に研究され論じ継がれてきているのだが、数学の概念的理解を要する部分が当時の私にはインパクトがあったのだ。
 一例を挙げると、中学校の数学の時間に「点」と「線」の概念について数学担当教員から(おそらく余談で)話を聞いたことがある。 「点」や「線」を生徒が皆鉛筆でノートに書いているが、これらはあくまで“概念”であり形も質量もないものであって、本来はノートなどに形にして書けないものである。数学の学習のために便宜上、鉛筆で形造って書いているだけのことである…。 おそらく、このような内容の話を聞いたと記憶している。
 この話が当時の私にとっては衝撃的だった。「点」や「線」とはこの世に実在しない“概念”の世界の産物なのだ! (当時は言葉ではなく、五感に訴えるあくまでも感覚的な存在として“概念”という抽象的な思考の世界に私としては初めて触れた経験だったように思う。)
 お陰で数学に対する興味が一段と増したものだ。

 同様に、“2進法”を中学生の時に(?)学んだ記憶があるが、これも大いにインパクトがあった。
 「1」と「0」のみの世界! 要するに「存在」と「非存在(無)」の哲学の世界とも言えようが、世の中のすべての基本はこの2進法にあるのではなかろうか、(と考えたのはやはりずっと後のことだが…)。
 小さい頃から10進法に慣らされている頭には、この2進法の洗練された世界はまだまだ子どもの私にとってとても斬新だった。 またまた数学の面白さを学ぶ機会となった。
 この“2進法”はコンピュータの計算原理でもある、と教えられ、コンピュータとは電球がONかOFFになることの発展型である、ことを頭に思い浮かべて“なるほど!”と納得したものだ。

 その「電子計算機論」を大人になってから学ぶ機会があった。
 20代に医学関係の仕事に携っていた頃、データ処理用のワークシートをコンピュータで出力する業務を任せられるに当たってプログラミングを経験したのであるが、その時に仕事の合間に私は独学でプログラミング(COBOLとFORTRAN)をマスターした。
 プログラミングの学習の一環としての「電子計算機概論」に、やはり“2進法”が登場した。 コンピュータ内における情報処理の基本計算原理は“2進法”。
 すなわち「1」と「0」の世界がコンピュータを生み出したと言っても過言ではない。

 (以下略すが、以上我がエッセイ集初期頃の2008.10バックナンバーより一部を引用したもの。)




 最後に現在の私見を述べよう。

 いつの時代も、教育現場に於いては教育者の力量が問われるものだが。

 全くもって教員の教育力と生徒の学習成果とは正比例するものであることを、この原左都子など中学生時代から身をもって実感させられたものだ。
 小学生時代から算数好きだった私だが。 
 上記引用文中に記載している通り。
 その我が算数好きは、中学生時代に「数学とは哲学と表裏一体である点である」、等々の数学の学問的バックグラウンドを語れる力量のある数学教諭に出会えたことで更に花開いたと言えよう。

 それにしても 今思い出しても、あの時代にあの過疎地公立中学校に素晴らしい学術力を備えた数学教師(若手男性教師でした)が配属されたものだ、とその偶然に今更ながら驚かされる。😲 

 あの時 あの教師に出会えなければ、この私は後々理系の医学部に進学することなど無かっただろうし(???)。
 今現在に至って尚、このようにブログとの媒体にて日々自己の学問経験等々を語れるラッキーにも出会えなかったように考察する。


 いま現代の子ども達の「理数離れ」を救うのは、素晴らしき学校の教師との早期の出会いが一番の要と思えてきたりもする。

 通り一遍の学校授業展開ではなく。
 趣味範囲でもよいから何らかの専門力を身に付けた教師が小中高校現場に数多く配属されることに、心より期待したいものだ!!


我が娘の「大学公募制推薦合格記」 続編

2024年05月15日 | 教育・学校
 本日のエッセイは、3本前に公開した「 世の親たちは我が子の学習内容をどれ程理解して指導や叱咤をしているのだろう??」の続編の形となる。


 上記エッセイにおいては、我が娘が高校3年生時点で「大学公募制推薦入試」に一発合格!!するまでの道程に関して綴り公開した。

 母親である原左都子の教育力一本勝負で娘の「大学公募制推薦入試・合格」に導いたその道のりについてまとめたものだ。


 今回のエッセイは、その続編として。
 前編に於いては語っていない、貴重な「裏話」を公開せんとする魂胆だ。😏 

 ただし、その我が娘は現在既に30歳になっている。(参考だが、今尚結婚の意思が全く無く、親元を離れ一人身で職業人の人生を貫いている。)

 大学入試合格は本人が18歳時の出来事であるため。 その後12年の年月が経過した現在において、大学受験に関する世の状況が大幅に変化しているであろうことを、あらかじめお断りしておく。


 娘が自身で公募制受験を選択した大学・学部にての受験合格要件は、高校が作成した「内申書」「成績表」審査と、本人が大学に出向いて受験する「小論文課題」と「面接」のすべてを合格することだった。

 高校が作成する「内申書」と「成績表」に関しては、早くも高校入試時点で大学推薦入試のその合格基準を明確に聞いていた。
 一番重要視されるのは、「出席日数」だろう。 皆勤及び年3日以内の「欠席」が最低必要条件だっただろうか??  我が娘の場合は、もちろんそれを満たしていた。 特に高3時は卒業まで皆勤だった。
 学業成績に関しては、公募制推薦を受験する大学やその学部により基準が異なるのだが、 何処の大学学部でも最低限でも学業成績評価「3.5」以上を満たしていないと問題外だったと記憶している。 参考だが、我が娘の場合高3春時点での「総合評定」が「4.2」であり、余裕で公募制推薦受験可能だった。😁 

 以上が、とりあえず大学の「公募制推薦」合格の最低点の必要条件だ。 大学によっては、「英検」「漢検」「数検」合格必須等の条件もあります。(我が娘が受験した大学もそうでした。)

 これに加えて、「面接」はおそらく何処の大学の推薦入試においても必ず実施されていることだろう。



 この面接に関して、娘の高校でも学校長自らがその「模擬面接」を受験生に実施してくれたのだが。
 娘の高校には前年までは統率力の素晴らしい学校長(著名な元NHK解説委員であられた)がいらしたのだが、残念ながらその方が退職されて。  副校長だった人物が校長に昇格され、その方が娘の「模擬面接」を実施してくれたようだが…
 これが、(元高校教諭の私に言わせてもらうと)的が外れていた!!😱 
 その元副校長が娘に曰く、「あなたは既に美大受験は諦めているのだから、それに関して面接で触れてはいけません!」
 親の私から補足説明をすると、確かに我が娘は高2の最後まで美大受験に向けて夜間はせっせと美大受験予備校に通っていた身だ。 ところがデッサンに躓き、高2の3学期に美大受験を断念したとの経歴を作ってしまったのは事実だが。 
 この事実に関して親の私に言わせてもらうならば。 学業と並行して人の2倍の努力を重ねて来た娘の事実を、何故それを全く知らない学校長に「一切言うな!」と否定されねばならないのか!!と怒り心頭だった。 😡 
 そこで私は娘にアドバイスした。
 「もしも公募制推薦大学の面談において、例えば、余暇は何をしていたか?等々の質問がでた場合、夜間は日々美大受験予備校に通い切磋琢磨していた事実を公表するべきだ!」


 実は、これが娘の公募制推薦大学合格の要であったと結論付けられる気もする。
 娘が目指した公募制推薦大学学部学科とは基本的には「理系分野」ではあるものの、一部に於いて芸術性が問われる学科だったが故だ。 (参考ですが、我が娘は公募制推薦にて入学した大学にて「フードスペシャリスト」「フードコーディネーター」「食生活指導士」等々の資格を取得して卒業しています。)

 ラッキーなことに娘の公募制推薦面談の場に、娘を通わせた「美大受験予備校」と縁があり熟知している教授がおられたらしい!
 その教授氏曰く、「貴女はあの美大予備校にて毎晩頑張っていたのですね!!」

 なんだか親の私としても、この教授のセリフが決め手となって我が娘が目指した大学公募制推薦入試に合格できた気もする。


 人間の人生など、誰だって分かりゃしないものであろう。

 “たかが”高校校長が、自己の輝ける未来を目指す子供たちに。
 たかが模擬面談にて「これは言っちゃダメ!」などとのせせこましい指導を今現在も実施しているとは思いたくも無いが…😫 😱 

 学校教員たるもの、特に受験面談を控えている子どもの未来を潰すべく言動は自らの良識で自粛願いたいものだ!!
 

世の親たちは我が子の学習内容をどれ程理解して指導や叱咤をしているのだろう??

2024年05月12日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.05.082付朝日新聞 漫画「ののちゃん」より転載したもの。)


 いやいや ののチャンのお母さん、いいところに気が付いたものだ。
 ののちゃんを叱る前に、自分自身が学習内容を如何程理解できているかを自ら のの子とのぼるの「テスト勉強」を実施しつつ確認作業をしている。

 そして、「(その学習内容を)分かってないと、思い切って叱れない。」と発言している。

 素晴らしいお母上ではないか!!

 世の中に ののちゃんのようなお母上が多数存在したならば、我が国日本の子ども達も成績優秀になり、世界的な競争力もぐんと上がるであろう。
 参考だが、ここのところ我が国日本の子どもの学習能力が 悲しいかな世界規模の競争力比較において先進国中底辺をあたりを彷徨っている、との報道を目にしたばかりだ。😱 



 原左都子の私事に入らせて頂こう。

 この私は高齢出産で一人娘を産んだ後、その一人娘の家庭内での学習教育を母親である私一人でやり遂げた、と言って過言でない。
 と言うのも、この私は教職経験がある。 高校にての教職経験なのだが。 
 とにかく教職途中で娘の出産退職を申し出た直後に、出産するに至った。 要するに 現役バリバリの教員経験が、その後の我が娘の教育指導に多いに生きたと言えよう。


 我が娘が多少の発達障害を抱えて誕生していた事実もあり、3歳頃より各種医療・研究機関にて相談・指導を受けたりしたものだ。

 小学校入学後の娘の学習に関しては、課題として出されている各教科の宿題の手伝いをする際に、娘の学習の進捗度合いを母の私が日々確認作業に励んだ。 
 我が子が持って生まれた性質として真面目かつ誠実、そして母の私の指導に素直に励んでくれる子で大いに助けられたのだが。
 小学校卒業まで、特に学習面では特段の問題が無いままに順調に学力を身に付けてくれた。
 
 そして、私立中学校(決して難関校ではありません)から合格通知が届き入学した後も、私は特に「数学」の学習に関しては日々付き添って学習に励ませたものだ。 
 その甲斐があったのか、「英検」「漢検」は中学校段階で準2級まで合格、「数学」も3級をクリアしてくれた。

 高2以降は、大学受験に向けて頑張る段階となるが。  娘の高校には「特進クラス」と称して、ある程度の難関大学を目指す生徒をそのクラスに配置する制度があった。 これに関しては、母の私の判断でそのクラスを選択しない方向を指示した。 なぜならば、引き続き我が娘の大学受験指導をこの母の私が主体の立場で実行したかったからに他ならない。
 我が娘の場合、どうしても未だ学習障害の残影がある頃だった。 そんな娘を特進クラスに入れて成績優秀者同士で切磋琢磨させるのは誤った教育法だと、サリバンの私が判断した故だ。

 そして、我が娘は普通クラスにて大学進学を目指したのだが。
 「特進クラス」は避ける、との母親である私の選択判断が功を奏した様子で、娘なりに高2・高3と学力を確実に伸ばしてくれた!
 
 いよいよ大学受験期だが、娘の私学高校には「指定校推薦」及び「公募制推薦」にての入試を受験できる(それを応援してくれる)制度があった。
 我が家の場合、「指定校推薦」を受けられる如くの学校とのコネが一切無かったため、迷いなく「公募制推薦」に的を絞ってその受験勉強に励ませた。

 この「公募制推薦」だが、その試験内容が「小論文」と「面接」だった。
 特に「小論文」に関しては、母の私が試験直前まで“スパルタ教育”を実施した。 我が娘の場合 小論文の内容に関しては的を外さないのだが、書くのに時間を要し指定字数に到達しない、との大いなる欠点があった…   そこを、サリバンの私のスパルタ教育により、入試日直前に字数をクリアさせるに至った!!

 さて、受験当日は当然ながら娘一人で試験会場である某大学へ行かせたのだが。

 受験を終えて帰宅した娘の表情が、明るかった!

 数日後には、間違いなく娘の「公募制推薦・合格通知」が届けられた!!


 あの日の感動を、私は未だに忘れやしない。 

 まさに、我が娘の学習能力の程を十分に理解した上での我が家におけるサリバン母である私の  “誤り無き学習指導” が開花したものと、私は自己評価している。