原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今時の学校現場では新任教諭のうち5%程が1年以内に退職しているらしい。

2024年03月31日 | 教育・学校
 明日は、4月1日。

 我が国では、学校が新年度を迎える日だ。


 そんな学校現場では冒頭表題に掲げたとおり、新任教諭のうち5%近くが1年以内に退職しているらしい。
 例えば、2024.03.26付朝日新聞記事によると、2022年度に都教委が正規採用した新任教諭2429人のうち、108人が同年度末までに退職しているという。 離職率4,4%は、過去10年間で最も高かったそうだ。


 早速、原左都子の私事に入ろう。

 この私も、学校(私の場合は高校の)教諭経験者である。

 私の場合、かなり異例の採用人事だった。
 その時代は教員不足が激しかった時期だったらしいのだが、それにしてもあまりにも突然「教諭依頼」が降りかかってきたのには私自身が驚かされた。😱 

 3月末頃の事だ。

 元々医学関係者の私だが、2度目の大学を卒業して引き続き大学院へ進学せんとしていた。 既に学業の合間には大学長期休暇時に励んでいた元々の専門の医学関連業務を続行予定だったところ。
 
 突然、夜遅い時間帯に我が家の電話が鳴る。
 出てみると、神奈川県教育委員会を名乗る男性が、「貴方は4月から神奈川県立高校の教諭に新採用が決定しています。明日校長面談を実施しますので必ず高校までお越しください。」
 なんともぶしつけ、かつそんなデタラメ話に応じる訳には行かない。
 断固として、「私はそもそも医学関係者です。 4月から昼間は大学院に進学しますが、合間の仕事として医学関係会社への勤務が決定しています。 (途中大幅略)  その給与の程が既に決定していますが、もしも貴方がおっしゃるところの神奈川県立高校の給与の方がそれよりも高ければ、考える余地はあります。」
 電話の主も強引で、「とにかくあなたは既に4月から県立高校教諭が決定していますので、必ず明日は学校まで校長面談に行って下さい!」
 
 そうして出かけたその県立高校の、特に教頭先生のお優しいこと! 
 「よくぞ、本日は我が校へお越し下さいました! 教委もこんな素敵な女性先生を我が校に紹介下さり私どもも嬉しいです。 給与額の件はお聞きしていまして、ここに資料を用意しました。 これをご覧になって、どうか我が校へ教諭としてお越し下さるよう切にお願いします。」

 早速その資料を手に取ってみたところ、確かに私が勤務していた医学関係企業よりも高い報酬が手に入るようだ。
 まあそれでも、一応「もう少し考える時間が欲しい」とは言いましたよ!
 ただ高校側も4月の新学期をすぐそこに迎えている立場で かなり焦っていた様子で、「〇先生(私の事)にお願いがあるのですが、3月中に 全校の時間割作成作業のお手伝いをいただきたいのですが、明日からその作業に加わっていただけませんか?」

 これ、既にその教頭先生の熱意に降参とも思えた。 
 次の日(未だ3月だった)に私は約束通り、その「時間割作成作業」に加わるべく学校へ行った。 そうしたところ、数名いた教員たちとすぐに打ち解けることができ、私自身もその作業に没頭したものだ。(そもそも、私は仕事と名がつくものにはすぐに集中可能な人間です…。)

 そんなこんなで、結果として私は4月から当該高校の教諭として正式採用されるに至った。


 その時既に、34歳。

 何と申しますか、職種が何であれ職業人としての経験値は十分に積んできている身として根性が座っていたと言うのか…
 直ぐに教職に慣れた、というよりも。
 とにかく、今までの職業上無経験だった「生徒」という存在が何よりも可愛い事、この上なかったものだ。 



 私事が長引いたが、本題に戻そう。
 
 学校現場に於ける「教員離職者増」の対応策として。

 上記原左都子の事例の如く。
 思い切って、他業種経験者を学校現場へ引っ張り込んではどうだろうか??
 
 その場合、年齢的には「とうが立っている」かもしれないが。

 その人材が児童・生徒と上手く渡れるのであれば、学校現場で何らの不都合も無いと自信を持って私は思うのだが。

 
 それとも、どうしても「若手教員」を新人として採用したい、なる学校現場特有の歪んだ事情でも存在するのであろうか???


教員経験のある私も、娘の学校教員が出す宿題の手伝いは実に鬱陶しかった…

2024年03月23日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.03.19付朝日新聞・漫画「ののちゃん」より転載したもの。)



 表題に掲げたその最たるものは。

 比較的最近の2024.03.09付「再掲載『娘の高校夏季課題より憲法第21条『表現の自由…』に関して」にて紹介した、娘高校1年生時の「情報」にて出題された課題だったが…

 これに関しては 私自身の専門学問の一つが「法学」だったが故に。 時間は要したものの、完璧に仕上げて娘に提出させたものだ。
 (その結果、学校側が後にこの課題が難題過ぎるため適切でないと判断して提出不要措置となった。 我が娘にはせっかく私が仕上げた課題を提出させたところ、提出者が全校生徒の中でわずか3名だった事実をバックナンバーにて記載した。)


 さて、表題に戻ろう。

 私の場合はそもそも教員経験者であるため、教員の立場で生徒に宿題を出すのはお手の物だった。 
 とは言えども、宿題を出される生徒(やその家族)の身にいつもなったものだ。
 生徒の中にはアルバイト等々の仕事に励む子も少なからず存在したし。  
 (底辺高校においての教員である身にして)、その生徒のレベルの程に関してはいつも宿題を出す時の主要課題でもあった。
 そして肝心なのは、私が出す宿題に生徒の親を巻き込むべきでない、との私なりの基本的理念が必ずや存在した。

 そんなこんなで我が教員時代には、私が出題した宿題で親御さんにご迷惑をおかけしたことは皆無と心得ている。


 
 それに比して、冒頭の漫画「ののちゃん」では。

 ののちゃん曰く、「SDGsとやらについて、おかあさんと話し合いましょう。Chat GPTとやらについて考えてみましょう。」とやらの宿題が出されたようだ。😖 😵 

 いえいえこれが我が娘が現役小学生時代に担当教師から出されたとすれば。
 
 ののちゃんのお母さん同様に、究極「めんどくさく」て まずは怒り心頭状態になるであろう!!
 (我が娘も鬱陶しい教員に当たったものだ!! 子を持つ親とてやるべきことを抱えて日々多忙を極めているのに、担任教員のアンタの宿題に付き合えと喧嘩を売って来たな!!)😡 

 それでも負けず嫌いの私ならば、絶対に「理想回答」を仕上げて娘に提出させるだろうが…


 そうだとせよ教員経験のあるこの私も、ののちゃんのお母さんの味方だし、「めんどくさい」に尽きるよなあ。



 娘が私立高校1年生時の “若き独身数学女子教師”が日々提出してくる数学宿題の多さにも、参った経験がある。

 我が娘の高校生時代の特徴として、やることはちゃんとできるのだが時間がかかる、との事情を抱えていた。(幼き頃よりの「発達障害」が未だ解決していない時期だったが。)

 若き独身女子数学教師が、日々娘に提出してくる数学計算問題の多さに辟易としつつ。
 とにかく娘の健康を最優先課題と考慮し、睡眠時間を確保してやることを最優先する結果として。 私がすべての計算問題に解答したものを、娘のノートに写させるとの手段に出たものだ。
 これ、実はその後娘の高校1年生終了まで日々続いた! (数学得意な私にとってはなんてことはないのだが。) 横で解答を必死でノートに写す娘の健気な姿を今尚忘れることは無い…

 ただ その甲斐があったのか、我が娘は中3時点で「数検3級」をゲットしてくれるに至った。


 
 最後に、現在の世の学校の先生達に物申したいが。
 
 学校の宿題に家庭の家族を巻き込むとの手段は、如何なものか??
 特に今時、各家庭の形態(あり方)が大いに複雑化していることを理解した上での措置なのか!?!?

 親が確実に子どもの学校の手伝いを出来る時代は、既に終焉しているのではあるまいか???
 その発想の下に、学校教員は児童生徒に対する宿題の出し方を工夫して欲しいものである。
 

小学校の校歌、今でも歌えますよ!!

2024年03月17日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.03.16付朝日新聞「be」(between 読者とつくる)ページ、「小学校の校歌、歌えますか?」より転載したもの。



 小学校の校歌に関しては、本エッセイ集バックナンバーにても取り上げたことがあると記憶しているが。


 私は小学校を2校経験している。
 決して「転校」をしたわけではなく、自治体内公立小学校の統廃合が進んだ時期だったせいだ。

 小5(小4だったかな?)時にその統合に関する説明があった。
 私が通っていた小学校もその統廃合の対象となるとのことで、私の場合、最後の6年時のみ、新たに建設された新統合校舎にて学ぶこととなった。
 (参考だが、この新たな小学校が「モデル校舎」として全国的に名を馳せた時期があったようだ。 確かに通常の公立学校とはかけ離れたモダンでスタイリッシュな造りだった記憶がある。
 参考だが、私が公立小中学校時代に育った自治体は、「公営ボート競艇場」を抱えていて、そこから多額の収入を得ているいわば “ギャンブル市政” だった。😱 😫 


 その新たな統合小学校ではなく、もともと存在した「木津神(こつがみ)小学校」との大変珍しい校名の市立小学校へ私は入学したのだが。

 その小学校の校歌の歌詞が、これまた素晴らしかった!!

 未だに一番のみ覚えているので、以下に紹介しよう。


      木津神の 浦に年経て 寄る波も 同じ所に
      帰るなり 帰るなり
      ゆかし郷土に 輝ける 木津神校


 この校歌、曲も美しく情緒ある作りで 素晴らしく。
 
 元々音楽好きだった私は、幼心に大変気に入った校歌だった。

 だからこそ、今尚 記憶に残っている。

 小学校の統廃合と共に、この名曲の校歌が消えゆく運命にあったのが残念だったものだ。
 ただ 児童の一人だった我が脳裏には、今でも鮮明にこびりついている。

 
 参考だが、(ギャンブル市政にて)新しく建設された“モデル校舎の「〇〇市第一小学校の校歌を、少し紹介しておくと。

      みんな元気で頑張ろう
      みんなの力 第一小学校

 当時既に6年生だった私は、がっかりした…

 生徒を馬鹿にするんじゃないよ!! 😣 




 話題を大きく変えて。

 私が30代に二度目の大学として入学した大学校歌(古関裕而氏作曲 西条八十氏作詞 だったと記憶している)も、素晴らしかった!!

 (この話題に関しては、バックナンバーにても紹介した記憶があるが。)


 歌い出しからして、凄い!!

     ♪ ああー 〇大の 俊英 我ら!!  ♪♪


  これを本学学生達が高らかに歌っているのを、他大学の学生が聞くと。

  お前ら、アホか …   と思うらしい… 
 

再掲載 「娘の高校夏季課題より 憲法第21条『表現の自由…』」に関して

2024年03月09日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、娘高1時の「情報」の授業担当教諭より出題された夏季休暇課題「憲法第21条『表現の自由と閲覧の自由の禁止」に関する設問の一部に、母親である原左都子が下書き解答したもの。)


 上記記載通り、この課題は娘が私立高校1年時の夏季休暇に出された「情報」の課題である。


 この課題を娘から一番最初に見せられたのは、学校帰りに母娘で大学のオープンキャンパスへ向かうバスの中だった。
 娘が困惑した表情で訴えるには、「本日『情報』の担当教師より夏季休暇課題が配られたのだけど、何だか難しそうで…」
 それをバスの中で母の私が一覧して曰く、「これ、高1の生徒に課す課題じゃないなあ。でも全員強制でこれを9月に提出せねばならないのね。 とにかく家に帰ってから今一度じっくりと見るよ。」


 そして帰宅後、2枚構成のその課題をじっくりと読んでみた。

 「経営法学修士」を取得している我が身にとっては、さほどの難題でもないのだが。
 一体全体、その「情報」担当の教師が何を目的で高1生(未だ15,6歳の子ども)を捕まえてこんな難題を課したのか、その魂胆が掴めないまま。


 とにかく私が解いた回答が、冒頭写真と以下の写真の通りだ。

        

                


 この課題に関してはおそらく担当教師側に、明らかに「親も手伝え!」あるいは「親のレベルの程をみたい」なる裏魂胆があるのが見え見えであるため。
 あえて高1生のふりをせず、親である原左都子としての解答で一貫する方針とした。

 さて夏休みも終わり、娘がこの課題を担当教師へ提出しようとすると。
 「この課題は高1生には難し過ぎたと判断して、提出しなくてよい措置とします。」と、ぬけぬけと言うらしい。😖 

 おそらく夏季休暇中に、保護者から多くのクレームが届いたのだろう。
 それを教師たちが重く受け止めて、提出不要の措置を採ったものと思われる。

 それでも、娘は(私が原案を考えて娘が清書したもの)を持参したのでそれを提出したのだが。
 な、な、何と!! 校内でこれを提出したのはたったの3名のみだったとのことだ。😱


 私の場合は上述のごとく「経営法学修士」を取得している関係で、大騒ぎする程難題でもなかったのだが。 
 それでも綿密に調査せねばならない設問項目が多く、下調べと解答に時間を要したなあ。


 せっかく解答したので、以下にその一部を紹介しよう。

       
          
 これなど、「田中真紀子長女文春記事差し止め請・審理」の詳細を調べねばならず、随分と時間を要した。


         

 あるいは、最後の設問は東京高裁が決定の取り消しを決めたことに関し、「プライバシーの侵害であるから出版を差し止めるという考え方)について賛成か、反対かを問う設問だが。          


 これに関しては、原左都子自身の見解「条件付きで『反対』」との意見を“思う存分”に書かせてもらったものだ。

 この解答のみ、以下に反復させていただこう。

           

 「出版差し止め」自体に関して言うと、イコール“事実上の検閲”という解釈に結び付き、これは憲法21条の表現の自由に反するため反対の立場をとりたい。
 ただし、この事件全般を考察した場合、様々な落とし穴がある。
 個人のプライバシーはもちろん守られるべきであり、政治家の娘とはいえ、女性のプライバシーを商業主義の下おもしろおかしく暴き立てる行為は人道的でなく低俗である。
 各種マスメディアの情報が氾濫している今の時代であるが、情報の受け手である我々消費者も、情報を自らの意思で選択する確かな目、判断力を養うべきである。
 無用で低俗な情報を受け手が排除していくことにより、個人のプライバシーを自ら守り抜きたいものである。

 (以上、娘の高1時の「情報」課題に、原左都子が解答したもの。)

 たかが子供の夏季休暇課題であれ、どうせ手伝うならば親自身が達成感を得つつ楽しみたいものだ。😝




 
 2024.03時点の、原左都子の感想を述べよう。

 現在我が一人娘が30代に到達しているため、この話題は既に10数年前の出来事となる。

 高校の「情報」の授業と言えば、おそらくコンピュータ(パソコン等々の扱い方)を指導するのが中心かと私は捉えているが。

 当時の娘の高校の「情報」の授業では、当該教師が何を指導していたのかに関しては、娘から聞いたことも無ければ特段通常の授業で困惑することも無かった様子だ。

 その教師が夏季課題として、たかが15,6歳の少女達(私立女子高だったが)に課したのが上に示した課題だ。

 一見して、私は保護者に対する「挑戦状」と捉えた!!

 こういうのに対して、俄然と挑戦を受けたい!!😡 性分の原左都子であるし。 また 経営法学修士を取得している身にして、「憲法」も比較的得意分野でもあった。

 それにしても後で蓋を開けてみると、全校生徒の中でこの課題を提出したのがたったの3人だったとの事実にこそ、驚かされた。😲 
 まあ、生徒の親の専門分野も様々であろうし、私立であるからと言って親たち皆が皆が子どもの教育に熱心であるとも限らないであろう。

 
 我が娘は、後に大学卒業後 IT技術者として就職したのだが。
 そのきっかけが、まさかこの事件に端を発している訳ではあり得ないだろう。
 
 それにしても、学校の教職員達よ。
 自身の専門力を、生徒への宿題を利用して親等保護者にアピールするとの姑息な手段ではなく。
 普段の授業内で生徒に直接指導することにより、自身のノルマを正当に果そうね。 


「在野の精神」の行く末…

2024年03月05日 | 教育・学校
 冒頭表題の「在野の精神」に関して、以下にネット情報より引用しよう。


 「在野の精神」とは、権威や権力に依存せず、在野の指導者を養成するという早稲田大学の気風を表す言葉である。 この精神は、学生の自由な志向と卒業生の多様な社会的配分に基づいている。

 (以上、「在野の精神」に関してネット上より引用したもの。)


 原左都子読者の皆さんは、既にご存じであろうが。

 私め 原左都子は、国立大学医学部卒業、及び公立大学・大学院修士課程にて経営法学を学び、「経営法学修士」を取得した身だ。
 故に、早稲田大学とは私自身は何らのかかわりも無い身なのだが。


 今回のエッセイにて 「在野の精神」を取り上げるに至ったのは、2024.02.29付朝日新聞記事「自分貫く在野の誠心 財産 早稲田大学高等学院①」なる記事を見たことによる。

 実は我が晩婚にて成婚に至った亭主が、この早稲田大学高等学院出身者である。 それを卒業後ストレートで早稲田大学に入学後、同大学院物理学研究科修士課程・博士課程を修了し、ネイチャー論文を提出して「理学博士」を取得している身だ。


 今回の朝日記事で取り上げられていたのは、早稲田高等学院から早稲田大学・大学院も含め10年間早稲田で学び、教員免許を取得して高校教員になった人物なのだが。 (私見だが、早稲田にて10年間も学んだ末に「高校教師」になった?!? 失礼ながら逆の意味で珍しい人材ではないかと、私は思ってしまうのだが…)。😵 
 
 我が亭主の同窓生(70歳過ぎた今尚、早稲田高等学院時代の同窓会に毎年出席している亭主であり、その仲間たちの肩書の素晴らしさに恐れ入っている。 例えば、大企業代表取締役、前回の早大学総長選挙に立候補した〇〇氏なども亭主の高校時代からの同級生だ。)

 で、ならばどうして今回この記事をあえて取り上げたのかと言えば、その早稲田大学・大学院出身者で高校教諭になった人物が。
 我が郷里の「神山まるごと高専」の教諭になったらしいのだ。
 (我が感想だが、いや~~~~、驚くなあ。 敢えて、あのド田舎へ行って高校教諭になったのねえ!! 私など、あの過疎地へなど二度と帰る気はないのに…)😱 


 と言いつつ、この私も30歳代に好き好んで数年間「高校教諭」を経験した身であるが故に、その“職業価値の程”は分かる気がするのだ。
 何と言っても、生徒とのかかわりにおいて他の職種では味わえない人間関係の貴重な場面を日々体験したものだ!
 (私の場合、公立高校と私立高校2校の教師を経験した。 両校共々“底辺高校”⦅失礼な表現を心よりお詫びしますが⦆だったが故の生徒との触れ合いの特異性があったかもしれない。 が、とにかく素晴らしいまでの生徒との人間関係が築けた最高の経験だった!!)

 
 我が感覚だと、早稲田出身者(特に早稲田高等学院からの進学者)と言えば我が亭主の如く「物理学研究者」になって “ネイチャー論文” でも発表して身を立てるのが正当な人生か???
 などと要らぬ心配をするのだが…


 さて 早稲田高等学院から早稲田大学進学の高校教師先生は、我が過疎地郷里の「高専」にて、生徒との如何なる関係性を築き教員として今後活躍されるのか??
 朝日新聞特集の続報に、期待しよう。