原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再掲載「1か0かの世界」

2024年09月11日 | 自己実現
 冒頭から、2008年10月08日 に学問・研究カテゴリーにて公開したバックナンバー 「1か0かの世界」を、以下に再掲載させていただう。




 “学問・研究カテゴリー”に分類するほど専門的で堅苦しい話でもなく軽めに綴るので皆さんにお読みいただきたいのだが、今日は算数・数学にまつわる話題を取り上げてみよう。

 朝日新聞2008年9月29日(月)朝刊東京北部ページ「キャンパスブログ」のコラムに“「3」の重要性”と題して、算数、数学学習における「3」の学習の重要性について述べた某大学教授による記事があった。

 この記事の一部のみを取り上げて要約してみよう。
 四則計算の規則から高校数学の積分、行列に至るまで、日本の数学教育では「3」が要点となる問題を広く内含している。1、2、3、…と続いて成り立つ性質を理解させるには(例えば掛け算の計算において2けたにとどまらず3けたまで学習させる等)、「3」の場合まで確認させることが大切である。
 「3」の意義を確かめる実験として、幼稚園児を対象に“あみだくじ”の理解実験を行なった。その結果、縦の直線が2本のあみだくじをたどる方法だけを教えるよりも、3本あるあみだくじも学習させる方が理解度がぐっと上がるという結果が出た。
(以上は、朝日新聞記事の要約である。)

 話が変わって、私は小学生から高校2年生の途中位まで、算数、数学が好きな子どもだった。そのため、大学の進路希望では理系を選択したのであって、当時特段理科が好きだった訳ではない。

 数学の何が好きなのかと言うと、そのひとつの理由は確実に100点が取れる教科であるからだ。例えば国語の場合、作文等においては教員の評価の偏り等の要因で減点されてしまったりするような不透明性が避けられないのだが、これは評価される側としては納得がいかない。そういうことがなく評価に透明度が高いのが算数、数学の特徴であろう。(ただ証明問題等において、解答を導く論理に誤りがないにもかかわらず、自分が教えた通りの書き方をしていない等の理由で減点するキャパのない教員もいたが…。トホホ…)

 私が算数・数学がもっと本質的に好きだった理由は、数学とは哲学と表裏一体である点である。(このような数学の学問的バックグラウンドを把握したのは、ずっと後のことであるのだが。)紀元前の古代から数学は哲学と共に研究され論じ継がれてきているのだが、数学の概念的理解を要する部分が当時の私にはインパクトがあったのだ。
 一例を挙げると、中学校の数学の時間に「点」と「線」の概念について数学担当教員から(おそらく余談で)話を聞いたことがある。 「点」や「線」を生徒が皆鉛筆でノートに書いているが、これらはあくまで“概念”であり形も質量もないものであって、本来はノートなどに形にして書けないものである。数学の学習のために便宜上、鉛筆で形造って書いているだけのことである…。 おそらく、このような内容の話を聞いたと記憶している。
 この話が当時の私にとっては衝撃的だった。「点」や「線」とはこの世に実在しない“概念”の世界の産物なのだ! (当時は言葉ではなく、五感に訴えるあくまでも感覚的な存在として“概念”という抽象的な思考の世界に私としては初めて触れた経験だったように思う。)
 お陰で数学に対する興味が一段と増したものである。

 同様に、“2進法”を中学生の時に(?)学んだ記憶があるが、これも大いにインパクトがあった。
 「1」と「0」のみの世界! 要するに「存在」と「非存在(無)」の哲学の世界なのだが、世の中のすべての基本はこの2進法にあるのではなかろうか、(と考えたのはやはりずっと後のことであるが…)。
 小さい頃から10進法に慣らされている頭には、この2進法の洗練された世界はまだまだ子どもの私にとってとても斬新だった。 またまた数学の面白さを学ぶ機会となった。
 この“2進法”はコンピュータの計算原理でもある、と教えられ、コンピュータとは電球がONかOFFになることの発展型である、ことを頭に思い浮かべて“なるほど!”と納得したものである。

 その「電子計算機論」を大人になってから学ぶ機会があった。
 20代に医学関係の仕事に携っていた頃、データ処理用のワークシートをコンピュータで出力する業務を任せられるに当たってプログラミングを経験したのであるが、その時に仕事の合間に私は独学でプログラミング(COBOLとFORTRAN)をマスターした。
 プログラミングの学習の一環としての「電子計算機概論」に、やはり“2進法”が登場した。 コンピュータ内における情報処理の基本計算原理は“2進法”である。
 すなわち「1」と「0」の世界がコンピュータを生み出したと言っても過言ではない。

 現在は“10進法”が世の中を創り上げ人の頭も“10進法”にどっぷりと漬かってしまっているが、たまにはコンピュータになった気分で“2進法”の世界にトリップしてみると、また違った視野が広がるのかもしれない。



Comments (12) 

Unknown (カズ) 2008-10-08 16:20:03 
確か0の概念を発見したのはインド人であることを聞いたことがありますし、いンドの小学校では九九を99の段まで覚えさせられると聞いたことがあります。

カズさん、0の概念があってこその世界ですよね! (原左都子)2008-10-08 16:47:08カズさん、ものすごく久しぶりのコメントに私は感激です!
「0」の概念を発見したのはインドでしたか。やはり、さすが紀元前何千年の文明のある国ですね。
子どもの学習に関しましても本当にいろんな国がありまして、モンゴルでは引き算の概念がなくて、すべて足し算でことを済ませるそうです。
そう言いますと、欧米でも今尚買い物のお釣りを“足し算”で渡してくれることが多いのにも私は感激です!

 算数って、本当に応用が効いて面白いですよね!
Unknown (カズ)2008-10-08 18:54:32モンゴルがそうだとは驚きました。

カズさん、世界中にいろんな算数が存在します。 (原左都子)2008-10-08
 20:17:40
 算数って、昔から人間の生活と密着した科目でもありますよね。
だから、紀元前の昔から世界で生活の一部として取り上げられ、生活の中で発展してきた学問であるように思います。
しかも、そこには哲学と同様に普遍的な法則性まであるのです。
学問としては、大変すばらしい世界ですね。

 今後も数学は普遍でしょう!
 10進法→2進法へ (ドカドン)2008-10-08 20:55:45
 多分、10進法の数字を、2進法のコンピュータに取り込んだのは、「バーコード」の発明でしょうね?
 人間はすごい、2進法のコンピュータを、ちゃんと10進法でも使いこなせるだけの知恵を持ち合わせています。
 でも、コンピュータの弱点は、複雑怪奇な感情を持つ事が困難ですよね?返信する

 Unknown (さん)2008-10-09 00:52:422 進法のデジタルの世界は、わりと好きです。

 もし、世の中(特に日本)が10進法を選ばず、12進法や2進法を基本として選んだら、一体どんな世界になっていたでしょうね?

 and or nand (issei)2008-10-09 01:45:06  皆さんこんばんは、この話は盛り上がりますね。
 だって魔法の箱の最小単位の話でしょう?
コンピュータが”1”と”0”で成り立っているなんて不思議でした。
1+1=10(桁上がり)、私だけ給料の計算はこれでして欲しいです。
 昔and、or、nand、exclusiveなどを駆使した記憶が甦ってきました。 

 思いつくままにコメントを記します (ガイア)2008-10-09 03:06:39
 数学の世界ではありませんが、点・線・面という概念は大切で、面白いです。美術やデザインなどの造形の世界では屡語られます。又、基礎造形や基礎デザインの課題として必ず課せられます。
 これに色彩構成の要素が加わることもあります。
 空間の基点は点にある。線は点の軌跡である。面は線の軌跡である。線は面と面の境界にある。点は面と面の境界にある線の両端にある。などと、当たり前の事をロシア出身の画家で美術理論家であるワシリー・カンディンスキーと言う人物が述べています。
 数学ではありませんが「3」も面白いですね。3角形、3角錐、トラス構造など。
 ジャンボジェット機に搭載されているコンピュータは3台あり、データは多数決の原理で決定するそうです。即ち、1台のコンピュータが他の2台と異なったデータを示しても、2台が同一のデータを示している場合、多数決原理で2台のコンピュータのデータを信用する、と言うことでした。この考え方は、元来宇宙船に用いられたもので、それが航空機にも取り入れられたと考えます。 
  コンピュータの世界は2進法です。論理演算も出来てコンピュータ処理には最適ですが、1と0の連続は直感的に理解し難いです。10進法に慣れているからです。2進法の桁が多いのも困ります。そこで登場するのが16進法。16進法と言っても中身は2進法で、2進法の4桁をひとくくりにしているそうです。

 ドカドンさん、ファジー理論も導入されていますが。 (原左都子)2008-10-09 07:43:38
 コンピュータの歴史の中でバーコードが発明されたのは意外と最近のことのように記憶していますが、あのバーコードも要するに「白」と「黒」の識別、つまりは「0」と「1」の世界なのでしょうね。

 コンピュータにもファジー理論すなわち「曖昧性」も導入されているようですが、人間の感情の複雑さを表現するには程遠くて、まだまだ“杓子定規”な世界ですよね。

 さんさん、12進法はちょっと苦手です。 (原左都子)2008-10-09 07:49:491  2進法の時計の計算は算数の中でも少し億劫でした。時計の場合は、デジタルよりもアナログの視覚で捉える世界の方が私は理解しやすいので、もっぱらアナログ時計に頼っています。  
 そして余談ですが、私の場合時間は数字ではなくアナログの針の位置で頭が理解しているようで、例えば、道を歩いていて突然「今何時ですか?」と尋ねられてもとっさに音声で答えられない、という経験をよくします。これは、私だけでしょうか??
 話をずらしてすみません。

 isseiさん、私も貯金は2進法で増えて欲しいです。 (原左都子)2008-10-09 07:56:24
 本当です。私もお金は2進法で増えて欲しいです。
 isseiさん、and or nand …って何ですか???
 分からないので今度教えて下さいね。

 ガイアさん、量子力学的実在論の世界へ誘われますね。 (原左都子)2008-10-09 08:10:42点、線、面、空間、時間 … 
 
 この話は、量子力学的実在論の世界へも迷い込める話でして、今回の記事でもそこまで持ち出そうともしたのですが、長くなり過ぎるので今回は控えました。
 是非、いつかそちらまで話を発展させたいと思います。
 8進法も16進法も基本は2進法ですね。2進法を3ビットに区切って表現したのが8進法、4ビットに区切って表現したのが16進法ですね。
これら2、8、16進法から10進法へ変換するしたり、逆の計算等の演習を20代に相当頑張りました。
 今やれと言われても、もう嫌ですね。


 以上、「原左都子エッセイ集」 開設直後期の2008.10.08付バックナンバーより再掲載させていただいたものです。


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 この時期は まさに良きブログ仲間に恵まれていたものと、実感させられます。

 2024.09の現在に至っても、この通りブログを我が人生に於いて有効利用させて頂いる立場の原左都子ですが。

 その“有効利用の仕方”が 大いに変貌している事実を、自身が高齢化に至ることと平行して受け入ればならない とのことなのでしょう…


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