原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

この私も、亡き実父の遺産をただの一銭も受け取っていない

2024年02月17日 | お金
 本日2024.02.17付朝日新聞「悩みのるつぼ」の相談内容は、60歳女性による「母が父の遺産を渡してくれない」だった。



 この相談内容を読んで、我が父が30数年程前に真夜中の2時頃郷里自宅にて突然死した事を思い起した。

 まさに真夜中の2時に我が家の電話がけたたましく鳴る。
 当時娘と二人で寝ていた私も当然ながらその呼び出し音に気付いたが、どう想像してもロクでもない要件であることが嫌でも想像できた。
 その電話に出てくれたのは、亭主だったが。 
 郷里の実母からの、「父親が先程急死した!直ぐに郷里に帰って欲しい!!」との訴えに、驚かない訳はないのだが。
 とにかく、真夜中だ。
 亭主から電話を変わった私は比較的冷静に、その母からの電話に応えた。
 「今すぐ帰れ!、と言うが。 こんな深夜の時間帯に飛行機も飛んでいないし、とにかく落ち着いて。 何で死んだの? 救急車は呼ばなかったの??」等々の私からの質問に対して、動揺している母がまともに応えられる訳も無いのだが。 要するに真夜中に突然心臓発作を起こした様子で苦しみ始めたらしい。
 実母がすぐに近くのかかりつけ医院へ行って医師先生を叩き起こして見てもらったら既に父は死んでいたらしく、医師の診断では「急性心筋梗塞」だろう、との話だった。
 (なんで 実母はすぐに救急車を呼ばなかったのだろう?との疑問は今尚ある…)

 次の日の朝になって娘を引き連れて航空便に乗り、郷里へ向かった。
 実家に到着して驚いたのは、実母が親族(特に母の実家の親族が大多数だった)の皆を集めて、比較的落ち着いているというよりも、私の目からは楽しそうに騒いでいたことだ。

 とにかく、葬儀は明日行うと言う。 それの予約も母方の親族の皆さんのお陰で既に出来ていた。

 母親族の一番親しい叔母(当エッセイ集にてよく登場する“さっちゃん”だが)が言うには、「夜中の2時に電話が掛かって来て叩き起こされ、今すぐ来い!と命令された。それは無理なので朝まで待って欲しいと言ってそうした。」
 私も返して、「さっちゃん、我が家へも同様の電話が夜中の1時半頃に母からかかってきたのよ。 それにしても どうして父が突然死したというのに葬儀の前日に母はこれだけ大勢の親族を集めて、にぎやかに楽しそうにしているのだろう??? とにかく娘の私も今回の母からの夜中電話は大きな迷惑だった。」 のような会話をさっちゃんとした記憶がある。 

 父の葬儀は滞りなく終了し、我が家も娘の幼稚園もあるし3日目には東京に戻っただろうか。
 その直後、私はその突然の葬儀の疲れから「帯状疱疹」を患った記憶がある。



 話題を、表題のテーマに戻そう。

 世の家族とは様々で、親が死んだからといってその葬儀に集合させられる事実が迷惑だったりすることもあって許されるのではなかろうか???
 何と言うのか、葬儀とは残された家族が自分本位で大々的に大勢の自身の親族を集結させて実施するものか?!?? との疑問を大いに抱かされた父の葬儀であったわけだが。
 
 その後、実母からは父親(生前は地方公務員の身だった故にある程度の遺産を残していると想像するが)の遺産相続の話がまるでないままに、そのすべてを実母が引き継いだ様子だった。
 いえ、いいんですよ。 当の昔に姉は米国暮らし、私は東京暮らしの身であり両親とのかかわりがさほど無かった身にして、亡き父の遺産の全てを実母が独占しようが、実際それでいいのだが。
 それに関して母から何らの説明も無いままに時が流れてしまっている…

 さらに時が流れ 数年前に実母が郷里の高齢者施設へ入居した際に、両親が暮らしていた家を実母が売却したのだが。
 その時ですら、売却利益の相続に関する話が一言も出ない間に、実母がすべての売却利益を自分のものとした。
 あの時には売却仲介会社から、我が手元に「父の財産相続放棄に関する書類」が送られてきて、それに署名捺印したため、実母がすべての売却利益を我がものとしたことを把握している。

 いやそれもいいんです。
 (米国の姉とはずっと以前より絶縁状態)だし、この私も特段生活に困窮する程の貧乏人でもないため、父の遺産など一切要らないのだが。


 それにしても、郷里実母のこのあからさまな「亡き父の遺産独り占め」状態はどうしたことか!?!
 実母とて自身が地方公務員を定年まで全うしているため、生活に困窮することは無いはずなのに…
 
 この実母の“業突く張り”の実態こそに、父亡き後 少し心を痛め続けている次女の私である…
 

義母の「不動産貸付業・青色申告」が1月29日に迫っています。

2024年01月23日 | お金
 (冒頭写真は、義母の「不動産貸付業・青色申告」用に原左都子が作成した書類の一部。 個人情報保護上の関係で裏面から撮影しています。)


 私がこの義母の「不動産貸付業・青色申告」を代行するようになってから、既に10年以上の年月が流れているだろうか。

 毎年この時期になると「青色申告日」を迎えるため、年が明けた頃よりその準備を開始する。

 何故、長男の妻である“他人”の私が義母の青色申告代行を務めているのかを説明するならば。
 私が2度目の大学・大学院にて「経営法学修士」を取得している関係で、国税庁に「税理士試験・税法3科目免除」申請を提出して(要するに、税理士資格の半分を取得しているとのことだが。)それを無事通過している故だ。


 何と言っても「青色申告」は係員が大変親切に対応して下さるため、特段税務に関する知識を備えていない立場の方とて、十分に申告可能であろう。

 ただ私の場合は、上記の如く「税理士試験・税法3科目免除」を国税庁に提出している身にして、ある程度のプライドはある。😜 
 それ故に、毎年必ずや申告書をほぼ仕上げて青色申告会へ出向いている。

 過去に一度、少し意地悪な青色申告担当者に当たったことがあり、結構申告内容の細部まで弄り回されて絞られた経験があるのだが…
 その時は、そのお蔭で私が計算した税金額よりも結果として納める税金が少なくなったとのメリットがあった。(結局、やはり青色申告担当者は親切であると言えるでしょう!)



 さて、本年申告の(昨年の申告内容の)中での一番の課題は、賃貸物件の大規模修繕工事に伴う「減価償却費」の計算だった。

 昨年夏頃からその工事を開始して、11月頃に終了しただろうか。
 物件の屋根、外壁、ブロック塀、フェンス等々の修繕工事を施し、総額として500万円弱を計上している。
 この「大金」を一度に費用計上するのではなく、「減価償却」なる税務上の手段を施すことにより費用計上を長年間に及び分配することが可能となるのだが。
 原左都子は「経営法学修士」を取得していると言えども、決して不動産物件のその種の計算を学習してきている訳ではない。 
 私の専門はあくまでも「法学」であり、学生時代には「民法」「商法」関連の卒論や、修士論文を仕上げて提出している。

 まあそれでも(おそらく青色申告担当者が実施して下さったであろう)過去の「減価償却計算」の実例を見ればこれを参考にして計算が可能だ。
 そうして、私は、昨年の大規模修繕の際に発生した「減価償却費」の計算をし終えた!


 昨年の義母の青色申告に於けるもう一つの特徴とは。

 義母本人の「医療費」が極端に多額となっている事実だった。

 この税務計算に関しては単なる足し算を施せば済むため、青色申告担当者の我が身としては特段の苦悩は無いのだが。

 今年93歳を迎える義母だが。
 今後ますます体調維持が困難となり、病院受診・薬剤依存の急増による医療費急増を予感させられる今年の青色申告現状である…😨  
 

今年7月に1万円札の肖像が交代するらしい

2024年01月13日 | お金
 (冒頭写真は、その交代に先立ち40年近く1万円札の顔として親しまれた福沢諭吉の功績に光を当てようと、故郷の大分県中津市で1万円札の裁断くず6億円分を使った「開運の中津城模型」の写真を。 朝日新聞記事より転載したもの。)


 1万円札と言えば私が懐かしいのは、やはり「聖徳太子」である。
 そうか、それが福沢諭吉に変ってからもう40年近くの年月が流れているんだなあ。

 参考のため、令和6年に発行される新しい1万円札の肖像は「渋沢栄一」氏であるらしい。 (私的には、さほどの思い入れがないなあ…。)



 本日、朝日新聞紙面でこのニュースを見て。
 そう言えば、私も旧札のコレクションが少しある事を思い出した。

 以下に列挙しよう。

          
 これが懐かしい人は多いのではなかろうか?
 「板垣退助」がモデルの100円札だが。 
 いつ頃 これが廃止されて100円玉のコインに変ったのかが思い出せない程に、遠い昔のこととなっている。 
 私の人生に於いては、板垣退助100円札を使用した時期の方がコインよりも長い気がするのだが、どうだろう??

 
          
 こちらは、新渡戸稲造肖像の「旧5000円札」だが。 これが使用された時期が短かったような記憶があるのだが、単に私の思い違いか?? (参考だが、現在の5000円札の肖像は、樋口一葉氏だ。)


          
 こちらは、2000年から2003年の短期間のみ発行された2000円札。
 この紙幣を、私は5枚保存してあるが。
 今後 2000円札が新たに発行されるとの予定は一切ないようだが。 だからといってこの2000円札の価値が上がるという訳でもないらしい。😔 😰 


 引き続き紹介するのは。
 現在高齢者介護施設に暮らしている義母から預かっている「記念通貨」だ。

 
         
 これは平成5年に発行された、皇太子殿下御成婚記念プルーフ貨幣セット 。
 額面価格は左が¥5,000-、右が¥500- 。
 義母から預かって以来、本日初めて中身を見たとの訳だ。


         
 こちらも同じく、義母から預かっている 「御在位60年(一体どなたの??)記念硬貨」。
 昭和61年発行のようなので、昭和天皇在位60年記念硬貨だろう。
 額面価格は「壱万円」也。



         

 こちらも、どなたかの在位記念硬貨のようだが。
 額面は100円だが、漢字が読み取りにくい。


 
 新たに発行される1万円札の肖像は渋沢栄一氏らしいが。
 繰り返すが、原左都子としてはさほどの思い入れは無い。

 ずっと「聖徳太子」でよかったかも???
 (実際問題、あの頃の1万円札の重みは凄かった!! 今となっては、その価値が急落しているなあ…)

 などと、ゲンナリしたりもする…
 

急ですが、10月後半期に我が郷里へ旅に出る段取りとなりました!

2023年09月10日 | お金
 今回の郷里旅行の発端を語ると。

 郷里の自立支援施設にて暮らしている実母が、既に10年程前より郷里の四国霊場5番札所「地蔵寺」に永代供養墓を購入しているのだが。
 参考だが、69歳の若さで急逝した我が父もこの「地蔵寺」の永代供養墓に実母が入れている。
 その父の隣に、実母自らが自身の永代供養墓を購入したとのいきさつだ。

 その実母が90歳を過ぎた頃から言い始めたのが。
 「近いうちに〇子(私の事)が郷里まで来て地蔵寺を訪れて、自分の永代供養のお願いをして欲しい」とのことだった。

 それを言われた時は、(そんなもん、実母が死んだときに直接お願いすればいいだろうに。😣 )だったのだが。
 どうも我が過疎地郷里では、たとえ永代供養にせよ、それをお願いしている母自身の葬儀にも必ず永代供養寺のお坊さんを読んで、お経を唱えねばならないらしい。 (参考だが、その費用がな、なんと!! 2~30万円必要と言うではないか!!) 
 これ、単にぼられてる!! と言うのが私の正直な感想だが…
 叔母のさっちゃん(私が親戚筋で唯一信頼している人物だが)のアドバイスでも、「田舎には田舎の風習がある。 それに従っておくのが後々安泰だ」とのことだった…

 まるで、ぼったくりに遭っている感覚しか抱けない私ではあるが。
 信頼するさっちゃんにまで忠告されては、それに従わねば喧嘩を売る結果となるし…  まあその費用は、実母が残した遺産でまかなや済むか… なる諦め感覚でそれに従うこととした。



 別件だが、本日私が大好きな郷里のマチ子さんよりお電話を頂いた。
 その電話の用件とは、夏にマチ子さんより頂戴した贈り物のお返しを、遅ればせながら(と言うのもマチ子さん曰く、夏のその日の時点ではお寺の檀家からの贈り物が境内に所狭しと置かれているので、お返しはご遠慮願いたい、との嘆願だった。)
 それでは時期を見計らって、と考えた私は、9月中旬の今こそ、そのチャンスか!!と考えた訳だ。

 そして、本日その我が贈り物が届いた御礼をマチ子さんからお電話にて頂戴したとのいきさつだ。
 時は既に秋に移ろいでいたため、私の選択で真知子さんへは「栗もの」のお菓子をお贈りしたのだが。
 マチ子さんが喜ばれて曰く、「亡くなった主人(我が医学部恩師に当たる方だが)の好物が栗でした。主人もとても喜んでおります!!」
 いつもながら、スマートで温かい対応をされるマチ子さんとの会話をしばらく楽しませていただいた後に。 
 私から告げた。 「10月後半頃に私は必ずや郷里へ行きます! その際には航空機を降り立った直後に、いつも通りマチ子さんが暮らしていらっしゃる観音寺を真っ先に訪問させていただきます。 マチ子さんにお会いできるのがとても楽しみです!!」



 そんなこんなで 我が郷里への旅のきっかけが、マチ子さんとの会話にて掴めたとのいきさつだ。

 私の膝も、その頃には航空便にて旅に出れる程に回復していることであろう。
 
 とにかく、大好きなマチ子さんと再会できるのが本気でとても楽しみな私だ。

 実母のことは二の次、とは言ってられないが。
 実母が望む、生前の「永代供養墓」地蔵寺ご挨拶も、滞りなくこなして来ようではないか!

 えっ? その事前挨拶に一体如何程の「札束」を用意すればいいの!!??!?


昨日 早くも税務署より e-Tax 確定申告の「還付金」が還付されました!!

2023年02月23日 | お金
 例年の事だが、亭主と婚姻以来原家の「税務申告(義母の青色申告も含めて)」をこの私が中心に担当して既に長き年月が流れている。


 近年のその特質として、(義母の青色申告を除き)e-Tax制度に移行したことが挙げられよう。

 それまでは毎年亭主と2人で税務署へ出向き、係員に質問しつつ税務所にてパソコンで確定申告書を作成・提出していたのだが。
 昨年からは時代の流れに沿って、我が家にて私のパソコンからのe-Tax入力、送信提出にての税務申告に切り替えた。


 さて今年の亭主(及び私の)e-Tax還付申告に於いて、提出後に誤りを発見した事実。 
 そして翌日にその誤りを訂正して再びe-Tax申告を送信し直した事実に関しては、既に当エッセイ集バックナンバーにて公開している。


 その「訂正申告」に関してだが、税務署の説明を読むと「訂正」はいつでも(確定申告期間外でも)OK、しかも訂正した事実を税務署へ連絡しなくてもよい、との情報が書かれていた。

 本当にそれでOKなのか???をかなり不審に思いつつも、それを信じるしかなく、早期に訂正申告書を作成し直し再提出しておいたのだが…


 本日午前中に、亭主の預金通帳に “早くも!” 訂正後の正しい還付金が振り込まれていた事実をネットにて確認して、大いに安堵したものだ。😃 


 それにしても、現在の税務署の“進化”の程には驚かされる。
 こんな納税者側の誤り・ミスを“太っ腹で”受け入れ、還付金を早期に還付してくれるそんな体制づくりを成している事実に脱帽だ。


 税務確定申告とは年に一度の作業につき、私のように既に高齢域に達している身にとっては、毎年“一からの再トライ”感を年を追うごとに実感させられる。
 そんな身にして、税務署の“訂正提出OK”との太っ腹に大いに助けられた今年(昨年分)の確定申告書e-Tax再提出だった。


 とは言っても確定申告書を何度も作成し直すのはやはり大仕事につき、来年こそは一発でばっちりと決められるように努力するぞ!!?