我が子が幼稚園児の頃、数人の母親達の間で、お正月に子どもがお年玉をいくらもらったか、という話題が出た事がある。
皆さんそれぞれに、「うちは何千円」「我が家は1万数千円」等々…話がはずんでいる。
その金額を小耳に挟みつつ、(う~~ん、これは困ったぞ。この話に加わる訳にはいかない)と判断した私はそっぽを向いていないふりをしていたのだが、やはり一人の母親につつかれてしまった。
「○○ちゃんはいくらなの?」
やむを得ず正直に答えると、皆さん一斉に「え~~~!何でそんな大金をもらえるの!!?」
ここでは我が子が毎年手にするお年玉の金額の公表を避けるが、我が子の場合一人っ子であることや、親戚一族に子どもが我が子1人しかいない(従兄弟は既に成人していたり、海外住在であったりでお年玉が必要でない)等の理由で、親戚一同から我が子にお年玉が集中するため、ある程度まとまった金額になるのだ。
そのまとまった金額のお年玉を、まさか子ども本人に全額自由にさせる訳にはいかないため、子どもが幼少の頃からお年玉の使途を子どもと話し合っている。一部は子どもの自由に任せ、ほとんどの残額は子ども名義の預金として私が保管している。
我が子が中学生になった今尚その習慣を継続しており、お年玉のほとんどを預金に回しているのであるが、我が子はどうやら預金残高が増えることがうれしい様子である。
1月6日(火)朝日新聞朝刊の「子どもの声きこえてる?」の今回の記事は、“お金は大事だけど”と題する子どもの金銭感覚にまつわる話題であった。
この記事によると、例えば、“お金は使い過ぎないように気をつけるしかないが、携帯を使っているときにはお金がかかっている感覚がない”と言う中2の女の子や、塾通い用に母親から手渡されているスイカを“電車に乗る意外に、小額ならばバレないと思って母には内緒でコンビニでも使う事がある”と言う小6の男の子の話が取り上げられている。
社会における急速なキャッシュレス化の進展の中、現金と、物やサービス等の商品との相対やり取りを経験する機会が激減してきている。このような時代背景の中で育つ今の子供達は、“お金が減る”感覚が掴みにくい現実であったり、またキャッシュレス決済をごまかしがきく利点のあるものとして認識してしまうのかもしれない。
そのような時代背景であるからこそ、今まで以上に子どもに対する金銭教育は重要な位置づけとなろう。
上記朝日新聞の記事においては、学校でも子どもの金銭教育を検討するべきという趣旨の論評が附記されている。
だが、私論は金銭教育とはあくまでも家庭が主体性を持って取り組むべき子育ての重要な一環であると捉える。
なぜならば、子どもの金銭教育においては、各家庭の経済事情や親の経済観念、金銭感覚が大きく左右するためである。
早い話が、世の中には“貧富の格差”が存在する。Aさん宅がこういう暮らしをしているから我が家も同じにする、という訳にはいかない。各家庭それぞれの経済力に応じた暮らしがあり、子どもにも幼少の頃からその経済力に応じた金銭教育を家庭内で行うべきである。
我が子が小学校低学年の頃、学校の保護者会で“子どもの小遣はいくらが適切か”という話題が出た。案の定、母親の皆さんは「うちはいくらだ」「我が家はいくら」等々、賑やかだ。 確かに子どもの金銭教育において、小遣はスタートラインとして大いに役立つであろう。そこで、他人のお宅の小遣額は参考にする程度にして、各家庭で主体性を持って小遣の金額を決定して欲しいものである。そして、各家庭での金銭教育の一環として、親がその使い方のフォローを忘れずにすることも肝要である。
昨年よりの急激な不況のあおりで、家計に陰りが見えるご家庭は多い事と察する。現在尚そのような経済情勢の真っ只中ではあるが、まずは親自身が自らの金銭感覚を見直し、子どもの金銭教育に繋げて欲しいものである。
皆さんそれぞれに、「うちは何千円」「我が家は1万数千円」等々…話がはずんでいる。
その金額を小耳に挟みつつ、(う~~ん、これは困ったぞ。この話に加わる訳にはいかない)と判断した私はそっぽを向いていないふりをしていたのだが、やはり一人の母親につつかれてしまった。
「○○ちゃんはいくらなの?」
やむを得ず正直に答えると、皆さん一斉に「え~~~!何でそんな大金をもらえるの!!?」
ここでは我が子が毎年手にするお年玉の金額の公表を避けるが、我が子の場合一人っ子であることや、親戚一族に子どもが我が子1人しかいない(従兄弟は既に成人していたり、海外住在であったりでお年玉が必要でない)等の理由で、親戚一同から我が子にお年玉が集中するため、ある程度まとまった金額になるのだ。
そのまとまった金額のお年玉を、まさか子ども本人に全額自由にさせる訳にはいかないため、子どもが幼少の頃からお年玉の使途を子どもと話し合っている。一部は子どもの自由に任せ、ほとんどの残額は子ども名義の預金として私が保管している。
我が子が中学生になった今尚その習慣を継続しており、お年玉のほとんどを預金に回しているのであるが、我が子はどうやら預金残高が増えることがうれしい様子である。
1月6日(火)朝日新聞朝刊の「子どもの声きこえてる?」の今回の記事は、“お金は大事だけど”と題する子どもの金銭感覚にまつわる話題であった。
この記事によると、例えば、“お金は使い過ぎないように気をつけるしかないが、携帯を使っているときにはお金がかかっている感覚がない”と言う中2の女の子や、塾通い用に母親から手渡されているスイカを“電車に乗る意外に、小額ならばバレないと思って母には内緒でコンビニでも使う事がある”と言う小6の男の子の話が取り上げられている。
社会における急速なキャッシュレス化の進展の中、現金と、物やサービス等の商品との相対やり取りを経験する機会が激減してきている。このような時代背景の中で育つ今の子供達は、“お金が減る”感覚が掴みにくい現実であったり、またキャッシュレス決済をごまかしがきく利点のあるものとして認識してしまうのかもしれない。
そのような時代背景であるからこそ、今まで以上に子どもに対する金銭教育は重要な位置づけとなろう。
上記朝日新聞の記事においては、学校でも子どもの金銭教育を検討するべきという趣旨の論評が附記されている。
だが、私論は金銭教育とはあくまでも家庭が主体性を持って取り組むべき子育ての重要な一環であると捉える。
なぜならば、子どもの金銭教育においては、各家庭の経済事情や親の経済観念、金銭感覚が大きく左右するためである。
早い話が、世の中には“貧富の格差”が存在する。Aさん宅がこういう暮らしをしているから我が家も同じにする、という訳にはいかない。各家庭それぞれの経済力に応じた暮らしがあり、子どもにも幼少の頃からその経済力に応じた金銭教育を家庭内で行うべきである。
我が子が小学校低学年の頃、学校の保護者会で“子どもの小遣はいくらが適切か”という話題が出た。案の定、母親の皆さんは「うちはいくらだ」「我が家はいくら」等々、賑やかだ。 確かに子どもの金銭教育において、小遣はスタートラインとして大いに役立つであろう。そこで、他人のお宅の小遣額は参考にする程度にして、各家庭で主体性を持って小遣の金額を決定して欲しいものである。そして、各家庭での金銭教育の一環として、親がその使い方のフォローを忘れずにすることも肝要である。
昨年よりの急激な不況のあおりで、家計に陰りが見えるご家庭は多い事と察する。現在尚そのような経済情勢の真っ只中ではあるが、まずは親自身が自らの金銭感覚を見直し、子どもの金銭教育に繋げて欲しいものである。