原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

車の音と人との共存

2009年07月22日 | 時事論評
 思わぬところに“落とし穴”とは存在するものだ。

 HV(ハイブリッド)車はモーターで動くが故に低速ではほとんど音がしない構造であるため、歩行者等に危険を知らせる目的で、HV車に何らかの音を出す装置を装備する検討を国土交通省が始めたとのニュースを見聞して、感じたことである。

 従来の車が出す騒音とは相当の音量であるため、例えば都市部の高速道路の脇には周囲の住民への配慮から高いフェンスが張り巡らされたり、大型車両は道路の中央車線を走行するように義務付けたり等の騒音対策が施されてきている。
 HV車は静かさの点でも優れた車との認識が私にもあったのだが、その静けさには思わぬ弊害の一面があることに納得である。


 我が住居の近辺の道路は小路が小刻みに縦横に入り乱れているのだが、通行車両も通行人も少ないため、信号や歩道がほとんどない。 ところが、こういう通行量の少ない道路こそが子どもにとっては時たま通行する車への対応が困難と判断した私は、我が子が小さい頃より信号のない交差点を安全に渡る指導等を再三行ったものだ。左右確認はもちろんのこと、家屋の塀や植樹等で視界が遮られている交差点は車の“音”にも注意するように言い聞かせてきたものである。

 そう言われてみれば近頃、この私でさえも車が直ぐそこまで近づいているのに音が聞こえて来ずに驚く場面に直面することが多くなったような気がする。
 そうか、そのはずだ。 HV車が世に出回っているためだったのだと納得だ。


 自動車大手各社は、この危険を知らせる発音装置を既に考案中の様子である。
 例えばトヨタでは、走行中に「チャイム音」が常に鳴るHV車を走らせて効果を検証したそうだ。一定の効果は見られるものの「音が不快」との意見が多かったり、視覚障害者からは「音は聞こえるが、車だとは思わない」等の指摘も出ているらしい。 ホンダのHV車“インサイト”の場合、低速でもエンジンが稼働するため今のところは問題はないそうだが、「将来的には静音性の問題に対応しながら開発を進める必要がある」としている。
 その「音」は運転者が適時に判断して出すのか、車自体が常時自動的に発するのか等の課題や、チャイム、ブザー、メロディー、擬似エンジン音など、音の候補に関しても様々な検討がなされているそうである。 (どれにしても、耳障りでうるさそう…
 (以上、朝日新聞7月16日記事より要約して転載)


 それにしても、世の中とはなかなかうまく立ち回らないことを実感である。 せっかく低騒音車が開発されて街が静けさを取り戻せる時代が到来したのに、安全確保のために、わざわざ音を出す装置を取り付ける必要性に迫られるとは、何だか理不尽な観も否めない気もする。

 「音」以外の手段で、人と車が共存できる手立てはないものだろうか。
 例えば代替案として「光」などはどうか? 光の場合騒音は発しないが、視覚障害者にとっては用を成さない場合もあろうし、また、夜間等においては“光公害”をもたらす恐れもあってこれまた困難であろうか?


 発想を大きく変えて、道路交通法自体を大幅に見直すという手段もあろう。 政府が目指している今後の「エコ未来社会」におけるHV車や電気自動車等の増産、社会への定着と共に、車の静音傾向に見合った法改正を車の変遷に従い行っていくべきであることは言うまでもない。
 それと共に、歩行者等交通弱者にとって“優しい”道路の整備も車の静音傾向と共に見直されるべきでもある。


 それはまだまだ未来の“夢物語”であろう。
 差し迫った問題として、車の静音化に伴う歩行者等の交通弱者を救うべきなのは言うまでもない話で、国土交通省や自動車大手各社にはとりあえずの安全対策を緊急に打ち出して欲しいものである。

 その上で、科学技術の発展の成果として民間企業が誕生させたせっかくの車の“静音性能”を今後の公害対策の一環としても活かすべく、政府には道路交通の根本的な発想の転換を長期計画の下続行して欲しいものでもある。
 そういう発想は、必ずや交通弱者保護の観点とも合まみえるものであると、私は信じるのである。 
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