原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我々はどこから、そしてどこへ…

2009年07月24日 | 芸術
 (写真は、東京国立近代美術館に於いて現在開催中の「ゴーギャン展」のチラシより転載)


 “我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”
 
 これは、フランス生まれの画家ゴーギャンの最高傑作作品の題名である。


 昨日、予備校の夏期講習等で多忙な日々を送っている高校生の我が子をその時間の合間を縫って誘い、東京国立近代美術館へ「ゴーギャン展」を観に出かけた。
 さすがにゴーギャン最高傑作の日本初公開とあって、館内は平日の閉館間もない時間帯にもかかわらず相当混雑していた。

 美術にはズブの素人の私も、このゴーギャンの “我々は……” の作品は画集やマスメディアの報道等で目にすることはあった。
 ゴーギャンが精神的な遺言として制作した “我々は……” における群像表現には、画家ゴーギャンの人間についての哲学的な思索が凝縮されていると語り継がれている。
 そんな画家ゴーギャンの哲学的思索を、一時(いっとき)垣間見ることを楽しみに出かけた私である。


 なるほどなるほど、横長のキャンバスには十数名の様々な年齢と思しき人々や神や、そして犬や猫やあひる(?)等の動物が、それぞれに何気なさそうに存在する風景が描かれている。
 絵画解説によると、その個々が“生”や“死”の象徴であったり、それぞれの登場人物が人々の営みや愛や悲しみそして祈りの表現を醸しつつ、人間等の生命体がこの世に誕生してから死に至る生涯を描いているようである。
 珍しいことに、この作品の左上にその題名 “我々は……” の文章が3行に渡って小さく描き込まれているのであるが、その題名の文字も作品の一部を構成しバランスよく絵画に溶け込んでいるのである。 絵画作品のキャンバス内にあえて題名の文字を存在させたことが、まさにゴーギャンの“精神的遺言”作品と捉えられている所以とも思われ、何とも興味深いものがあった。

 タヒチで制作されたこの作品は、ゴーギャンの数多いタヒチでの他の作品同様に色彩が特徴的であるように素人の私には感じられる。
 “タヒチ色”とでも表現すればよいのだろうか。 残念ながら私は未だタヒチを訪問したことはないのだが、“土”を連想するその配色からは、タヒチの大地とその地に生を受けた人々の生命体とが一体化して、大地と溶け合って生を営んでいる“土着観”が伝わってくるような、都会に暮らす我々が日常経験し得ないような色彩構成、との感を抱いたものである。
 
 「ゴーギャン展」の“出品目録書”に以下の記載がある。
 “熱帯のアトリエ”に暮らす夢をあたためていたゴーギャンが、南太平洋のタヒチに旅立つのは1891年のこと。タヒチの原始と野生が、造形的な探究にさらなる活力を吹き込むことを期待しての決断だった。しかし、18世紀にイギリス人によって発見され1880年にフランスの植民地となったこの南太平洋に浮かぶ島は、既に文明化の波を受けて大きく様変わりしていたのである。ゴーギャンは、西欧文明の流入によって失われつつあるタヒチの歴史や文化に思いを馳せながら、そこに自らの「野蛮人」としての感性を重ね合わせる。そして原初の人類に備わる生命力や地上に生きるものの苦悩を、タヒチ人女性の黄金色に輝く肉体を借りて描き出したのだ。そのイメージには、タヒチの風土と、エヴァなどのキリスト教的なモチーフ、そして古今東西の図像が豊かに混ざり合っている。
 (以上、「ゴーギャン展」“出品目録書”より転載)

 確かにそうだ。18世紀に当時の大国イギリスに発見されその後フランスに植民地化されたタヒチは、その時代に既に近代化の波に飲み込まれつつあったのだ。
 それでもゴーギャンはタヒチの地にそして土着の人々に、自らの「野蛮人」としての感性が生き長らえることを求め、画家としてイメージを膨らませ制作を続けた結果として、後の世に数多くの名作を残したのだ。


 このゴーギャンの数多いタヒチ時代の作品はパリに戻った後理解されないまま、ゴーギャンは再びタヒチを目指すものの、健康状態の悪化や貧困により制作もままならず画家としての孤独は深まるばかりだったそうだ。
 そのような自らの運命を呪いつつ、その芸術の集大成としてこの“我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか”の制作がなされたとのことである。
  (“出品目録”より要約引用)


 それにしても、画家をはじめ芸術家とは私にとっては何とも羨ましい存在である。
 色、形、音、… そのような感性的表現手段を介在することにより、自己の生き様を、哲学を、その思想を、何百年何千年の後々まで残せるのは芸術家でしか成し遂げられない所産ではなかろうか。

 言葉で語り綴ることはいとも簡単であり、言語とは人間にとって伝達し易い便利なコミュニケーション手段であろうが、どうしても軽薄感が否めないという戸惑いが隠せない部分もある。

 出来得ることならば何百年何千年後にこそ、自らの生き様や思想等の存在が証明されるごとくの“芸術家”でありたい思いも抱かされた、原左都子の今回の「ゴーギャン展」鑑賞だった。 
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