原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“老いらくの恋”の顛末

2009年11月09日 | 恋愛・男女関係
 いや~、これまた何ともお粗末な恋の顛末の物語である。

 今時“老いらくの恋”自体に関しては特段珍しい社会現象でもないため、今回の本ブログの記事においてはそのもの自体をテーマに論評しようとする趣旨ではないことを、最初にお断りしておく。


 昨日(11月8日)、朝日新聞別刷「be」の“悩みのるつぼ”に寄せられた66歳無職男性からの相談を読んで、呆れ果てるやら相談者男性が気の毒であるやら、やるせない思いの私である。

 それでは早速 「40年連れ添った妻の浮気で」 と題するその相談内容を以下に要約して紹介しよう。
 私の63歳の妻が4年程前から山仲間のグループ内で63歳の男性と出会い、回を重ねるにつれて気心も知れ、浮気となったようだ。この話をつい1ヶ月程前に妻の告白で初めて知った。「早く手を切りたかったが、脅されて…」と泣きながら妻から訴えられた時には、とても信じられなかった。あまりのショックに血圧が上がり医者通いになり、睡眠不足の日々が続いている。そしてこの男性が妻と別れたくない一心で今度はストーカーに変身して、現在警察の世話になる始末である。 4年程前と言えば、自分は寝たきりの母の介護や町内会などの福祉活動に飛び回っていた。妻に関しては監督不行き届きで少々夫婦間の会話も不足していたように思う。 40年も連れ添いながら悔しさと腹立たしさの毎日で、離婚を考慮している。 妻はやり直したいの一心のようだが、悩める日々である。
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」への66歳男性の相談より要約)


 早速、私論に入ろう。

 この相談を読む限り、相談者の男性側には何らの落ち度もないと私は判断する。
 いい大人同士である夫婦関係において両者は対等関係以外の何ものでもなく、夫が妻に対して(その逆も)“監督責任”などないどころか、どちらか一方が相手を管理下に置く事は法的にも大きな問題を孕むことは明白である。 また、熟年夫婦間で少々会話が不足することなど、どこの家庭においても日常茶飯事の一般的現象であろうと私は捉える。

 
 それに引き換え、この妻の“思慮の浅はかさ”や“他力本願気質”は一体どうしたことか??
 そうねえ。 山仲間に限らず男女が集う会合の場で、異性と意気投合するなどということはよくあるシチュエーションではあろう。
 若い世代の人達はその種の男女の出会いの場が欲しいがために積極的に「合コン」などを企画して、自らの出会いの場を演出しているのは理に叶った行動力であり、私などそんな若者を応援したい立場である。(この私も遠い昔に足繁く「合コン」に出かけた人種だしね~

 この相談者の妻の一番許し難き点は、60歳代というその熟年にして今尚自己が確立できていない部分である。 (こういう軟弱女の存在が、世の自立している女性達の足を引っ張っているのは事実だよ~)
 浮気などあくまでも自己責任の下でやりなさいよ、と言いたくもなる。“自己責任”の意味もその重みも知らずに、ただ自らの気持ちが趣くままに浮気などするからこういう結末となるのだ。 
 当ブログのバックナンバー記事「隠れてコソコソやる美学」においても既述しているが、不倫や浮気とは“決して他者を巻き込まない、不幸にしてはいけない”との確固とした信念の下でやるべき行為なのである。 そのすべての責任を自分一人で背負う覚悟と、破綻の後には自ら不幸を一心に受け入れる決意が常に背中合わせの緊張感の下に決行するべき業なのである。

 まったくもって、この妻の言動は子どもじみている。 自分の山仲間の男と懇(ねんご)ろの仲になるなとは言わないけれど、相手の男のストーカー気質など早期に見抜けて対応できたであろうに…。 4年間夫に背いて自分だけいい思いをした挙句、相手のストーカー男に脅された始めたからと言って、よりにもよって背信行為をして裏切った夫に泣き付くとは、一体全体どんな神経をしているのか。 行き着くところ自分の亭主に頼るしか生きるすべのない女に、浮気などする資格は誰が考えても到底ないよなあ。


 相談者のご主人は、まったくもって気の毒としか言いようがない。 何の落ち度もないのに高齢にして警察沙汰にまで巻き込まれ、体調を崩しつつこのような相談を新聞に投稿するしか手立てが打てないご様子に同情するばかりの私である。

 この相談の回答者でいらっしゃる作家の車谷長吉氏が回答欄で述べられているごとく、妻の浮気相手のストーカー男に襲撃されて命を落とす前に、未熟な奥さんとはとっとと離婚して別の場所で暮らしましょうか? と、私とて言いたくもなる。

 ところがもっと辛いのは、相談者であるご主人が“子どものごとく未熟な”奥方の裏切り背信行為に体調を崩してまで苦悩しているにもかかわらず、それを切り捨てる覚悟も無く今尚その奥方の存在を頼っているのが相談内容から見え隠れしている点である。


 誰しも若かりし頃には様々な喜怒哀楽を乗り越えて、いくらでも自分の人生を取り戻せたものである。
 ところが年老いた人間達にとって人生を立て直すこととは実は多難な作業だ。
 にもかかわらず、若者の言動パターンをいとも簡単に模倣できる情報入手手段が多様化した現代社会の下で、深い思慮もなく若者同様の行動に走って享楽だけを真似し、自ら不幸のドツボにはまる年寄りが増殖しつつあるような軽薄化した今の時代なのであろうか?? 
             
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