原左都子の郷里での学生時代の旧友が先週より上京していて、先だって久々に再開した。
この友人は「原左都子エッセイ集」のバックナンバーでも何度か登場しているのだが、我が人生において最長期間付き合いが続いている人物である。 彼女と知り合って以降もう36年もの年月が流れている。
当初仲良しになったきっかけは、お互いに“汽車(その頃我が郷里に走っていたのは電車ではなくディーゼルカーだった…)通学”をしていたからである。 いつも学校から駅までの帰り道が一緒で、汽車の待ち時間(何せ1時間に一本程度の運行だったから…)に駅前でショッピングをしたり、喫茶店でくっちゃべってから帰る仲だった。
社会人になって私が上京し遠く離れ離れになって以降も、彼女は私に会いによく東京にやって来た。 一緒に旅行をしたりもした。(30年前にヨーロッパにも一緒に行ったよね!)
彼女が先に結婚し母となって以降も、独身が長かった私との交友は途切れないまま現在に至っている。
年月が流れ彼女の子どもが独立して現在東京で暮らしていることもあり、ここのところ上京の機会が多く私と会う機会も多いのである。
遠距離、そして人生の歩みの違いにもかかわらず私と彼女の交友関係が何故に36年間も続いているのかと振り返ってみるに、とりあえずは手続面で“連絡が途絶えていない”ということが最大の理由なのであろうか。 お互いに毎年年賀状の交換は欠かしておらず、今となっては上京時等には必ず私にメールをくれる彼女である。 そういった彼女の“律儀さ”が2人の友情を紡ぎ続けているのだと考察できる。
そして彼女にいつ会おうとも抱くのは “昨日も会ったような感覚” である。 時間の経過やお互いの生活環境の移り変わりにかかわりなく、いつもすぐ隣にいるような身近な距離感があるのだ。(彼女も同様の事を口にするのだが。) これは、彼女と知り合ったのが多感な18歳という年頃だった故にその頃の感覚が深層心理に未だ残存しているせいなのかもしれない。 あるいは元々よほど相性がいい相手同士なのか??(そうとは言えないかな? お互いの目指す方向はまったく異なるが、やはり彼女の献身とも言える律儀な私への連絡が二人の関係を今尚紡いでいるのかもしれない。) その辺は分析し切れないが、少なくとも2人の友好関係が長続きする秘訣の一つは、18歳の未熟な頃に自を曝け出して付き合った時代を、今尚共有しつつ付き合えることにポイントがあるのではないかと考察する原左都子である。
少し古くなるが、朝日新聞9月17日朝刊の「天声人語」は“友人とはなんぞや”の書き出しで、今時の若い世代の友人関係の“歪み”を指摘した内容だった。(「原左都子エッセイ集」の本記事は、その書き出しをそのまま表題にさせていただいた。)
この「天声人語」記事によると、現代の若者の友人関係には大いなる悲壮感が漂っているらしいのだ。
例えば「原左都子エッセイ集」のバックナンバー「昼飯ぐらい一人で食べさせてくれ!」においても取り上げているが、大学や職場で昼飯を一人で食べていると“あいつは友達がいなくて暗い奴だ”と周囲から後ろ指をさされ、本人自身も友達がいない“恥ずかしさ”に耐え切れず、やむなく「便所飯」(トイレの個室で一人で昼食を採る形態)にならざるを得ないと書かれている……
ここでひとまず、少々異論を唱えたい原左都子である。
この私も大学受験生の娘に付き合って昨年より足繁くオープンキャンパスに訪れ、そこで今時の学生達の昼食風景を重々観察してきている。 我が娘の志望分野が芸術系という多少特殊な方面であるためかもしれないが、芸術分野の大学にはそもそも個性的な学生が多いのである。 学食にも“お一人様席”が多く配備されている様子で、制作に多忙な学生はそこで“にわか昼食”を食し、そそくさと自分の制作現場へと急いでいる様子でもあった。
これに関してはウン十年前に医学分野の学生であった私も同様だったものだ。 学年が進むにつれ実験課題や病院実習等が盛り沢山で、昼食時間に友達とくっちゃべている時間など一切なかったものだ。 そこで昼時間は母親の手作り弁当を持参して、実験の合間に実験机で仲間と一緒に短時間で食べたのが私の学生時代の思い出でもある。 そして企業の一社員になって以降も、私にとっての昼休みとは昼食後“新聞”を読むまたとない貴重な時間であり、学生に成り立ての頃とは違って同僚とくだらない話題で時間を潰す余裕など一切なかったものである。
そんな原左都子が考察するに、一人で昼飯を食べる姿が惨めだと嘆く学生や若者とは、友人がいるいないに係わらず、自分自身の将来の夢なり未来が描けていないから故に抱く寂しさの現象に過ぎないのではなかろうか??
この「天声人語」記事の末尾に、“今のやさしげでいて残酷なご時世、学生ならずとも孤高には耐えにくいようだ” とあるのだが、上記の若者達の「便所飯」の現状を“孤高”と表現するのはいかがなものか? (参考のため、“孤高”とは“一人かけはなれて高い境地にいること”を意味する。)
今回の「天声人語」が事例に掲げている学生や若者の現実とは決して“孤高”などではなく、単に人間関係が希薄な現実社会に生かされている若者たちの“孤立”現象に他ならないのではないのか??
ただ、今回紹介した「天声人語」の最後の結びは私論と一致する。 その結びの部分を以下に引用して、今回の記事の締めくくりとしよう。
「携帯電話に何百人も“友達”を登録して精神安定剤にする学生もいると聞くが、友情とは成長の遅い植物のようなもの。 造花を飾って安らぐ心の内が、老婆心ながら気にかかる。」
要するに、焦ってメル友を数だけ揃えたり、昼飯を一緒に食べる友がいないと嘆くよりも、とりあえず自分を磨くことに集中してみてはどうだろう?
まさに友情とはいつのまにやら出来ているがごとく自然発生的産物であり、成長の遅い植物のようなものである事に原左都子も同感である。
この友人は「原左都子エッセイ集」のバックナンバーでも何度か登場しているのだが、我が人生において最長期間付き合いが続いている人物である。 彼女と知り合って以降もう36年もの年月が流れている。
当初仲良しになったきっかけは、お互いに“汽車(その頃我が郷里に走っていたのは電車ではなくディーゼルカーだった…)通学”をしていたからである。 いつも学校から駅までの帰り道が一緒で、汽車の待ち時間(何せ1時間に一本程度の運行だったから…)に駅前でショッピングをしたり、喫茶店でくっちゃべってから帰る仲だった。
社会人になって私が上京し遠く離れ離れになって以降も、彼女は私に会いによく東京にやって来た。 一緒に旅行をしたりもした。(30年前にヨーロッパにも一緒に行ったよね!)
彼女が先に結婚し母となって以降も、独身が長かった私との交友は途切れないまま現在に至っている。
年月が流れ彼女の子どもが独立して現在東京で暮らしていることもあり、ここのところ上京の機会が多く私と会う機会も多いのである。
遠距離、そして人生の歩みの違いにもかかわらず私と彼女の交友関係が何故に36年間も続いているのかと振り返ってみるに、とりあえずは手続面で“連絡が途絶えていない”ということが最大の理由なのであろうか。 お互いに毎年年賀状の交換は欠かしておらず、今となっては上京時等には必ず私にメールをくれる彼女である。 そういった彼女の“律儀さ”が2人の友情を紡ぎ続けているのだと考察できる。
そして彼女にいつ会おうとも抱くのは “昨日も会ったような感覚” である。 時間の経過やお互いの生活環境の移り変わりにかかわりなく、いつもすぐ隣にいるような身近な距離感があるのだ。(彼女も同様の事を口にするのだが。) これは、彼女と知り合ったのが多感な18歳という年頃だった故にその頃の感覚が深層心理に未だ残存しているせいなのかもしれない。 あるいは元々よほど相性がいい相手同士なのか??(そうとは言えないかな? お互いの目指す方向はまったく異なるが、やはり彼女の献身とも言える律儀な私への連絡が二人の関係を今尚紡いでいるのかもしれない。) その辺は分析し切れないが、少なくとも2人の友好関係が長続きする秘訣の一つは、18歳の未熟な頃に自を曝け出して付き合った時代を、今尚共有しつつ付き合えることにポイントがあるのではないかと考察する原左都子である。
少し古くなるが、朝日新聞9月17日朝刊の「天声人語」は“友人とはなんぞや”の書き出しで、今時の若い世代の友人関係の“歪み”を指摘した内容だった。(「原左都子エッセイ集」の本記事は、その書き出しをそのまま表題にさせていただいた。)
この「天声人語」記事によると、現代の若者の友人関係には大いなる悲壮感が漂っているらしいのだ。
例えば「原左都子エッセイ集」のバックナンバー「昼飯ぐらい一人で食べさせてくれ!」においても取り上げているが、大学や職場で昼飯を一人で食べていると“あいつは友達がいなくて暗い奴だ”と周囲から後ろ指をさされ、本人自身も友達がいない“恥ずかしさ”に耐え切れず、やむなく「便所飯」(トイレの個室で一人で昼食を採る形態)にならざるを得ないと書かれている……
ここでひとまず、少々異論を唱えたい原左都子である。
この私も大学受験生の娘に付き合って昨年より足繁くオープンキャンパスに訪れ、そこで今時の学生達の昼食風景を重々観察してきている。 我が娘の志望分野が芸術系という多少特殊な方面であるためかもしれないが、芸術分野の大学にはそもそも個性的な学生が多いのである。 学食にも“お一人様席”が多く配備されている様子で、制作に多忙な学生はそこで“にわか昼食”を食し、そそくさと自分の制作現場へと急いでいる様子でもあった。
これに関してはウン十年前に医学分野の学生であった私も同様だったものだ。 学年が進むにつれ実験課題や病院実習等が盛り沢山で、昼食時間に友達とくっちゃべている時間など一切なかったものだ。 そこで昼時間は母親の手作り弁当を持参して、実験の合間に実験机で仲間と一緒に短時間で食べたのが私の学生時代の思い出でもある。 そして企業の一社員になって以降も、私にとっての昼休みとは昼食後“新聞”を読むまたとない貴重な時間であり、学生に成り立ての頃とは違って同僚とくだらない話題で時間を潰す余裕など一切なかったものである。
そんな原左都子が考察するに、一人で昼飯を食べる姿が惨めだと嘆く学生や若者とは、友人がいるいないに係わらず、自分自身の将来の夢なり未来が描けていないから故に抱く寂しさの現象に過ぎないのではなかろうか??
この「天声人語」記事の末尾に、“今のやさしげでいて残酷なご時世、学生ならずとも孤高には耐えにくいようだ” とあるのだが、上記の若者達の「便所飯」の現状を“孤高”と表現するのはいかがなものか? (参考のため、“孤高”とは“一人かけはなれて高い境地にいること”を意味する。)
今回の「天声人語」が事例に掲げている学生や若者の現実とは決して“孤高”などではなく、単に人間関係が希薄な現実社会に生かされている若者たちの“孤立”現象に他ならないのではないのか??
ただ、今回紹介した「天声人語」の最後の結びは私論と一致する。 その結びの部分を以下に引用して、今回の記事の締めくくりとしよう。
「携帯電話に何百人も“友達”を登録して精神安定剤にする学生もいると聞くが、友情とは成長の遅い植物のようなもの。 造花を飾って安らぐ心の内が、老婆心ながら気にかかる。」
要するに、焦ってメル友を数だけ揃えたり、昼飯を一緒に食べる友がいないと嘆くよりも、とりあえず自分を磨くことに集中してみてはどうだろう?
まさに友情とはいつのまにやら出来ているがごとく自然発生的産物であり、成長の遅い植物のようなものである事に原左都子も同感である。