(写真は、ソウルの世界遺産 昌徳宮 観光中に偶然出くわしたテレビ番組撮影風景。 撮影の途中で休憩する朝鮮王朝時代の装束を身に着けた俳優氏達を写したもの。 ちなみにこのテレビ番組はドラマではなく、歴史教養番組とのことである。 俳優氏達は我々日本人観光客のツーショット写真撮影の要望にも快く応じてくれた。)
「韓国には、メタボ体型の人が一人としていない。」
この話をガイド氏から聞く以前より、ソウル市民のスレンダーな体型に私は気付いていた。
韓国では競技としての自転車が市民の間でも盛んだそうで、その趣味に勤しむソウル人が多いことも理由の一つかもしれないが、筋肉質体型の人は多く見かける。 その一方、老若男女を問わず概して皆さんスマートで、まさにメタボ体型の人はただの一人も目にしない。
ガイド氏曰く、「国民食であるキムチのお陰」とのことである。 一理あるのかもしれないが、原左都子の分析は若干異なる。
日本において、醜くもブヨブヨと体内に脂肪を溜め込んだメタボ人種が顕著に増殖し始めたのはいつ頃からのことかと考察するに、高度経済成長期を過ぎ去った1980年代以降の時代からではなかろうか。 要するに日本経済成長がプラトーに達して以降、バブルに有頂天になったこの国の国民から「成長」意識が消え去り、教育等あらゆる分野において歯車が狂いはじめ“努力する国民性”が失われてきたものと私は推測する。 それを象徴する一番分かり易い事象が、国民の体型の“メタボ化”なのではあるまいか?
これに比して韓国の経済成長は今尚続き、韓国民のあらゆる分野での成長意欲は衰えを知らないものと察する。 国民皆が成長欲に燃えるが故に、体に脂肪を溜め込む暇などない故のスレンダー体型であると私は結論付けるのだ。
外見要因の話を続けよう。
韓国の経済成長に伴う結果であろうが、一見して日本人と韓国人の区別はつきにくい。 (それ故に前回の記事で綴った通り、私も地下鉄構内で韓国女性と見間違われたものと推測する。)
ところが、特に女性に関してファッション等の外観に興味がある私が精査した場合、日本人と韓国人の違いは一目瞭然である。
まず、韓国女性の肌は総じて白く美しい。 ガイド氏曰く「“垢すり”等の慣習の結果」との説明であるが、これに関しても原左都子の分析は若干異なる。 韓国は東京よりも緯度が高く冬が厳寒であることが一要因と考察するのだ。 あるいは、美的感覚が多様化している日本に比し、色白美肌こそが韓国女性の最高美!との伝統文化に揺ぎないものがあるのかもしれない。
この色白美肌を活かそうとする結果と推測するが、若い女性の間には超ミニスカートやホットパンツ姿等、白くて長く美しい足を強調したファッションが際立っていた。 日本で今流行しているマキシ丈のスカートを低身長の日本人観光客若手女性が引きずっているみっともなさと比較した場合、ここは断然韓国女性に軍配が挙がりそうである。
ガイド氏は韓国の若い世代の“高身長化”についても述べていた。 確かに韓国の若者は男女を問わず身長が高い! これに関しては日本でも同様の現象はあるのだろうが、何分韓国人のスレンダーな体型が一見しての高身長現象を増強しているものと私は受け止めた。
外見的要因の話が長引いたが、若者の話題が出たついでにここでソウルの若者についての印象を述べる事にしよう。
ガイド氏曰く、「韓国では歴史的、伝統的に人とのつながりを第一義とする国民性がある。それ故に韓国人は基本的に情が厚く人に親切だ。 日本人と異なるのは、感情表現が直接的であるため、奥ゆかしくて感情表現を曖昧にすることを好む日本人には一見誤解を与えるかもしれない…」
きっとこのガイド氏は、日本の数十年前のイメージに従ってこの話をされたものと私は察する。
今の日本人の国民性として、上記のような“奥ゆかしさ”は当の昔に既に消え去っているのが実情であろう。 今の日本においてはただ単に人間関係の希薄化現象故に人との付き合いが鬱陶しいという理由で、国際社会においても人間関係を築きにくい人種が蔓延っているだけの話であろう。 訪れた国の国民との交流などどうでもよくて、免税店で自分が欲しいブランド物のみを買い漁ることが目的の観光客が増えている寂しい現状が、それを物語っているのではなかろうか? (それにしても国内旅行よりも断然格安な近隣国への“激安ツアー”に参加して、その目的が免税店で安ブランド物を買い漁ることのみの日本女性の実態は、端で見ていても恥ずかしい限りである……。 そんなにブランド物が欲しけりゃ、東京銀座で中国上海等のニューリッチ観光客と一緒に2桁違う最高級ブランドでも漁ったらどうなの?、と嫌味を言いたくもなる。)
確かにソウルの中年層以上の人々は、前記事でも述べた通り日本人観光客に対して好意的で親切だった。
(おそらく過去における理不尽に虐げられた歴史的背景を認識している世代であるにもかかわらず、日本人である我々に好意を持って接してくれる韓国の人々… とんでもない過ちを犯した加害国である日本人の一人として、何と謝罪申し上げてよいのかの思いを募られる原左都子であった。)
一方、隣国に対して取り返しのつかない過ちを犯した日本人の成れの果ての存在である原左都子として救われるのが、韓国の若い世代の洗練ぶりである。
さすがに若い世代は年配者とは異なり旅行者に声をかけてくることはないのだが、おそらく彼らも韓国の歴史的伝統的慣習に従って人には親切なことであろう。 過去の虐げられた歴史の時代は当に移り行き、韓国国内の経済急成長や学術文化の発展と共に育った若い世代は、(高身長等の体型の進化と共に)自信にみなぎるかのようにその恵まれた身体で今のソウルを闊歩しているのだ。
過去の日本が犯した過ちに関しては、ここで私一人が謝罪して済む話では決してなかろう。
それでもこうやって韓国の若い世代が自信に満ち満ちて自国の現在社会そして世界を操り、経済を急成長させ学術文化を発展させつつアジアの一国を高らかに創り上げていく姿に、心より感動する原左都子なのである。
「韓国には、メタボ体型の人が一人としていない。」
この話をガイド氏から聞く以前より、ソウル市民のスレンダーな体型に私は気付いていた。
韓国では競技としての自転車が市民の間でも盛んだそうで、その趣味に勤しむソウル人が多いことも理由の一つかもしれないが、筋肉質体型の人は多く見かける。 その一方、老若男女を問わず概して皆さんスマートで、まさにメタボ体型の人はただの一人も目にしない。
ガイド氏曰く、「国民食であるキムチのお陰」とのことである。 一理あるのかもしれないが、原左都子の分析は若干異なる。
日本において、醜くもブヨブヨと体内に脂肪を溜め込んだメタボ人種が顕著に増殖し始めたのはいつ頃からのことかと考察するに、高度経済成長期を過ぎ去った1980年代以降の時代からではなかろうか。 要するに日本経済成長がプラトーに達して以降、バブルに有頂天になったこの国の国民から「成長」意識が消え去り、教育等あらゆる分野において歯車が狂いはじめ“努力する国民性”が失われてきたものと私は推測する。 それを象徴する一番分かり易い事象が、国民の体型の“メタボ化”なのではあるまいか?
これに比して韓国の経済成長は今尚続き、韓国民のあらゆる分野での成長意欲は衰えを知らないものと察する。 国民皆が成長欲に燃えるが故に、体に脂肪を溜め込む暇などない故のスレンダー体型であると私は結論付けるのだ。
外見要因の話を続けよう。
韓国の経済成長に伴う結果であろうが、一見して日本人と韓国人の区別はつきにくい。 (それ故に前回の記事で綴った通り、私も地下鉄構内で韓国女性と見間違われたものと推測する。)
ところが、特に女性に関してファッション等の外観に興味がある私が精査した場合、日本人と韓国人の違いは一目瞭然である。
まず、韓国女性の肌は総じて白く美しい。 ガイド氏曰く「“垢すり”等の慣習の結果」との説明であるが、これに関しても原左都子の分析は若干異なる。 韓国は東京よりも緯度が高く冬が厳寒であることが一要因と考察するのだ。 あるいは、美的感覚が多様化している日本に比し、色白美肌こそが韓国女性の最高美!との伝統文化に揺ぎないものがあるのかもしれない。
この色白美肌を活かそうとする結果と推測するが、若い女性の間には超ミニスカートやホットパンツ姿等、白くて長く美しい足を強調したファッションが際立っていた。 日本で今流行しているマキシ丈のスカートを低身長の日本人観光客若手女性が引きずっているみっともなさと比較した場合、ここは断然韓国女性に軍配が挙がりそうである。
ガイド氏は韓国の若い世代の“高身長化”についても述べていた。 確かに韓国の若者は男女を問わず身長が高い! これに関しては日本でも同様の現象はあるのだろうが、何分韓国人のスレンダーな体型が一見しての高身長現象を増強しているものと私は受け止めた。
外見的要因の話が長引いたが、若者の話題が出たついでにここでソウルの若者についての印象を述べる事にしよう。
ガイド氏曰く、「韓国では歴史的、伝統的に人とのつながりを第一義とする国民性がある。それ故に韓国人は基本的に情が厚く人に親切だ。 日本人と異なるのは、感情表現が直接的であるため、奥ゆかしくて感情表現を曖昧にすることを好む日本人には一見誤解を与えるかもしれない…」
きっとこのガイド氏は、日本の数十年前のイメージに従ってこの話をされたものと私は察する。
今の日本人の国民性として、上記のような“奥ゆかしさ”は当の昔に既に消え去っているのが実情であろう。 今の日本においてはただ単に人間関係の希薄化現象故に人との付き合いが鬱陶しいという理由で、国際社会においても人間関係を築きにくい人種が蔓延っているだけの話であろう。 訪れた国の国民との交流などどうでもよくて、免税店で自分が欲しいブランド物のみを買い漁ることが目的の観光客が増えている寂しい現状が、それを物語っているのではなかろうか? (それにしても国内旅行よりも断然格安な近隣国への“激安ツアー”に参加して、その目的が免税店で安ブランド物を買い漁ることのみの日本女性の実態は、端で見ていても恥ずかしい限りである……。 そんなにブランド物が欲しけりゃ、東京銀座で中国上海等のニューリッチ観光客と一緒に2桁違う最高級ブランドでも漁ったらどうなの?、と嫌味を言いたくもなる。)
確かにソウルの中年層以上の人々は、前記事でも述べた通り日本人観光客に対して好意的で親切だった。
(おそらく過去における理不尽に虐げられた歴史的背景を認識している世代であるにもかかわらず、日本人である我々に好意を持って接してくれる韓国の人々… とんでもない過ちを犯した加害国である日本人の一人として、何と謝罪申し上げてよいのかの思いを募られる原左都子であった。)
一方、隣国に対して取り返しのつかない過ちを犯した日本人の成れの果ての存在である原左都子として救われるのが、韓国の若い世代の洗練ぶりである。
さすがに若い世代は年配者とは異なり旅行者に声をかけてくることはないのだが、おそらく彼らも韓国の歴史的伝統的慣習に従って人には親切なことであろう。 過去の虐げられた歴史の時代は当に移り行き、韓国国内の経済急成長や学術文化の発展と共に育った若い世代は、(高身長等の体型の進化と共に)自信にみなぎるかのようにその恵まれた身体で今のソウルを闊歩しているのだ。
過去の日本が犯した過ちに関しては、ここで私一人が謝罪して済む話では決してなかろう。
それでもこうやって韓国の若い世代が自信に満ち満ちて自国の現在社会そして世界を操り、経済を急成長させ学術文化を発展させつつアジアの一国を高らかに創り上げていく姿に、心より感動する原左都子なのである。