原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

さあ我が娘よ、志望大学目指して頑張ろう!

2011年07月17日 | 教育・学校
 昨日(7月16日)うだるような猛暑の中、私は大学受験を間近に控えている高3の我が娘のオープンキャンパスに付き合った。

 昨日訪れたのは娘の第三志望校であるため、親としては6月に第一志望大学を訪れた時程の気合もなく、失礼ではあるが、一種“物見遊山”的なお気軽感覚で大学の門をくぐった。

 ところが、たとえ第三志望校と言えどもオープンキャンパスへは行ってみるものだ。
 昨日は娘第三志望大学学長の話に大いに感銘を受けた原左都子である。


 娘が高1になった直後から、私は娘に同行してオープンキャンパスへ足繁く通っている。 
 何故ならば(我が娘は私学志望であるが、国公立大学及び大学院にしか通っていない原左都子にとっては)、特に私学の場合は大学毎の特質差が著しいと感じるからである。 国公立も大学法人化した現在に至っては、大学毎に特質を演出するべく各校がそれぞれ知恵を絞っている様子ではある。 ただ、やはり創立の歴史等を紐解いた場合、国公立と私立とは現在に至って尚大学の存在意義が大きく異なって当然であろう。 その私学の特質を捉えるためには、やはり直接大学現地へ出向き、大学毎の経営及び学問に対する理念や学風の程を肌で直に感じることが不可欠と私は考えるのだ。


 さて、我が娘の第三志望校(以下、K女子大学と略すことにする)の学長の話に戻そう。

 幾度となく娘と共に様々な大学のオープンキャンパスに訪れている私であるが、昨日訪れたK女子大学のオープンキャンパスのプログラムは特異的であった。
 まず受付で手渡される書類が簡略化されている。 通常は「大学案内」をはじめ大学を多面的に紹介した数々のパンフレットがぎっしり詰まった重いバッグを受付でいきなり手渡されてしまう。 今時「大学案内」など既にネットで発注していて重複する場合も多いのだが、これは資源の無駄にもならず軽くていい! しかも、この費用が娘の入学後に学費という形で徴収される心配もないというものだ。 (参考のため、K女子大学には資料室が設置されていて、受験生毎に必要な資料を自由に持ち帰ったり閲覧できるシステムとなっていて我が娘も必要な資料のみを持ち帰った。)

 そして通常の大学オープンキャンパスに於いては、必ずや「全体説明会」と「学部学科説明会」が開催されるものだ。 その会場では入試担当者と名乗る人物が舞台に現れて自大学や学部学科の特徴のPRをした後、受験に関する変更点等の解説をして、「皆さん、どうか受験して下さい」と締めくくるのが大抵の説明会の成り行きである。

 一方、K女子大学に於いてはこの種の説明会は一切なく、全体会合といえば「学長挨拶」のみという簡略プログラムだった。
 この原左都子でさえ、(わざわざ娘の第三志望校まで足労したのに、学長のつまらない話を聞かされるだけか??)と一瞬落胆させられたものである。


 ところが冒頭のごとく、この学長の話が充実していたのだ。 以下に私の記憶に頼ってその概略を記載させていただくこととしよう。  

 K女子大学の学長氏は戦時中のお産まれであるらしい。 生まれた当時は食糧もなくご苦労されたとのことだが、それがこの3月に発生した大震災の現状とダブるとの話である。(そうか、“もはや戦後ではない”とのスローガンの時代に産まれた原左都子より10年程人生の先輩だな。)などと計算しつつ、その食糧難時代が想像できる私だ。
 3月11日の大震災当日の夜、首都圏は“帰宅難民”であふれたのだが、大都会のど真ん中に位置するK女子大学にも押し寄せる帰宅難民が後を絶たなかったと学長は話す。 学内に残っていた学生と共に、それら外部の見ず知らずの帰宅難民を受け入れた一夜の大学内の様子の談話が私にとっては興味深かった。

 このK女子大学学長氏の話の特徴とは、ご自身の大学の建学精神や日頃の学業伝達の実態を一切述べないことにあった。(と言うのも、K女子大学とは歴史が古い大学であるため、学長自らがこの場で時間を割いてわざわざ述べずとも、今時個々の志望者がネットで調べれば済むと考えておられるのであろう。)
 その代わりに何を話したのかと言うと、学長氏が大学生であった時代と現代の大学との「大学の存在意義の大きな変遷」についてである。 
 若者の就職が困難な現在の大学の第一の使命とは ”就職率の高さ”を保つ事であるといっても過言ではないであろう。 それ故に“実学志向”の大学の人気が高まったり、あるいは大学内部で組織改編をして“実学志向”を匂わせる学部学科への改称をする等の切実なる変革努力をしている現実だ。

 ただ原左都子の私論としては、大学の存在意義とはあくまでも「学問の府」であるべきことに関しては、バックナンバーで再三公開している通りである。
 「学問の府」であるべき大学の存在命題を貫いて尚、“実学志向”を展開する余裕が大学にあるのならば、今の時代それも兼ね備えていてもよいのかもしれない。 だが、大学が大学と銘打つ存在である以上は、本来は学生の就職対策など二の次であるべき思いが私は今尚強い。

 K女子大学学長氏がおっしゃるには、昔の大学生は「考える」ために大学へ入学したとのことであるが、私も同感である。 そして、社会へ出る前の若者にとって「考える」機会と期間を持つ意義の深さについて自らの学生時代の実体験に触れつつ、昔は大学こそがその場であった趣旨のお話をされた。  それはすなわち、原左都子の「大学とは学問の府であるべき」との私論に通じる論理なのだ。 
 学長氏の見解として、「考える」機会を子どもや学生達から奪ったのは「塾」が乱立して後の事だとのご意見だが、まったく同種の懸念を抱き続けている原左都子でもある。「塾」とは受験で点数を取るべく“繰り返し学習”を子どもに強いるのみで「考える」という習慣を奪い去った、と明言したK女子大学学長氏と同見解の私である。  大学入学後も受身で安直な学習習慣を引きずり、学問の神髄である自らが能動的に「考える」事に抵抗がある学生が量産されている現状を、原左都子も以前より懸念している。


 我が娘にとってK女子大学の位置付けはあくまでも第三志望校であるため、母の立場としては娘の第一志望大学合格を祈って今後共バックアップしていくのが役割であることは心得ている。 
 だがもしもそれに失敗した場合も、第三志望校とて素晴らしいポリシーを持った学長が君臨されていることに安堵した私である。 保証もない4年後の就職の確約よりも、「考える」ことこそが大学生の本分である旨を伝えられる学長の存在は貴重である。 
 (参考のため、娘の第二志望大学のオープンキャンパスにも既に訪れているのだが、ここも母としてプラスの感覚を得ている。)

 3月の歴史的大震災の発生、その復興を一向に進められないリスク高き政権を抱える我が国、その現状を受けて若者にとっては超就職難の時代背景を余儀なくされてはいるが、とにかく我が娘よ、志望大学合格目指して今こそ頑張ろうではないか!!                    
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