(写真は昨日撮影した我が家のメダカの様子。 とは言ってもメダカ自体が見にくい写真で恐縮なのだが…。 メダカの稚魚の写真は、左欄の最新フォトチャンネル内に別途掲載しております。)
「原左都子エッセイ集」において我が家で飼育しているメダカの生育状況を綴るのは、これで5編目になろうか。
大震災発生後間もない頃の4月4日には 「放射能の影響か?我が家のメダカに異変!?」 と題して、目が飛び出て2日後に死に至った一匹のメダカの様子を紹介した。
あのバックナンバーには予想以上の反響を頂いたものだ。 「メダカの目が飛び出たのは放射能のせいではない」 「いや、やはり福島原発事故の影響は否めない」 等々、コメント欄において物議を醸した記事だった。
その後の報道において、3月11日の大震災発生直後には既に福島第一原発原子炉はメルトダウン状態であったにもかかわらずその事実が隠蔽されていたことが、3ヶ月以上も経過した後に東電より発表された。 そして3月15日の水素爆発により、原左都子が住む東京にも大量の放射能が流れ込んだ時間帯があったことを、つい最近になって知った。
水道水で飼育している我が家のメダカはやはりその放射能汚染により死に至った事を、今になって再度実感させられる思いである。
神奈川や静岡のお茶葉のセシウム汚染も同様の理由であろう。
ただうれしい事にはその他のメダカの目の突出症状は軽く済み、すっかり回復している。
そして今年の初夏から沢山の卵を産卵し始め、この夏は“ベビーラッシュ”状態なのだ!
ここで上記写真について、順を追って解説していくことにしよう。
2009年9月に、おそらく春の産卵で生まれたのであろうクリームメダカの稚魚3匹を近くの農協で購入して、インスタントコーヒー空き瓶の中で飼育し始めたメダカ達である。
その年の秋には早くも産卵を始め、その中から孵化した稚魚のうち3匹が成魚に成長した。
ところが2010年春にはその6匹混合水槽の中で産卵は見られるのだが、どうしても孵化しない原因を原左都子なりにあれこれ探ってみた。
その様子を本エッセイ集において公開したところコメント欄に様々なアドバイスをいただき、結局その原因が“近親相姦”故であると断定した私は、近くの農協に再び出向いて“異なるDNAグループ”のクリームメダカの稚魚を新たに3匹購入して来たのだ。
そして秋が来て“異なるDNAグループ”メダカが成魚となり産卵を始めた。 この産卵により新たに4匹のメダカが育ち今年の春を向かえた。
写真の解説をすると、一番左が初代及び“異なるDNAブループ”の成魚の生残りグループ4匹である。 次が昨秋生まれ孵化して成魚となった4匹のグループだ。 その他は稚魚達である。
そしてこの春から夏にかけては、今に至るまで“ベビーラッシュ”と表現出来る程に産卵した卵が孵化するのである。(現時点でのメダカ総数は23匹である!)
メダカを飼う事に詳しい人物の話によると「放っておいても繁殖力が凄いのがメダカだ」との事のようだが、飼育歴2年の道程はそう簡単ではなく、我が家では2年が経過した今やっとその域に達したかと思える段階に入ったようだ。
ただ、あくまでも自身の医学的バックグラウンドに頼り“自己流メダカ飼育”を貫いている私にとっては、まだまだ油断は大敵だ。 例えば、孵化したての稚魚は虫眼鏡で見なければ分からない程に小さい。(生まれたてのメダカ程キラキラと透明で実に美しい!のだが…) 飼育親である私として、それをどうやって保護して生き延びさせてやるかの知恵と労力との格闘の日々なのだ。
その知恵の一つが、写真のごとくの発育段階、生育状況に応じた瓶による“クラス分け”である。
実は現在、上記写真に映っていない瓶も含め6瓶を台所のカウンターに並べてメダカを飼育している。 と言うのも、メダカの産卵は2ヶ月程に渡って続く。 その稚魚が孵化した時期によりメダカを分別してやらないと、大きい稚魚の激しい動きが小さい稚魚の睡眠や摂食活動を阻害するようなのだ。(人間だって赤ちゃん程睡眠時間が長いでしょ。) そのストレスや栄養不足より死に至る小さい稚魚が多発することに気付いた私が導入したのが、写真のごとくの“発育段階による瓶分別方式”である。
お陰様で3月の福島第一原発事故による水道水の汚染にも一匹を除き耐え抜き、昨年異種DNAメダカ混合方式により仲間が増えた我家のメダカは、その継承と繁栄を今尚続けてくれているのである。
ここで突然左都子自身の半生を振り返ると、結婚など二の次だったし、我がDNAを引き継いでくれる次世代の子供を設け後世にDNAを継承することなど、実際どっちでもよかった。
ところがどうしたことであろう。
我が家のメダカを飼育し観察していると、“生命体の継承と繁栄”とは手放しで素晴らしいことに今さらながら気付かせられるのだ。
雌メダカが数多くの産卵することを単純に喜び、その卵から少しでも多くの稚魚が孵化し、その稚魚が皆成魚となることを日々心待ちにしている原左都子がここに存在するのだ。
結局この世に生を受ける生命体とは「継承と繁栄」観念を本能的なものとして持ち合わせていることに、遅ればせながら気付くというものだ。
となると、子宝に恵まれることを単純に喜ぶ人種程、生命体の存在本質の理に叶っているのか?
太古の昔より人類の発展において継承と繁栄が本能として望まれ、その継承と繁栄の過程における人類の弛まぬ努力の歴史があってこそ、人が人としての今現在の実存在があることに今さらながら思いを馳せてみたりもする。
天邪鬼でへそ曲がりの原左都子にとっては、自分自身のDNAの継承などどうでもいい事には間違いないが、今後も末永く我が家のメダカの継承と繁栄を見守っていこう。
「原左都子エッセイ集」において我が家で飼育しているメダカの生育状況を綴るのは、これで5編目になろうか。
大震災発生後間もない頃の4月4日には 「放射能の影響か?我が家のメダカに異変!?」 と題して、目が飛び出て2日後に死に至った一匹のメダカの様子を紹介した。
あのバックナンバーには予想以上の反響を頂いたものだ。 「メダカの目が飛び出たのは放射能のせいではない」 「いや、やはり福島原発事故の影響は否めない」 等々、コメント欄において物議を醸した記事だった。
その後の報道において、3月11日の大震災発生直後には既に福島第一原発原子炉はメルトダウン状態であったにもかかわらずその事実が隠蔽されていたことが、3ヶ月以上も経過した後に東電より発表された。 そして3月15日の水素爆発により、原左都子が住む東京にも大量の放射能が流れ込んだ時間帯があったことを、つい最近になって知った。
水道水で飼育している我が家のメダカはやはりその放射能汚染により死に至った事を、今になって再度実感させられる思いである。
神奈川や静岡のお茶葉のセシウム汚染も同様の理由であろう。
ただうれしい事にはその他のメダカの目の突出症状は軽く済み、すっかり回復している。
そして今年の初夏から沢山の卵を産卵し始め、この夏は“ベビーラッシュ”状態なのだ!
ここで上記写真について、順を追って解説していくことにしよう。
2009年9月に、おそらく春の産卵で生まれたのであろうクリームメダカの稚魚3匹を近くの農協で購入して、インスタントコーヒー空き瓶の中で飼育し始めたメダカ達である。
その年の秋には早くも産卵を始め、その中から孵化した稚魚のうち3匹が成魚に成長した。
ところが2010年春にはその6匹混合水槽の中で産卵は見られるのだが、どうしても孵化しない原因を原左都子なりにあれこれ探ってみた。
その様子を本エッセイ集において公開したところコメント欄に様々なアドバイスをいただき、結局その原因が“近親相姦”故であると断定した私は、近くの農協に再び出向いて“異なるDNAグループ”のクリームメダカの稚魚を新たに3匹購入して来たのだ。
そして秋が来て“異なるDNAグループ”メダカが成魚となり産卵を始めた。 この産卵により新たに4匹のメダカが育ち今年の春を向かえた。
写真の解説をすると、一番左が初代及び“異なるDNAブループ”の成魚の生残りグループ4匹である。 次が昨秋生まれ孵化して成魚となった4匹のグループだ。 その他は稚魚達である。
そしてこの春から夏にかけては、今に至るまで“ベビーラッシュ”と表現出来る程に産卵した卵が孵化するのである。(現時点でのメダカ総数は23匹である!)
メダカを飼う事に詳しい人物の話によると「放っておいても繁殖力が凄いのがメダカだ」との事のようだが、飼育歴2年の道程はそう簡単ではなく、我が家では2年が経過した今やっとその域に達したかと思える段階に入ったようだ。
ただ、あくまでも自身の医学的バックグラウンドに頼り“自己流メダカ飼育”を貫いている私にとっては、まだまだ油断は大敵だ。 例えば、孵化したての稚魚は虫眼鏡で見なければ分からない程に小さい。(生まれたてのメダカ程キラキラと透明で実に美しい!のだが…) 飼育親である私として、それをどうやって保護して生き延びさせてやるかの知恵と労力との格闘の日々なのだ。
その知恵の一つが、写真のごとくの発育段階、生育状況に応じた瓶による“クラス分け”である。
実は現在、上記写真に映っていない瓶も含め6瓶を台所のカウンターに並べてメダカを飼育している。 と言うのも、メダカの産卵は2ヶ月程に渡って続く。 その稚魚が孵化した時期によりメダカを分別してやらないと、大きい稚魚の激しい動きが小さい稚魚の睡眠や摂食活動を阻害するようなのだ。(人間だって赤ちゃん程睡眠時間が長いでしょ。) そのストレスや栄養不足より死に至る小さい稚魚が多発することに気付いた私が導入したのが、写真のごとくの“発育段階による瓶分別方式”である。
お陰様で3月の福島第一原発事故による水道水の汚染にも一匹を除き耐え抜き、昨年異種DNAメダカ混合方式により仲間が増えた我家のメダカは、その継承と繁栄を今尚続けてくれているのである。
ここで突然左都子自身の半生を振り返ると、結婚など二の次だったし、我がDNAを引き継いでくれる次世代の子供を設け後世にDNAを継承することなど、実際どっちでもよかった。
ところがどうしたことであろう。
我が家のメダカを飼育し観察していると、“生命体の継承と繁栄”とは手放しで素晴らしいことに今さらながら気付かせられるのだ。
雌メダカが数多くの産卵することを単純に喜び、その卵から少しでも多くの稚魚が孵化し、その稚魚が皆成魚となることを日々心待ちにしている原左都子がここに存在するのだ。
結局この世に生を受ける生命体とは「継承と繁栄」観念を本能的なものとして持ち合わせていることに、遅ればせながら気付くというものだ。
となると、子宝に恵まれることを単純に喜ぶ人種程、生命体の存在本質の理に叶っているのか?
太古の昔より人類の発展において継承と繁栄が本能として望まれ、その継承と繁栄の過程における人類の弛まぬ努力の歴史があってこそ、人が人としての今現在の実存在があることに今さらながら思いを馳せてみたりもする。
天邪鬼でへそ曲がりの原左都子にとっては、自分自身のDNAの継承などどうでもいい事には間違いないが、今後も末永く我が家のメダカの継承と繁栄を見守っていこう。