原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ソクラテスは醜男だった…

2011年07月24日 | 芸術
 (写真は、現在東京上野の国立西洋美術館に於いて開催中の 「大英博物館 古代ギリシャ展」 のチラシを転写したもの)


 「原左都子エッセイ集」久々の芸術カテゴリーの記事として、今回は「古代ギリシャ展」を取り上げよう。

 上記チラシの写真は今回の古代ギリシャ展のハイライト、本邦初公開の ミュロン作「円盤投げ」である。
 解説書によると、今回展示されているのは彫刻家ミュロンがブロンズで制作したオリジナル作品ではなく、2世紀の古代ローマ時代に作られた貴重な大理石コピーであるとのことだ。
 会場順路を半ば程まで進むとこのハイライト作品のための円形特設ステージ部屋が設置されていて、360度の角度から作品を凝視することが可能である。
 今回の「古代ギリシャ展」は “THA BODY 究極の身体、完全なる美” とのサブタイトルが物語るように、そのテーマは人体の美である。 古代ギリシャ人が“人体こそが究極の美”と捉えて制作した彫刻や陶器に描かれた絵が数多く展示されている。

 中でもこの「円盤投げ」は、円盤投げ選手が円盤を投げる直前の動きの一瞬のポーズを切り取った作品であり、その流れるような身体ラインの構図が完璧に美しいとの揺ぎない評価を得ているようだ。

 間近で360度この作品を眺めてきた原左都子は、ひょんなことが気になった。
 それは、この作品のモデルの青年であるスポーツ選手は腕(特に円盤を持っている右手)が少し短くはないか?? とのことである。 (上記写真は肝心のその右腕部分が切れていて分かりにくく恐縮なのだが、実際にこのモデルが腕を下に下げたならばお尻までしか届かないのではなかろうか? 手長の原左都子が腕を下げたら膝上10cm位まで届くのに比べて、このモデルは有意に腕が短い気がする。) こんな馬鹿げた事を言い出して、世紀を超越する大傑作芸術作品にいちゃもんをつけたのはおそらく世界で私が初めてであろうが、事実そういう感想を抱いたのだ。
 実際問題として、古代人は現代人ほど手足が長くなかったのかもしれない。 
 そうではなくて、彫刻家ミュロンは作品の全体構図を完璧なものとするため、あえて腕の長さを短めに表現したのかもしれない。
 いやはや、私のような素人が芸術作品を鑑賞すると妙なところが気になるものだ。


 今回の「古代ギリシャ展」に我が娘と共に足を運んだのは、この機会に本邦初公開の「円盤投げ」を一目観ておきたい思いがあったという理由ももちろんある。 
 それもそうなのだが、第一の理由は我が子の名前をギリシャ哲学から引用しているためだ。 その命名由来の地である古代ギリシャのアテナイ(現在のアテネ)を娘と共に一目見ようとの目的で、我が一家は4年前の盛夏にギリシャを訪れている。

 現在のギリシャは経済財政危機に陥り、巨額の債務を抱え国家破綻に追い込まれている。 これを受けて全土で国民のデモ隊と警官隊が衝突し、死者を出す惨事を繰り返す国難の現状だ。
 我が一家が4年前にギリシャを訪れた頃にも、その前兆が少しあったような気がする。
 一部を除き人の表情が暗く、皆に笑顔がない。 そして、相当の物価高だった記憶がある。たかがファーストフード店でハンバーガー類のものを購入した代金が日本円に換算して500円近かったことを記憶している。 アテネ市街地に大型犬の野良犬が出没して食べ物を漁っている姿も恐怖だった。

 一方、アテネオリンピック開催が決行された波及効果か、我々が訪れた4年前には例えばアテネの地下鉄など綺麗に整備されていて使い勝手がよかった。
 その地下鉄を利用して我々はアテネ市街を巡ったのだが、パルテノン神殿をはじめあちこちに古代ギリシャ時代の遺産の神殿や彫刻が多く、アテネの街並みとは古代と現代が融合した素晴らしい都だと感嘆させられたものだ。

 その地下鉄で訪れたパネピスティミウ駅の階段を上がって地上に出ると、古代ギリシャの哲学者プラトンが紀元前4世紀に創設した“アカデメイア”がそびえていた。
 アカデメイア入口付近には、右にソクラテス、左にプラトンの彫刻像が立派にそびえ立っていたのだが、我々の関心は我が娘の命名の主であるプラトンの方にあった。
 残念ながらソクラテスに関しては二の次扱いで、現地で撮影した写真もプラトンの横についでに小さく写っているのみである。


 今回の国立西洋美術館における「古代ギリシャ展」では、そのソクラテスの小像が一体のみ展示されていた。 (残念ながら、プラトンの彫刻像は展示されていなかった。)
 これが失礼ながら、とにかく醜男なのである。 作品の解説文を読んでも、ソクラテスが醜男であったことをことさら強調しているのみだ。
 そう言えば、ソクラテスに関しての明言がある。 「太ったブタであるよりも痩せたソクラテスであれ」。  実際のソクラテスの風貌は背が低く、頭髪は禿げ上がり、丸々と太ったブタのようであったようだ…
 
 今回の「古代ギリシャ展の」テーマは“究極の身体、完全なる美”であるにもかかわらず、醜男ソクラテスの小像が展示されていたのは単にそれが大英博物館から今回展示許可を得られたとの理由であるのかもしれない。

 いえいえそうではなく、やはり古代ギリシャを語る時に欠かせないのが「ギリシャ哲学」ではなかろうか?
 世界に名立たる哲学者の巨匠の一人であるプラトンの師匠であるソクラテスの存在が今尚輝いているからこそ、その小像の展示がなされていたのであろう。


 何分芸術素人の原左都子故に、歪んだ視線での観賞報告である点をお詫び申し上げます。
 「古代ギリシャ展」は9月25日まで開催されているようですので、ご興味があられる方は是非東京上野の国立西洋美術館まで足を運ばれますように。
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