原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

娘よ、夢を叶えよう!

2011年11月05日 | 自己実現
 朝日新聞本日(11月5日)の別刷「be」“between”のテーマは、「諦めなければ夢は叶う?」であった。


 いきなりプライベートな話題で申し訳ないが、折りしも明日は我が娘の第一志望大学の公募制推薦入試日である。
 娘がこの世に生まれ出でて来たその日から18年足らずの年月、まさに親として娘の夢を叶え将来花開かせてやりたい一心で「お抱え家庭教師」の任務に明け暮れる私の日々だ。

 思い起こせば6年前の私立中学入試時にも「鬼の家庭教師」として日々君臨した私である。

 大学入試に際しては娘の当初の志望先が芸術系であったため、さすがにその道において素人の私は実技に関しては美大予備校のお世話になることと相成った。 その陰で学科の学習に関しては日々絶えず娘の学習進捗具合を厳しくチェックして来ている。
 ところが高3進級を直前にした今年2月、娘が急きょ志望先を大幅に変更したいと言い始めるではないか!  既に2年間も美大予備校にて(多額の授業料も納めつつ)精進させて来たし、大学受験まで後1年に差し迫った今頃になって進路変更とはどうしたことか?と、親としては娘の訴えに少なからずのショックを受けた。 
 (一体この子は今さら如何なる分野に心替えすると言うのか…  まさか“お嫁さんになりたい”などと言い始めるごとくの教育は原左都子に限っては一切していないはずだが… )と、内心穏やかでないまま私は娘に訪ねた。
 「で、あなたは美術系をギブアップしてどのような方面に進みたいの?」
 この私の問いに対する娘の答えには、相当驚かされたものだ。 あくまでも未熟な娘なりの“立派”な答えが用意されていたのである! しかも新たな第一志望大学まで自ら決定していたのだ。 (私とて娘の内心を思いやるごとくの努力は日々欠かしていないのだが、なんせ生まれ持って言葉少ない娘故に捉え処がなかった事を親として大いに反省である。)

 早速「お抱え家庭教師」である私は発想を切り替えるはめとなった。
 とにかく大学入試まで後1年の猶予しかない。 娘の新たな第一志望大学への一番の近道とは何だろう?  親として今何をどうしてやれば娘の将来の夢に一番近づくのだろう???
 その結論は早期に出た。 幸いな事に我が娘は「お抱え家庭教師」の私の指導に従い所属高校における学業成績に関してはある程度のレベルを維持していたのだ。(いわゆる“評定平均値”の話だが)
 これを利用しない手はない!と考えた私は、高校の担任に大学推薦を受けられるかどうか早速確認した。 その結果、残念ながら高2まで美術系を目指していたのに突然鞍替えしたため「指定校推薦」は受けられないが、「公募制推薦」の基準は満たしているため推薦可能との担任からの回答をもらえたのである。
 その後私は日々娘に小論文課題と苦手な“面接”指導を施しつつ、ついに明日「公募制推薦」入試を迎えることに相成ったという話である。


 さてここで、冒頭の朝日新聞記事の問いである 「諦めなければ夢はかなう?」 に話を戻そう。

 この記事を読まずして、原左都子の人生とはまさに「諦めずに夢を叶える」事に猛進し試行錯誤して来ている道程であるとも言えるため、当然ながらその答えは「はい」でしかない。
 その思いを多少の事情を持って生まれて来ている我が子にも伝えるべく、これまた我が精力を費やしつつ育ててきているのだが、それなりに成長してきてくれている様子に今のところは満足である。

 それにしても、この朝日新聞の問いに「いいえ」と答える国民が46%も存在する事こそが、今の世の衰退を物語っているようで何とも寂しい思いだ。
 
 ここで「いいえ」と答えた回答者の言い分の一部を紹介しよう。
 「『諦めなければ夢は叶う』と語る人は皆有名人。ホームレスのおじさんが語ったという話は聞かない」 
 「『諦めなければ夢は叶う』なら、男性の5人に一人がプロ野球選手」 
 「『諦めなければ夢は叶う』には努力や継続の大事さが訴えられているはず。だがメッセージのみがメディアで強調され過ぎると白雪姫的な願望のみを抱かせ続け、思春期のまま大人になれない人が増える」 
 「『夢、夢』と言い過ぎる今の世相が疑問。目の前の出来事に一つひとつ対応しつつ何とか日々を生きている、というのが多くの人の生き方ではないのか」


 最後に原左都子の私論で締めくくろう。

 上記「諦めなければ夢はかなう?」の設問に対して「いいえ」の回答をしている人々のご意見とは、私に言わせてもらうとあまりにも“刹那主義”ではないかと思うのだ。
 それ程までに人々の日々の暮らしが切羽詰まっているとすればそれは国政の責任であろうが、それにしても現在はまだ一人ひとりがそこから脱却する糸口を見出すことが可能な社会システムが残存しているとも考察する私である。
 原左都子自身は決して有名人ではなく、ただの庶民である。 プロ野球選手を目指していた訳ではないが一時学者にないたいとの夢を描いた。その夢を実現しようと志し30歳にして独力で新たな学問に励んだ。その夢は叶っていないがその行動経験によって自分自身が活気づいて今に至っている。 白雪姫の願望でもいいじゃないのか? そんな願望を持って努力して生きてこそ何らかの夢や希望が見出せ続ける人生が歩めるように私は思う。

 上記「いいえ」との回答の最後である「目の前の出来事に一つひとつ対応しつつ何とか日々を生きている、というのが多くの人の生き方ではないのか」に関しては私も一部同感である。
 だからこそ多少の事情を抱えた娘を産んだという我が目の前の出来事に対応しつつ、原左都子は日々精力的に生きているのだ。 そんな我が生き様において“諦める”などという単語は死語であるからこそ、将来の夢も描き得るのだ。

 まあそれにしてもこれ程までに世界規模で経済難に陥ってしまった現状においては、残念ながら特に若い世代の人々にとっては夢を描き辛い時代と落ちぶれているのは確かなのかもしれない…


 それでも私は、我が娘が将来の夢を描き続けられる事に大いに期待している。 
 もし明日の「公募制推薦」入試において残念な結果が届こうとも、まだ一般入試が控えているよ! またまたそれに失敗したとて、あなたの「夢」がそれで終焉するばすもないのだ。
 
 確かに貧乏国家と成り下がった現実ではあるが、我が娘に限らず若い世代が夢を叶える手立てなどいくらでもあるはずだ。 それを伝授できない親や教育者をはじめとする大人側こそに大いなる責任があろう。
 過去において経済的繁栄を経験した世代こそが、これ程までに経済力が衰退した時代において後輩達のために今後夢を抱こうではないか! 
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