(写真は、東京都葛西臨海水族園の東京湾コーナーにある“アマモ”の水槽)
我が故郷の過疎地に 「鳴門水族館」 と称する水族館が存在していた事を記憶している。
小学生時代の遠足で海の近くに位置するその水族館へ何度か出かけた。
当時の我が身丈の2倍程高さがある水槽が、子供心にとてつもなく大きく映った。 科学技術力がまだまだ低い時代背景において、透明性の低いガラスから覗き込む水槽の中は私にとってまさに神秘の世界だった。 数種の魚類が混在して泳ぐ水槽の中で、直径1m程ある“エイ”の奇妙ながらも悠々たる勇姿が幼心に一番印象深かったものだ。
今回葛西臨海水族園を訪れ、原左都子にとっての水族館の“原風景”とも言える我が郷里の 「鳴門水族館」 が脳裏に蘇った。
そこで鳴門水族館がいつ閉館したのか等の情報をネット上で検索したところ、興味深い情報を得たので以下に少し紹介しよう。
鳴門水族館は昭和30年代から昭和57年まで開館していた。 この水族館は規模(の小ささ)などからB級スポットのように思われているが、日本の水産業並びに水族館史において不滅の業績がひとつある。 それは「鯛の人工繁殖」つまり「養殖」に初めて成功し、その業績をもって全国各地の水産試験場に「鯛の養殖」が普及したということである。 このことは、地元の名産ともいえる「鳴門の鯛」と併せて考えると、実に大きな貢献をしたことが分かる。 (以上、ネット情報より引用)
そうだったのか!
あのマイナーな水族館がそのような誉れ高き業績を残していたとは、今までまったく心得ていなかった私だ。
そして昭和57年まで開館していたという事実にも驚かされる。 私自身は小学校の遠足以来訪れていないため、もっと早期に閉館したものとばかり認識していた。
さて先だって晩秋にして暖かく晴れ渡るある日、私は東京都江戸川区に位置する葛西臨界水族園を訪れた。
この水族園を訪れるのは、私にとっては今回で4度目の事である。
初めて訪れたのは恐らく葛西臨界水族園開園後間もない頃だったと思うのだが、今を遡る事20年程前の我が30代後半の高校教員時代である。
高校の遠足(校外活動)行事で生徒を引き連れ(連れられて?)この地へ訪れた私が水族園を堪能できるはずもない。 水族園で何かを見た記憶は一切なく、学校を離れて解放感に浸っている男子生徒の一グループと心底語り合った思い出のみが印象深い。(彼女の話等々、生身の男子生徒との会話が私にとって一番印象的だったものだ。)
我が子が小学校高学年の頃、夏季休暇中に連れて訪れたのが2度目である。 夏休み中で園内は“ゲロ混み”、しかも猛暑で私は“くたくた状態”… これまた水族園を堪能するには程遠い劣悪な環境だった。
3度目はほぼ半年前の春の日のことだ。 これに関しては、我がエッセイ集バックナンバー 「パンダの憂鬱、カバの退屈」 と題する記事においても少しだけ述べているが、何と言っても水族園も動物園も“混雑していない時”に行くのが鉄則であることには間違いない。
今回4度目となる葛西臨海水族園訪問は、原左都子にとって実に印象深いものがあった。
実は先週この水族園を訪れる以前より、私はこの「原左都子エッセイ集」のコメント欄を閉鎖しようかどうかと大いに迷っていた。
そのような心に迷いがある時に水族園を訪れても私の心が晴れるはずもないと心得つつ、それでも私は水族園を訪れてそこに息づく生命体を見ることを志したのである。
これが大正解だった。
晩秋の晴れた日に訪れた水族園は、大都会にして人がまばらであった。
水族園という大いなる環境制限はあるものの、その環境下で生き抜いている生命体の一つひとつを熟視する事が叶った事は私にとっては今回が4回目にして初めてだったのかもしれない。
上記写真は、葛西臨海水族園においてはさほど目立たない場所にある小さな水槽の展示物である。 それでも、私は今回この水槽の“アマモ”に一番心を奪われたのだ。
“アマモ”とやらの海草の正体が知りたくて先程ネット上で検索したところ、東京湾で生き抜いているアマモの本来の色彩は青緑色であるようだ。 私が水族園で見た“アマモ”は人工飼育故に既に痛んでいたのであろうか?? 写真の通り黄色黄緑色系の色彩だった。
ところが(アマモには申し訳ないが)、この色彩が生命体を人工的に演出しているに過ぎない水族園に於いては、まるで美術館で傑作絵画を見るがごとく素晴らしい“芸術”として光輝いていたのである。
その他の生命体の写真も多数撮影してきているのだが、今回私は上記“アマモ”の水槽が一番美しいと判断したためこれを公開することと相成った。
生命体の生き様とは、それをじっくり観察すると実に芸術的で素晴らしいものがある。
利潤目的も伴って経営されている水族園や動物園とは、ある方面からは“動物虐待”と批判される一面も共存していることは承知の上だ。 だが特に都会に生きる人間にとっては、それらの施設とは生命体を間近に観察できるまたとはないチャンスであり環境である事には間違いないであろう。
我が故郷の過疎地に 「鳴門水族館」 と称する水族館が存在していた事を記憶している。
小学生時代の遠足で海の近くに位置するその水族館へ何度か出かけた。
当時の我が身丈の2倍程高さがある水槽が、子供心にとてつもなく大きく映った。 科学技術力がまだまだ低い時代背景において、透明性の低いガラスから覗き込む水槽の中は私にとってまさに神秘の世界だった。 数種の魚類が混在して泳ぐ水槽の中で、直径1m程ある“エイ”の奇妙ながらも悠々たる勇姿が幼心に一番印象深かったものだ。
今回葛西臨海水族園を訪れ、原左都子にとっての水族館の“原風景”とも言える我が郷里の 「鳴門水族館」 が脳裏に蘇った。
そこで鳴門水族館がいつ閉館したのか等の情報をネット上で検索したところ、興味深い情報を得たので以下に少し紹介しよう。
鳴門水族館は昭和30年代から昭和57年まで開館していた。 この水族館は規模(の小ささ)などからB級スポットのように思われているが、日本の水産業並びに水族館史において不滅の業績がひとつある。 それは「鯛の人工繁殖」つまり「養殖」に初めて成功し、その業績をもって全国各地の水産試験場に「鯛の養殖」が普及したということである。 このことは、地元の名産ともいえる「鳴門の鯛」と併せて考えると、実に大きな貢献をしたことが分かる。 (以上、ネット情報より引用)
そうだったのか!
あのマイナーな水族館がそのような誉れ高き業績を残していたとは、今までまったく心得ていなかった私だ。
そして昭和57年まで開館していたという事実にも驚かされる。 私自身は小学校の遠足以来訪れていないため、もっと早期に閉館したものとばかり認識していた。
さて先だって晩秋にして暖かく晴れ渡るある日、私は東京都江戸川区に位置する葛西臨界水族園を訪れた。
この水族園を訪れるのは、私にとっては今回で4度目の事である。
初めて訪れたのは恐らく葛西臨界水族園開園後間もない頃だったと思うのだが、今を遡る事20年程前の我が30代後半の高校教員時代である。
高校の遠足(校外活動)行事で生徒を引き連れ(連れられて?)この地へ訪れた私が水族園を堪能できるはずもない。 水族園で何かを見た記憶は一切なく、学校を離れて解放感に浸っている男子生徒の一グループと心底語り合った思い出のみが印象深い。(彼女の話等々、生身の男子生徒との会話が私にとって一番印象的だったものだ。)
我が子が小学校高学年の頃、夏季休暇中に連れて訪れたのが2度目である。 夏休み中で園内は“ゲロ混み”、しかも猛暑で私は“くたくた状態”… これまた水族園を堪能するには程遠い劣悪な環境だった。
3度目はほぼ半年前の春の日のことだ。 これに関しては、我がエッセイ集バックナンバー 「パンダの憂鬱、カバの退屈」 と題する記事においても少しだけ述べているが、何と言っても水族園も動物園も“混雑していない時”に行くのが鉄則であることには間違いない。
今回4度目となる葛西臨海水族園訪問は、原左都子にとって実に印象深いものがあった。
実は先週この水族園を訪れる以前より、私はこの「原左都子エッセイ集」のコメント欄を閉鎖しようかどうかと大いに迷っていた。
そのような心に迷いがある時に水族園を訪れても私の心が晴れるはずもないと心得つつ、それでも私は水族園を訪れてそこに息づく生命体を見ることを志したのである。
これが大正解だった。
晩秋の晴れた日に訪れた水族園は、大都会にして人がまばらであった。
水族園という大いなる環境制限はあるものの、その環境下で生き抜いている生命体の一つひとつを熟視する事が叶った事は私にとっては今回が4回目にして初めてだったのかもしれない。
上記写真は、葛西臨海水族園においてはさほど目立たない場所にある小さな水槽の展示物である。 それでも、私は今回この水槽の“アマモ”に一番心を奪われたのだ。
“アマモ”とやらの海草の正体が知りたくて先程ネット上で検索したところ、東京湾で生き抜いているアマモの本来の色彩は青緑色であるようだ。 私が水族園で見た“アマモ”は人工飼育故に既に痛んでいたのであろうか?? 写真の通り黄色黄緑色系の色彩だった。
ところが(アマモには申し訳ないが)、この色彩が生命体を人工的に演出しているに過ぎない水族園に於いては、まるで美術館で傑作絵画を見るがごとく素晴らしい“芸術”として光輝いていたのである。
その他の生命体の写真も多数撮影してきているのだが、今回私は上記“アマモ”の水槽が一番美しいと判断したためこれを公開することと相成った。
生命体の生き様とは、それをじっくり観察すると実に芸術的で素晴らしいものがある。
利潤目的も伴って経営されている水族園や動物園とは、ある方面からは“動物虐待”と批判される一面も共存していることは承知の上だ。 だが特に都会に生きる人間にとっては、それらの施設とは生命体を間近に観察できるまたとはないチャンスであり環境である事には間違いないであろう。