いやはや驚くね~。
今回の表題に掲げた 「女は学歴より整形か?」 とのテーマが、ネット上で真剣にツイートされている今の時代背景のようだ。
この表題のみをパソコンの画面で一見した私の“軽薄”な即答として、とりあえず「学歴」に軍配を挙げておこう。 何せ30代後半まで学業に熱く燃えていた原左都子である。 今現在もそのバックグラウンドを大いに活用しつつ、このように日々エッセイを綴り公開し続けている。
上記「女は学歴より整形か?」に関するネット上のツイート内容を以下に少し紹介しよう。
「女は大学院に行くより、整形した方が幸せになれる」 こんなツイートがネット上で話題になっている様子だ。 男女雇用機会均等法が制定されて以来、多くの女性は学を付けてキャリアウーマンを目指すようになったが、ここに来て女性の気持ちが変化しているのか。
「整形して銀座・六本木でバイトすれば最強」… 2012年2月3日、ある女性のツイッターユーザーが「女は見た目だ。見た目が良い方が就職も有利。大学院行くより整形した方が幸せに生活出来るよ」とつぶやいた。
これを取り上げたネットニュースサイトでは、「大学院学費へ投資するか、整形に投資するか。どちらを選ぶかは自由だが、ある意味で的を射た発言だろう。 もちろん、両方やればさらに良し」等々の記事を発表して、つぶやきの内容を全面的に肯定したとのことだ。
大学に進学する女性は年々増加している。文部科学省の学校基本調査によると、4年制大学の学部・大学院を合わせた入学者数は2001年には約103万人だったが11年には約120万人になっている。 しかし大学院に入学する女性は2006年の約2万8300人をピークに減少傾向にあり、11年には2万8000人を割った。 大学院への進学を選択する女性がわずかだが減っているのは事実だ。
この記事が公開されると、すぐ2ちゃんねるに「女は見た目だ。見た目が良い方が就職は有利。大学院行くより整形した方が幸せに生活出来る」というスレッドが立てられ、約4時間半で1000件の書き込みが寄せられたようだ。 「若くて美人で、ある程度の家事能力があれば高収入な男を選び放題。文系、院卒、不細工の高齢女より、百倍のイージーモード人生だよ。良い悪いじゃなくて真実だろ?」 「中途半端な大学院行って身につくスキルなんか求められてないからな。見た目がいい方がいいんだろ」 等々のつぶやきに賛同する書き込みと、「整形したら一生メンテナンスかかるんじゃないの?そんな金かかる女嫌だわ」「顔なんて若いうちだけだ。歳をとったら中身が重要だ」 など反対の書き込みが入り乱れたらしい。
(以上、ネット情報より要約引用)
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
上記のネット引用文を読むと、何だか大学院へ進学する女性はアプリオリに皆「ブス」で、整形せねばこの世に生きていけないとでも言いたげではないか?!
ちょっと待ってくれよ。 それは学歴のない奴らの認識不足ではあるまいか? その前提からしてこの議論には大きな誤りがあるというものさ。 元々「女」をそれ程ステレオタイプに分類できる訳もないだろうにねえ~~。
(自分らの狭い世間で生きている範疇で物申すのもどうなのかとも言いたくなるが、ここは元教育者でもある原左都子としてはツイッター野郎どもが若い世代であろう事に配慮してそれを許す事にしよう。)
原左都子も30代後半に公立大学大学院を修了しているが、我が同輩の女子学生の皆さんは実に美人揃いだったものだ。 (えっ? 院生選考過程で大学教授が自分好みの女性を合格させたって??) 進学・就職にかかわらずその種のマイナー見解がこの世に存在する事も承知しているが、私の感想では女子学生の皆さんは美女であるのに加えて頭脳明晰な、まさに“才色兼備”揃いだったことは確かだ。 (いえいえ、あくまでも私以外の女性の話だよ~~)
それに加えて、この私は(我が人生において整形経験は一度たりとてないが)大学院進学前の大学生時代に丸の内、六本木界隈でコンパニオン派遣業務を経験している事も、本エッセイ集バックナンバーで幾度か公開している。 という訳で、上記ニュースサイトが言うところの「両方(学業と金儲けという意味に解して)やればさらによし」を今から20数年前に既に経験済みである。
ところがこの職種とて、元々の美人は元より「整形」を施したからといって即金に直結する訳ではあり得ず、業務上何が求められているかを判断する頭の回転力があってこそ成功する業(なりわい)だったものだぞ。
まあそういう訳で、ここで再び 「女は学歴よりも整形か?」 に関する原左都子の結論を語ると、女といえどももっと視野を広くして “自分らしく努力を重ねられる道を開拓しつつ自分なりの人生を歩むべき” との話になろう。
ところで今日私が今回のエッセイを綴ろうと思い立ったきっかけとは、朝日新聞本日(3月3日)の “悩みのるつぼ” の相談を見たからに他ならない。
60歳主婦による相談の題目 「もし上野さんが美人だったら?」 を一見した原左都子は仰天してしまったのだ!
上野さんとは社会学者で現在東大教授の 上野千鶴子氏 であられるのだが、私が20代後半頃から尊敬申し上げている上野氏を、ほぼ同年代の女性がまるで誹謗中傷するかのごとくの“悩み相談”の投稿を、よくぞまあ朝日新聞が取り上げたものだと驚かされた。
しかも、それに誠実に回答している上野氏のキャパにも恐れ入った次第である。
ここで上記相談内容を紹介したいところだが、60歳主婦の投稿とはどうやら「相談」というよりも、ご自身が過去において「綺麗」と言われる部類だったことを自慢することにより今の自身を正当化するべく内容と私は結論付けるのだ。 それにしても、その比較対象として上野氏を持ち出して「もし上野さんが美人だったら?」との挑戦状を送りつけるとは、何ともまあ身の程知らずのおばさんだ。
その相談内に於いて、1980年に京都大学での講演に際し上野氏が質問をされた事実に関して、相談者の夫が傍らで「あれが上野千鶴子だよ」と言ったとの一文に、私も興味を惹かれた。
私の場合残念ながらその講演には出席していない。 当時20代後半に差しかかっていた原左都子にとって 上野千鶴子氏 とは新聞紙上でしか拝見できない遠い存在の学者氏であられたが、我が今後の人生を指南してくれそうなエネルギーに満ち溢れた女性だったものだ。 私が当時更なる学問を触発されたのは上野氏のみではないのだが、学問の第一線で活躍する先駆者女性達のエネルギーをメディア上でもらったからこそ、原左都子は30代間近にして再び我が学業の道に邁進できたとも言える。
最後に、上記“悩みのるつぼ”回答者の上野千鶴子氏の今回の回答の一部を要約引用してこの記事を締めくくろう。
ここで証言しておくが、過去の時代にウーマンリブに参加した女性達に綺麗な女性は沢山いた。 察するに相談者の女性はそこそこ幸福な人生を送って来られたようだ。 それがご自身の「容貌」のお陰と限定されている処には疑問があるが、私(上野氏)の場合はこれまで生きてきた上で男女を問わず他人との関係をつくるのに(顔が不自由なために)不都合があった事は一度もない。 弱者に想像力を持つために自分が弱者である理由もなかった。
容貌は容貌、幸福は幸福、知識欲はまた別。 そのあいだに何の相関もない、ということぐらい相談者もご自身の現在の趣味であられる本を今後読めば分かるはずだ。
(以上、上野千鶴子氏の回答よりその一部を要約引用)
原左都子の結論をさらに述べずとも、学者としての確固たる地位を何十年来のご努力の下に築き上げて来られている上野千鶴子氏の上記回答で、相談者の女性も我が身の愚かさを多少なりとも思い知った事に違いない。
それにしても、厳しい現代を生き抜かんとする若き女性達にとって時代は進化しているのかと思いきや、そうではない現実(学歴か整形か等のくだらない議論に翻弄されている現実)に愕然とさせられる思いでもある。
我が結論としては、世代を問わず日本の女性の皆さん個々人がご自身の特質を認識しつつも欲する道を究めんと、日々努力する人生を歩むことに期待したいものだ。
今回の表題に掲げた 「女は学歴より整形か?」 とのテーマが、ネット上で真剣にツイートされている今の時代背景のようだ。
この表題のみをパソコンの画面で一見した私の“軽薄”な即答として、とりあえず「学歴」に軍配を挙げておこう。 何せ30代後半まで学業に熱く燃えていた原左都子である。 今現在もそのバックグラウンドを大いに活用しつつ、このように日々エッセイを綴り公開し続けている。
上記「女は学歴より整形か?」に関するネット上のツイート内容を以下に少し紹介しよう。
「女は大学院に行くより、整形した方が幸せになれる」 こんなツイートがネット上で話題になっている様子だ。 男女雇用機会均等法が制定されて以来、多くの女性は学を付けてキャリアウーマンを目指すようになったが、ここに来て女性の気持ちが変化しているのか。
「整形して銀座・六本木でバイトすれば最強」… 2012年2月3日、ある女性のツイッターユーザーが「女は見た目だ。見た目が良い方が就職も有利。大学院行くより整形した方が幸せに生活出来るよ」とつぶやいた。
これを取り上げたネットニュースサイトでは、「大学院学費へ投資するか、整形に投資するか。どちらを選ぶかは自由だが、ある意味で的を射た発言だろう。 もちろん、両方やればさらに良し」等々の記事を発表して、つぶやきの内容を全面的に肯定したとのことだ。
大学に進学する女性は年々増加している。文部科学省の学校基本調査によると、4年制大学の学部・大学院を合わせた入学者数は2001年には約103万人だったが11年には約120万人になっている。 しかし大学院に入学する女性は2006年の約2万8300人をピークに減少傾向にあり、11年には2万8000人を割った。 大学院への進学を選択する女性がわずかだが減っているのは事実だ。
この記事が公開されると、すぐ2ちゃんねるに「女は見た目だ。見た目が良い方が就職は有利。大学院行くより整形した方が幸せに生活出来る」というスレッドが立てられ、約4時間半で1000件の書き込みが寄せられたようだ。 「若くて美人で、ある程度の家事能力があれば高収入な男を選び放題。文系、院卒、不細工の高齢女より、百倍のイージーモード人生だよ。良い悪いじゃなくて真実だろ?」 「中途半端な大学院行って身につくスキルなんか求められてないからな。見た目がいい方がいいんだろ」 等々のつぶやきに賛同する書き込みと、「整形したら一生メンテナンスかかるんじゃないの?そんな金かかる女嫌だわ」「顔なんて若いうちだけだ。歳をとったら中身が重要だ」 など反対の書き込みが入り乱れたらしい。
(以上、ネット情報より要約引用)
ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
上記のネット引用文を読むと、何だか大学院へ進学する女性はアプリオリに皆「ブス」で、整形せねばこの世に生きていけないとでも言いたげではないか?!
ちょっと待ってくれよ。 それは学歴のない奴らの認識不足ではあるまいか? その前提からしてこの議論には大きな誤りがあるというものさ。 元々「女」をそれ程ステレオタイプに分類できる訳もないだろうにねえ~~。
(自分らの狭い世間で生きている範疇で物申すのもどうなのかとも言いたくなるが、ここは元教育者でもある原左都子としてはツイッター野郎どもが若い世代であろう事に配慮してそれを許す事にしよう。)
原左都子も30代後半に公立大学大学院を修了しているが、我が同輩の女子学生の皆さんは実に美人揃いだったものだ。 (えっ? 院生選考過程で大学教授が自分好みの女性を合格させたって??) 進学・就職にかかわらずその種のマイナー見解がこの世に存在する事も承知しているが、私の感想では女子学生の皆さんは美女であるのに加えて頭脳明晰な、まさに“才色兼備”揃いだったことは確かだ。 (いえいえ、あくまでも私以外の女性の話だよ~~)
それに加えて、この私は(我が人生において整形経験は一度たりとてないが)大学院進学前の大学生時代に丸の内、六本木界隈でコンパニオン派遣業務を経験している事も、本エッセイ集バックナンバーで幾度か公開している。 という訳で、上記ニュースサイトが言うところの「両方(学業と金儲けという意味に解して)やればさらによし」を今から20数年前に既に経験済みである。
ところがこの職種とて、元々の美人は元より「整形」を施したからといって即金に直結する訳ではあり得ず、業務上何が求められているかを判断する頭の回転力があってこそ成功する業(なりわい)だったものだぞ。
まあそういう訳で、ここで再び 「女は学歴よりも整形か?」 に関する原左都子の結論を語ると、女といえどももっと視野を広くして “自分らしく努力を重ねられる道を開拓しつつ自分なりの人生を歩むべき” との話になろう。
ところで今日私が今回のエッセイを綴ろうと思い立ったきっかけとは、朝日新聞本日(3月3日)の “悩みのるつぼ” の相談を見たからに他ならない。
60歳主婦による相談の題目 「もし上野さんが美人だったら?」 を一見した原左都子は仰天してしまったのだ!
上野さんとは社会学者で現在東大教授の 上野千鶴子氏 であられるのだが、私が20代後半頃から尊敬申し上げている上野氏を、ほぼ同年代の女性がまるで誹謗中傷するかのごとくの“悩み相談”の投稿を、よくぞまあ朝日新聞が取り上げたものだと驚かされた。
しかも、それに誠実に回答している上野氏のキャパにも恐れ入った次第である。
ここで上記相談内容を紹介したいところだが、60歳主婦の投稿とはどうやら「相談」というよりも、ご自身が過去において「綺麗」と言われる部類だったことを自慢することにより今の自身を正当化するべく内容と私は結論付けるのだ。 それにしても、その比較対象として上野氏を持ち出して「もし上野さんが美人だったら?」との挑戦状を送りつけるとは、何ともまあ身の程知らずのおばさんだ。
その相談内に於いて、1980年に京都大学での講演に際し上野氏が質問をされた事実に関して、相談者の夫が傍らで「あれが上野千鶴子だよ」と言ったとの一文に、私も興味を惹かれた。
私の場合残念ながらその講演には出席していない。 当時20代後半に差しかかっていた原左都子にとって 上野千鶴子氏 とは新聞紙上でしか拝見できない遠い存在の学者氏であられたが、我が今後の人生を指南してくれそうなエネルギーに満ち溢れた女性だったものだ。 私が当時更なる学問を触発されたのは上野氏のみではないのだが、学問の第一線で活躍する先駆者女性達のエネルギーをメディア上でもらったからこそ、原左都子は30代間近にして再び我が学業の道に邁進できたとも言える。
最後に、上記“悩みのるつぼ”回答者の上野千鶴子氏の今回の回答の一部を要約引用してこの記事を締めくくろう。
ここで証言しておくが、過去の時代にウーマンリブに参加した女性達に綺麗な女性は沢山いた。 察するに相談者の女性はそこそこ幸福な人生を送って来られたようだ。 それがご自身の「容貌」のお陰と限定されている処には疑問があるが、私(上野氏)の場合はこれまで生きてきた上で男女を問わず他人との関係をつくるのに(顔が不自由なために)不都合があった事は一度もない。 弱者に想像力を持つために自分が弱者である理由もなかった。
容貌は容貌、幸福は幸福、知識欲はまた別。 そのあいだに何の相関もない、ということぐらい相談者もご自身の現在の趣味であられる本を今後読めば分かるはずだ。
(以上、上野千鶴子氏の回答よりその一部を要約引用)
原左都子の結論をさらに述べずとも、学者としての確固たる地位を何十年来のご努力の下に築き上げて来られている上野千鶴子氏の上記回答で、相談者の女性も我が身の愚かさを多少なりとも思い知った事に違いない。
それにしても、厳しい現代を生き抜かんとする若き女性達にとって時代は進化しているのかと思いきや、そうではない現実(学歴か整形か等のくだらない議論に翻弄されている現実)に愕然とさせられる思いでもある。
我が結論としては、世代を問わず日本の女性の皆さん個々人がご自身の特質を認識しつつも欲する道を究めんと、日々努力する人生を歩むことに期待したいものだ。