NHK連続テレビ小説「カーネーション」の主人公糸子が 尾野真千子氏から夏木マリ氏へ交代して後2週間が経過した。
原左都子がこのドラマを我がエッセイ集に於いて取り上げるのは、今回で4度目と心得る。
それ程までの「カーネーション」ファンである原左都子の個人的希望としては、尾野真千子氏の小原糸子こそを最終回まで観賞したかった思いだ。 同じ思いの「カーネーション」ファンが全国に大勢存在したと推測するのに、何故NHKはドラマの佳境で主役を交代させたのかと残念無念である。
主役好演により絶好調の番組に於いて、あえてその主役を降板させねばならなかった答を私が想像するに、NHKと芸能プロダクションの関係等々視聴者には理解不能な裏の事情もあるのだろう。
夏木マリ氏にバトンタッチした後は、尾野真千子氏の糸子の頃より物語が展開する時代が変わり年月が経過した事にも助けられ、私の感覚としては“別のドラマ”を見ていると頭を切り替えて引き続き楽しむ事にしている。
さて、その夏木マリ版「カーネーション」に於いて、先週 “医療とファッションのせめぎ合い” とでも表現できそうなストーリーが展開した。
これが元医学関係者であり、またファッションにも大いに興味がある私にとって実に興味深かったのだ。
糸子が通院している病院から、患者さん達を元気付ける趣旨で病院内に於いて職員をモデルとしたファッションショーを実施するとの企画を、88歳の高齢にして尚ファッションデザイナーとしての世界を広めている糸子が引き受ける事と相成る。
その企画に対し、糸子は是非患者にもモデルになって欲しいと病院に提案する。 その糸子の要望に対し、医療を施す側の基本的姿勢の観点から当初難色を示していた病院側であるが、結局は糸子の熱意により患者も対象として病院内でモデルを募集することに踏み切った。
そうしたところ、重症患者も含めて数多くの院内通院・入院患者よりモデル希望が舞い込んで来たのだ。
その応募書類を眺めつつ、糸子は「今回モデルに応募してくれた患者さんの“生きる希望”をファッションという手段を通じて是非共開花させたい。 だからこそ先が短い重症患者さんにこそモデルになって欲しい」と総看護婦長に訴える。 それに対し山田スミ子氏演じるところの総看護婦長が反論したセリフこそが、病院に勤務する医療従事者たるべく発言だったのではなかろうかと原左都子も心得るのだ。
「我々医療従事者には患者の命を守り抜く使命が課せられている。重症患者本人がモデルを志そうと、医療的側面から考察して今現時点で患者が余儀なくされている病状を考慮した場合、我々としては多大に体力を消耗するであろうファッションショーのモデルを許可する訳にはいかない。それも理解願いたい!」 (あくまで私の記憶のみに頼っているため、詳細部分において不正確である点をお詫びする)
この総看護婦長の反論に対して、如何に糸子が再反論するのだろう?と興味深く見守っていたところ、さすがの糸子もこの場面においては看護婦長の見解に同意する結論となった。
原左都子にとって一番関心があったたのは、この場面で国営放送局ともいうべきNHKが、ドラマのシナリオ内で総看護婦長に如何なる返答を用意しているのかとのことだった。 その婦長の反論に対し、さらに糸子がどう応じるかに関しても大いなる関心があった。
そうしたところ、元医学関係者の私の想像と意向通りに会話が展開したことに、ひとまず安心した次第である…。
さてその後「カーネーション」のドラマの物語が進み、病院ファッションショーの直前の場面となる。
その場において、今一度ファッションデザイナーである小原糸子と病院の総看護婦長との会話バトルが再燃するのだ。
これも圧巻だった。
参考のため私はNHKの朝ドラしかテレビドラマを見ない人種であるが、こんな短時間のドラマに於いても今時は臨床医学面の監修が徹底しているのだろうか?、と実感したのである。
主人公糸子に先立って発せられた総看護婦長のドラマ内での発言が、明確に脳裏に刻まれた原左都子である。
「末期癌の患者さんに対して我々医療従事者が何をしてあげられるというのか? 現在の医学・医療が一体如何程のものなのだろう!? そんな虚しい思いを抱きつつ、それでも我々医療従事者とは患者さんに日々接するのが任務である。 医学を含めた科学の限界を推し量ったならば、医療以外に患者さんを助けられる方策が存在して不思議ではないことなど、我々医療従事者としては重々認識できている事実である……。」 (これもまた原左都子の記憶に頼っているため、不正確な点をお詫びしたい。)
いやはや、たかがテレビドラマ内でこれ程に現在置かれている医学・医療現場の“おごりと限界”に即した苦悩の現実を語ってもらえるならば、私が当「原左都子エッセイ集」においてその分野のテーマに下手に悪戦苦闘せずに済むというものでもある。
それにしてもメディアとは、時代や公民の組織を問わず関係機関よりの圧力を大きく受けつつ存在することを余儀なくされている事には違いないであろう。
そんな中、NHKの一ドラマが(我が国の医師会や製薬会社等々関係諸機関からの今後の圧力に耐えつつも)医学・医療という一般市民にとって最重要であるにもかかわらず一番分かり難い分野のその“おごりと限界”に関して、現在これ程突き詰めた描写・表現力を持つに至っているのを確認出来て大いに喜んでいる私である。
そんな意味合いに於いても、今週末で終了する「カーネーション」はやはり素晴らしいドラマだったと讃えるべきであろう。
原左都子がこのドラマを我がエッセイ集に於いて取り上げるのは、今回で4度目と心得る。
それ程までの「カーネーション」ファンである原左都子の個人的希望としては、尾野真千子氏の小原糸子こそを最終回まで観賞したかった思いだ。 同じ思いの「カーネーション」ファンが全国に大勢存在したと推測するのに、何故NHKはドラマの佳境で主役を交代させたのかと残念無念である。
主役好演により絶好調の番組に於いて、あえてその主役を降板させねばならなかった答を私が想像するに、NHKと芸能プロダクションの関係等々視聴者には理解不能な裏の事情もあるのだろう。
夏木マリ氏にバトンタッチした後は、尾野真千子氏の糸子の頃より物語が展開する時代が変わり年月が経過した事にも助けられ、私の感覚としては“別のドラマ”を見ていると頭を切り替えて引き続き楽しむ事にしている。
さて、その夏木マリ版「カーネーション」に於いて、先週 “医療とファッションのせめぎ合い” とでも表現できそうなストーリーが展開した。
これが元医学関係者であり、またファッションにも大いに興味がある私にとって実に興味深かったのだ。
糸子が通院している病院から、患者さん達を元気付ける趣旨で病院内に於いて職員をモデルとしたファッションショーを実施するとの企画を、88歳の高齢にして尚ファッションデザイナーとしての世界を広めている糸子が引き受ける事と相成る。
その企画に対し、糸子は是非患者にもモデルになって欲しいと病院に提案する。 その糸子の要望に対し、医療を施す側の基本的姿勢の観点から当初難色を示していた病院側であるが、結局は糸子の熱意により患者も対象として病院内でモデルを募集することに踏み切った。
そうしたところ、重症患者も含めて数多くの院内通院・入院患者よりモデル希望が舞い込んで来たのだ。
その応募書類を眺めつつ、糸子は「今回モデルに応募してくれた患者さんの“生きる希望”をファッションという手段を通じて是非共開花させたい。 だからこそ先が短い重症患者さんにこそモデルになって欲しい」と総看護婦長に訴える。 それに対し山田スミ子氏演じるところの総看護婦長が反論したセリフこそが、病院に勤務する医療従事者たるべく発言だったのではなかろうかと原左都子も心得るのだ。
「我々医療従事者には患者の命を守り抜く使命が課せられている。重症患者本人がモデルを志そうと、医療的側面から考察して今現時点で患者が余儀なくされている病状を考慮した場合、我々としては多大に体力を消耗するであろうファッションショーのモデルを許可する訳にはいかない。それも理解願いたい!」 (あくまで私の記憶のみに頼っているため、詳細部分において不正確である点をお詫びする)
この総看護婦長の反論に対して、如何に糸子が再反論するのだろう?と興味深く見守っていたところ、さすがの糸子もこの場面においては看護婦長の見解に同意する結論となった。
原左都子にとって一番関心があったたのは、この場面で国営放送局ともいうべきNHKが、ドラマのシナリオ内で総看護婦長に如何なる返答を用意しているのかとのことだった。 その婦長の反論に対し、さらに糸子がどう応じるかに関しても大いなる関心があった。
そうしたところ、元医学関係者の私の想像と意向通りに会話が展開したことに、ひとまず安心した次第である…。
さてその後「カーネーション」のドラマの物語が進み、病院ファッションショーの直前の場面となる。
その場において、今一度ファッションデザイナーである小原糸子と病院の総看護婦長との会話バトルが再燃するのだ。
これも圧巻だった。
参考のため私はNHKの朝ドラしかテレビドラマを見ない人種であるが、こんな短時間のドラマに於いても今時は臨床医学面の監修が徹底しているのだろうか?、と実感したのである。
主人公糸子に先立って発せられた総看護婦長のドラマ内での発言が、明確に脳裏に刻まれた原左都子である。
「末期癌の患者さんに対して我々医療従事者が何をしてあげられるというのか? 現在の医学・医療が一体如何程のものなのだろう!? そんな虚しい思いを抱きつつ、それでも我々医療従事者とは患者さんに日々接するのが任務である。 医学を含めた科学の限界を推し量ったならば、医療以外に患者さんを助けられる方策が存在して不思議ではないことなど、我々医療従事者としては重々認識できている事実である……。」 (これもまた原左都子の記憶に頼っているため、不正確な点をお詫びしたい。)
いやはや、たかがテレビドラマ内でこれ程に現在置かれている医学・医療現場の“おごりと限界”に即した苦悩の現実を語ってもらえるならば、私が当「原左都子エッセイ集」においてその分野のテーマに下手に悪戦苦闘せずに済むというものでもある。
それにしてもメディアとは、時代や公民の組織を問わず関係機関よりの圧力を大きく受けつつ存在することを余儀なくされている事には違いないであろう。
そんな中、NHKの一ドラマが(我が国の医師会や製薬会社等々関係諸機関からの今後の圧力に耐えつつも)医学・医療という一般市民にとって最重要であるにもかかわらず一番分かり難い分野のその“おごりと限界”に関して、現在これ程突き詰めた描写・表現力を持つに至っているのを確認出来て大いに喜んでいる私である。
そんな意味合いに於いても、今週末で終了する「カーネーション」はやはり素晴らしいドラマだったと讃えるべきであろう。