実は私は、8月中旬頃韓国 李明博大統領が竹島に上陸した直後、既に日本海・東シナ海に位置する竹島及び尖閣諸島の領有権をめぐってこじれる事象に関し、当「原左都子エッセイ集」に於いて私論を展開したく考えていた。
ところが当時の私は領有権問題エッセイの表題として 「領有権を争う前に双方が歴史的背景説明を」 とのテーマを掲げたものの、“草稿”扱いとして非公開としたまま月日が経過した。
何故、原左都子がこのテーマの記事を即刻綴って公開せず(私らしくもなく弱気で)保留措置になどしたのかについて説明すると、ペンネームの「左」の文字が物語っている通り多少“左”志向故である。
この領土問題に関する当時の率直な私論をそのままエッセイ集にて公開したならば、愛国心旺盛な国民の皆さんより“袋叩き”に遭いそうな危機感を察知したからに他ならない。
しばらく私論の公開は自粛して領有権をめぐる国内外の動きを静観しようと志したところ、何ともまあ韓国中国相手に喧嘩を売るかのごとくの民主党若き閣僚どもの発言が相次ぎ、領有権バトルが日を追う毎に激化するばかりではないか!
国内政権情勢が揺れ動き、そうでなくとも政権奪取が如何なる転換を得て何処に辿り着くのか不安定極まっている我が国政情勢真っ只中である。 よりにもよってこんな時期に、今後友好を深めるべき近隣国である中韓相手に好き好んで喧嘩バトルを繰り広げている場合ではないだろう、との危機感を煽られるばかりの私だ。
そんな折、上記我がエッセイ集の草稿である 「領有権を争う前に双方が歴史的背景説明を」 内の“領有権の歴史的背景説明”に関して、分かりやすく解説した記事を朝日新聞で発見した。
朝日新聞9月2日、3日両日に渡り「ニュースが分からん!」に於いて解説された「竹島」「尖閣諸島」両者の領有権に関する歴史的背景に関して以下に要約して紹介しよう。(カッコ内は原左都子が注釈)
まずは「竹島」であるが、1696年に江戸幕府が自国領土との認識で往来を認めたとのことだ。(その背景的要因は不明) 1905年に日本が竹島の領土編入を閣議決定し、1910年に日韓併合条約が整った。 45年終戦、日本の朝鮮半島への植民地支配が終了。 46年、GHQ指令で竹島などへの日本の行政権停止。 51年サンフランシスコ講和条約に於いては、日本が放棄する領土に竹島は明記されず。 52年韓国が竹島を取り込む形で公海上にラインを設定、これに日本が抗議。 (中略) 08年日本政府は学習指導要領に初めて「竹島」を記述。 ……(後略)
ここで一旦原左都子の私論に入るが、この記事を参照する限り、やはり「竹島」は日韓いずれの領土と白黒判定できない現状と解釈するべきではないのか!? いや朝日新聞記事を読んだ限りにおいては、江戸幕府が自分勝手に「竹島」を自国の領土と認識した事実が否めない思いの私だ。
次に「尖閣諸島」に関する朝日新聞「ニュースが分からん!」を以下にその一部を要約して紹介しよう。
1895年、日本政府が閣議決定で正式に日本の領土に編入。 52年、サンフランシスコ平和条約発効により米国施政下に置かれる。 72年、沖縄返還に伴い尖閣諸島が日本に戻る。日中国交正常化。 78年日中平和友好条約調印。小平氏が尖閣問題の棚上げを表明。 (以下略)
再び原左都子の私論を述べると、「尖閣諸島」に関しても1895年時点で日本政府の閣議決定で日本の領土とされた以前の記述がないため、その歴史的背景に関する判断が困難である。 中国側がそれ以前の当該領有権に関する歴史的事実を今後調査・公開することに期待したいものである。
そうだとして「尖閣諸島」に関しても、朝日新聞記事によれば必ずや日本の領土と証明できる歴史的事実は何もないと結論付けられると私は解釈する。
さらに私論を展開しよう。
過去に於いて我が国が隣国を「植民地支配」した事実とは、私に言わせてもらうと、それは学校をはじめとする集団組織内の「いじめ」行為に匹敵するがごとくの失策なのではないかとの感覚を抱く。
我が子が幼い頃、幼稚園や小学校現場で「いじめ」に遭いそれに最大限の対処をしてきた親の立場から言わせてもらうならば、我が子をいじめた相手の顔など一生を通して二度と見たくもない程の嫌悪感を抱く存在である。 それ故に、それらの相手から“逃げて、逃げて、逃げ切って”我が子の現在の安泰を築いてきたとも言える我が家である。 その“逃げ切る行動”を取る事により我が子の「発展」が実ったと私は捉えている。
過去に於いて愚かな日本に一時“植民地支配”された隣国は、現在素晴らしいまでの国家・経済の発展を遂げている。
実際に韓国ソウルを訪れた経験がある私など、ソウル市民の皆さんに心を尽くして歓待して頂いたことを今尚嬉しく感じており、またソウルの地を娘と共に訪れたく思っている程だ。
「竹島」が何処の領地であるのか歴史的背景を紐解いても判定が困難であるのならば、ここは一旦過去に於ける「いじめ」張本人である日本は、若き世代の閣僚連中に悪態をつかせる事を自粛するべきだと私は考察する。
「尖閣諸島」問題に関しては、その権限もない東京都知事が“買い取る”との馬鹿騒ぎを始めた当初から、国家こそが即座に関与してその領有権に関して調査をし直すべきだったはずだ。
愚かな日本政府や自治体長老首長が領有権問題に関して大騒動をしでかしたばかりに中国側からの反発を煽ってしまい、今後の友好が民間レベルでも不自由になり、政治経済両面で大きな痛手を被っている現実を国政は如何に捉えているのか!?!
ここで朝日新聞8月27日付「声」欄 60歳男性の投書を紹介しよう。
力関係による領土問題の解決は将来までしこりを残し、本当の解決にはつながらない。 しかも偏狭なナショナリズムは繰り返し報道されることによって一気に沸騰しコントロールが効かなくなる。 日本が力によって領土問題を解決する道を選択するのなら、日米軍事同盟は一層緊密になり、緊張状態を絶えず強いられることになる。 領土問題はあくまでも時間をかけて話し合うべきだ。本質的な解決に至るまでは「棚上げ」にして漁業問題や海洋資源問題の暫定的な取り決めをすればいいと思う。
以上「声」欄60歳男性の投書に、全面的に賛同申し上げる原左都子である。
最後に本エッセイの結論を述べよう。
「竹島」「尖閣諸島」 は誰の財産か?
それは、地球のかけがえのない自然財産に他ならない。
ところが当時の私は領有権問題エッセイの表題として 「領有権を争う前に双方が歴史的背景説明を」 とのテーマを掲げたものの、“草稿”扱いとして非公開としたまま月日が経過した。
何故、原左都子がこのテーマの記事を即刻綴って公開せず(私らしくもなく弱気で)保留措置になどしたのかについて説明すると、ペンネームの「左」の文字が物語っている通り多少“左”志向故である。
この領土問題に関する当時の率直な私論をそのままエッセイ集にて公開したならば、愛国心旺盛な国民の皆さんより“袋叩き”に遭いそうな危機感を察知したからに他ならない。
しばらく私論の公開は自粛して領有権をめぐる国内外の動きを静観しようと志したところ、何ともまあ韓国中国相手に喧嘩を売るかのごとくの民主党若き閣僚どもの発言が相次ぎ、領有権バトルが日を追う毎に激化するばかりではないか!
国内政権情勢が揺れ動き、そうでなくとも政権奪取が如何なる転換を得て何処に辿り着くのか不安定極まっている我が国政情勢真っ只中である。 よりにもよってこんな時期に、今後友好を深めるべき近隣国である中韓相手に好き好んで喧嘩バトルを繰り広げている場合ではないだろう、との危機感を煽られるばかりの私だ。
そんな折、上記我がエッセイ集の草稿である 「領有権を争う前に双方が歴史的背景説明を」 内の“領有権の歴史的背景説明”に関して、分かりやすく解説した記事を朝日新聞で発見した。
朝日新聞9月2日、3日両日に渡り「ニュースが分からん!」に於いて解説された「竹島」「尖閣諸島」両者の領有権に関する歴史的背景に関して以下に要約して紹介しよう。(カッコ内は原左都子が注釈)
まずは「竹島」であるが、1696年に江戸幕府が自国領土との認識で往来を認めたとのことだ。(その背景的要因は不明) 1905年に日本が竹島の領土編入を閣議決定し、1910年に日韓併合条約が整った。 45年終戦、日本の朝鮮半島への植民地支配が終了。 46年、GHQ指令で竹島などへの日本の行政権停止。 51年サンフランシスコ講和条約に於いては、日本が放棄する領土に竹島は明記されず。 52年韓国が竹島を取り込む形で公海上にラインを設定、これに日本が抗議。 (中略) 08年日本政府は学習指導要領に初めて「竹島」を記述。 ……(後略)
ここで一旦原左都子の私論に入るが、この記事を参照する限り、やはり「竹島」は日韓いずれの領土と白黒判定できない現状と解釈するべきではないのか!? いや朝日新聞記事を読んだ限りにおいては、江戸幕府が自分勝手に「竹島」を自国の領土と認識した事実が否めない思いの私だ。
次に「尖閣諸島」に関する朝日新聞「ニュースが分からん!」を以下にその一部を要約して紹介しよう。
1895年、日本政府が閣議決定で正式に日本の領土に編入。 52年、サンフランシスコ平和条約発効により米国施政下に置かれる。 72年、沖縄返還に伴い尖閣諸島が日本に戻る。日中国交正常化。 78年日中平和友好条約調印。小平氏が尖閣問題の棚上げを表明。 (以下略)
再び原左都子の私論を述べると、「尖閣諸島」に関しても1895年時点で日本政府の閣議決定で日本の領土とされた以前の記述がないため、その歴史的背景に関する判断が困難である。 中国側がそれ以前の当該領有権に関する歴史的事実を今後調査・公開することに期待したいものである。
そうだとして「尖閣諸島」に関しても、朝日新聞記事によれば必ずや日本の領土と証明できる歴史的事実は何もないと結論付けられると私は解釈する。
さらに私論を展開しよう。
過去に於いて我が国が隣国を「植民地支配」した事実とは、私に言わせてもらうと、それは学校をはじめとする集団組織内の「いじめ」行為に匹敵するがごとくの失策なのではないかとの感覚を抱く。
我が子が幼い頃、幼稚園や小学校現場で「いじめ」に遭いそれに最大限の対処をしてきた親の立場から言わせてもらうならば、我が子をいじめた相手の顔など一生を通して二度と見たくもない程の嫌悪感を抱く存在である。 それ故に、それらの相手から“逃げて、逃げて、逃げ切って”我が子の現在の安泰を築いてきたとも言える我が家である。 その“逃げ切る行動”を取る事により我が子の「発展」が実ったと私は捉えている。
過去に於いて愚かな日本に一時“植民地支配”された隣国は、現在素晴らしいまでの国家・経済の発展を遂げている。
実際に韓国ソウルを訪れた経験がある私など、ソウル市民の皆さんに心を尽くして歓待して頂いたことを今尚嬉しく感じており、またソウルの地を娘と共に訪れたく思っている程だ。
「竹島」が何処の領地であるのか歴史的背景を紐解いても判定が困難であるのならば、ここは一旦過去に於ける「いじめ」張本人である日本は、若き世代の閣僚連中に悪態をつかせる事を自粛するべきだと私は考察する。
「尖閣諸島」問題に関しては、その権限もない東京都知事が“買い取る”との馬鹿騒ぎを始めた当初から、国家こそが即座に関与してその領有権に関して調査をし直すべきだったはずだ。
愚かな日本政府や自治体長老首長が領有権問題に関して大騒動をしでかしたばかりに中国側からの反発を煽ってしまい、今後の友好が民間レベルでも不自由になり、政治経済両面で大きな痛手を被っている現実を国政は如何に捉えているのか!?!
ここで朝日新聞8月27日付「声」欄 60歳男性の投書を紹介しよう。
力関係による領土問題の解決は将来までしこりを残し、本当の解決にはつながらない。 しかも偏狭なナショナリズムは繰り返し報道されることによって一気に沸騰しコントロールが効かなくなる。 日本が力によって領土問題を解決する道を選択するのなら、日米軍事同盟は一層緊密になり、緊張状態を絶えず強いられることになる。 領土問題はあくまでも時間をかけて話し合うべきだ。本質的な解決に至るまでは「棚上げ」にして漁業問題や海洋資源問題の暫定的な取り決めをすればいいと思う。
以上「声」欄60歳男性の投書に、全面的に賛同申し上げる原左都子である。
最後に本エッセイの結論を述べよう。
「竹島」「尖閣諸島」 は誰の財産か?
それは、地球のかけがえのない自然財産に他ならない。