アジア、ヨーロッパ、そして中近東と接し、イスラム国でありながら独特の文化を醸し出している国 トルコ で反政府デモが勃発したとのニュースを見聞したのは、先週の事である。
折りしも、ちょうど知人より9月下旬出発のトルコ・イスタンブールへの旅行に誘われた直後の事だった。
昼間テレビニュースを見聞していると、まさにそのイスタンブールでのデモ影像が映し出された。
「えーー! 9月にイスタンブールへ行く予定なのに!」などとついつい大声を上げてしまった私に身内が応えて曰く、
「初めて聞いたけど、そんな予定があるの?」
バレてしまえば仕方がない。
開き直って事の成り行きを話すと、身内曰く「トルコは観光名所も多いし食べ物も美味しいから行って楽しんでくればいいが、このデモいつまで続くだろうかねえ?」 応えて私曰く、「トルコとて2020年五輪開催に向けてその誘致に精力的であろうから、国民が一致団結するべく短期間でデモは決着するんじゃないかな?」 身内返して「それは考えが甘い。 今回のトルコのデモは、イスラム色の強いエルドアン政権に対する反政府デモとの色彩が強い故に、国民の間には多大な反発がある。 事はそう容易ではない。」
ここで話を変え原左都子の私論に移るが、私は2020年東京五輪開催反対派である。
そもそも東京都前知事である石原慎太郎氏が“自己顕示欲の塊”のような人物であったばかりに、東京での五輪開催誘致話が持ち上がったと私は捉えている。 2011年3月に東日本大震災との世界の歴史上類を見ない大規模災害が発生した直後にも、まだ性懲りも無く五輪開催を声高に叫ぶ石原氏には辟易とさせられるばかりだった。
そんなに東京都の財政が潤っているのならば、その剰余財源を今こそ大震災復興費に当てるべきである。 あるいは都税の見直しを行い、都民の生活こそを補償するべきだ。 であるはずなのに前石原知事はその後も相変わらず我が物顔に振る舞い、都剰余金を“五輪ビジネス”に注ぎ込み、更に剰余金を増やそうとの(私に言わせてもらうと)ギャンブルとも言える“自己野心追究”に走った。
都知事が猪瀬氏に代わっても、前石原知事の意向を受け継いでこそ当選が叶った猪瀬氏がこの意向を受け継がないはずもない。 何ともまあ、「イスラム教圏は喧嘩ばかりしている」との信じ難いコメントが世界中でバッシングされた事件は皆さんも記憶に新しい事であろう。
さすがに世界中からのバッシングで相当痛い思いをしたのか、その後五輪誘致に関して口を閉ざし続けている猪瀬知事である。
原左都子としては、誰が考察しても浅はかな発言を深い思慮もなく世界に向けて発信した愚かな猪瀬都知事の東京五輪誘致こそを、何が何でも阻止したい思いが増強させられたのだ。
2020年五輪誘致の最大のライバル都市であるトルコ・イスタンブールで反政府デモが勃発した事に関して、おそらく東京都猪瀬知事は心底“たなぼた”感覚で内心“ヒッヒッ”とほくそ笑んでいる事だろう。
原左都子としてはこれこそが許し難い。 だからこそ、トルコ・イスタンブールで2020年にはイスラム教国に於いて初の五輪を開催して欲しいのだ!
既に五輪を3度も開催している我が国が五輪誘致に向けて動く事自体を自粛するべきだ。 今後どうしても我が国で五輪を開催したい場合は、原爆被害県である広島・長崎、あるいは東日本大震災により壊滅的被害を受けた東北地方での開催を、日本国家を挙げて支援する事に期待したい。
さてさて、話をトルコ反政府デモに戻そう。
ウィキペディア情報によると、トルコは1923年にアンカラ政権が共和制を宣言。 翌1934年にオスマン王家のカリフをイスタンブールから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した、との事だ。
第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは反共の防波堤として西側世界に迎えられ、NATO、OECDに加盟。トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化を邁進してきた。 1982年に定められた現行のトルコ憲法では、世俗主義が標榜され三権はほとんど完全に分立している。 ところが西欧化を押し進めてきたトルコでは、政治や経済の混乱に対してしばしば軍によるクーデターが起こった。
その後、2010年には、与党が提起した憲法改定案の是非を問う国民投票が実施された。憲法改定案は民主主義を求める国民の声や欧州連合(EU)加盟の条件整備などを踏まえ、司法や軍の政治介入を押さえ、国会や大統領の権限を強めることなどを提起している。国民投票の結果、憲法改正案は58% の支持で承認された。 エルドアン首相は民主主義の勝利だと宣言。欧米諸国もこの改憲国民投票結果を歓迎している。欧州連合(EU) の執行機関欧州委員会は、トルコのEU加盟に向けての一歩だと讃えた。
(以上、トルコに関するウィキペディア情報の一部を引用)
ところが上記のごとく、そのエルドアン首相の政治体質に於ける「イスラム色」がここにきて強くなってきたとのことだ。
5月下旬には、与党が国会に提出した酒類の販売規制強化の法案が可決されたばかりで世俗派の不満が高まっていた、との報道もある。
原左都子の私事に移るが、私がペンネーム「原左都子」名で登録しているFACEBOOKにも何故かトルコの若き男性達から友達申請を頂戴している。
一体如何なるルートで「原左都子」を探し当てたのかに関しては不明のままだし、彼らに英語で通信しようと試みても「トルコ語でお願いしたい」との手短な英文返答のため、言語による通信は不能状態だ。 それでも、FACEBOOK 画面で公開されている彼らの画像を拝見すると実にカッコイイ若者達であるし、実生活をエンジョイされている風景が垣間見れて興味深くもある。
彼らが住んでいる地はトルコでも東部に位置しているようで、おそらく私が9月にイスタンブールを訪問する事になっても実際に面会できる機会などないであろう。 それでも私はFACEBOOKとの媒体を通じて、一時トルコに住む彼らに見果てぬ地の興味を煽られたことには間違いない。
最後に私論に入ろう。
現在トルコに於いて反政府デモに参加している若手民衆達の思想とは、過去にトルコ政権が築き上げてきた西洋化政策(すなわち民主化政策)を、現エルドアン首相がイスラム教主義に後戻りさせようと目論んでいる事態に、断固として闘っている闘争と理解した。
当初私としては、2020年東京五輪開催誘致を阻止したい思想と、9月にはイスタンブールを訪れたい希望等々、恥ずかしいまでの我が身息災視線でトルコ反政府デモが短期間で終結する事をメディアを通して観察して来た。
ところが、我が思いは大幅に変化した。
そんな一外国人の身勝手な思惑よりも、トルコ市民達よ、未来に渡る民主生活をエルドアン政権より是非共勝ち取って欲しい思いだ!
折りしも、ちょうど知人より9月下旬出発のトルコ・イスタンブールへの旅行に誘われた直後の事だった。
昼間テレビニュースを見聞していると、まさにそのイスタンブールでのデモ影像が映し出された。
「えーー! 9月にイスタンブールへ行く予定なのに!」などとついつい大声を上げてしまった私に身内が応えて曰く、
「初めて聞いたけど、そんな予定があるの?」
バレてしまえば仕方がない。
開き直って事の成り行きを話すと、身内曰く「トルコは観光名所も多いし食べ物も美味しいから行って楽しんでくればいいが、このデモいつまで続くだろうかねえ?」 応えて私曰く、「トルコとて2020年五輪開催に向けてその誘致に精力的であろうから、国民が一致団結するべく短期間でデモは決着するんじゃないかな?」 身内返して「それは考えが甘い。 今回のトルコのデモは、イスラム色の強いエルドアン政権に対する反政府デモとの色彩が強い故に、国民の間には多大な反発がある。 事はそう容易ではない。」
ここで話を変え原左都子の私論に移るが、私は2020年東京五輪開催反対派である。
そもそも東京都前知事である石原慎太郎氏が“自己顕示欲の塊”のような人物であったばかりに、東京での五輪開催誘致話が持ち上がったと私は捉えている。 2011年3月に東日本大震災との世界の歴史上類を見ない大規模災害が発生した直後にも、まだ性懲りも無く五輪開催を声高に叫ぶ石原氏には辟易とさせられるばかりだった。
そんなに東京都の財政が潤っているのならば、その剰余財源を今こそ大震災復興費に当てるべきである。 あるいは都税の見直しを行い、都民の生活こそを補償するべきだ。 であるはずなのに前石原知事はその後も相変わらず我が物顔に振る舞い、都剰余金を“五輪ビジネス”に注ぎ込み、更に剰余金を増やそうとの(私に言わせてもらうと)ギャンブルとも言える“自己野心追究”に走った。
都知事が猪瀬氏に代わっても、前石原知事の意向を受け継いでこそ当選が叶った猪瀬氏がこの意向を受け継がないはずもない。 何ともまあ、「イスラム教圏は喧嘩ばかりしている」との信じ難いコメントが世界中でバッシングされた事件は皆さんも記憶に新しい事であろう。
さすがに世界中からのバッシングで相当痛い思いをしたのか、その後五輪誘致に関して口を閉ざし続けている猪瀬知事である。
原左都子としては、誰が考察しても浅はかな発言を深い思慮もなく世界に向けて発信した愚かな猪瀬都知事の東京五輪誘致こそを、何が何でも阻止したい思いが増強させられたのだ。
2020年五輪誘致の最大のライバル都市であるトルコ・イスタンブールで反政府デモが勃発した事に関して、おそらく東京都猪瀬知事は心底“たなぼた”感覚で内心“ヒッヒッ”とほくそ笑んでいる事だろう。
原左都子としてはこれこそが許し難い。 だからこそ、トルコ・イスタンブールで2020年にはイスラム教国に於いて初の五輪を開催して欲しいのだ!
既に五輪を3度も開催している我が国が五輪誘致に向けて動く事自体を自粛するべきだ。 今後どうしても我が国で五輪を開催したい場合は、原爆被害県である広島・長崎、あるいは東日本大震災により壊滅的被害を受けた東北地方での開催を、日本国家を挙げて支援する事に期待したい。
さてさて、話をトルコ反政府デモに戻そう。
ウィキペディア情報によると、トルコは1923年にアンカラ政権が共和制を宣言。 翌1934年にオスマン王家のカリフをイスタンブールから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した、との事だ。
第二次世界大戦後、ソ連に南接するトルコは反共の防波堤として西側世界に迎えられ、NATO、OECDに加盟。トルコはイスラムの復活を望む人々などの国内の反体制的な勢力を強権的に政治から排除しつつ、西洋化を邁進してきた。 1982年に定められた現行のトルコ憲法では、世俗主義が標榜され三権はほとんど完全に分立している。 ところが西欧化を押し進めてきたトルコでは、政治や経済の混乱に対してしばしば軍によるクーデターが起こった。
その後、2010年には、与党が提起した憲法改定案の是非を問う国民投票が実施された。憲法改定案は民主主義を求める国民の声や欧州連合(EU)加盟の条件整備などを踏まえ、司法や軍の政治介入を押さえ、国会や大統領の権限を強めることなどを提起している。国民投票の結果、憲法改正案は58% の支持で承認された。 エルドアン首相は民主主義の勝利だと宣言。欧米諸国もこの改憲国民投票結果を歓迎している。欧州連合(EU) の執行機関欧州委員会は、トルコのEU加盟に向けての一歩だと讃えた。
(以上、トルコに関するウィキペディア情報の一部を引用)
ところが上記のごとく、そのエルドアン首相の政治体質に於ける「イスラム色」がここにきて強くなってきたとのことだ。
5月下旬には、与党が国会に提出した酒類の販売規制強化の法案が可決されたばかりで世俗派の不満が高まっていた、との報道もある。
原左都子の私事に移るが、私がペンネーム「原左都子」名で登録しているFACEBOOKにも何故かトルコの若き男性達から友達申請を頂戴している。
一体如何なるルートで「原左都子」を探し当てたのかに関しては不明のままだし、彼らに英語で通信しようと試みても「トルコ語でお願いしたい」との手短な英文返答のため、言語による通信は不能状態だ。 それでも、FACEBOOK 画面で公開されている彼らの画像を拝見すると実にカッコイイ若者達であるし、実生活をエンジョイされている風景が垣間見れて興味深くもある。
彼らが住んでいる地はトルコでも東部に位置しているようで、おそらく私が9月にイスタンブールを訪問する事になっても実際に面会できる機会などないであろう。 それでも私はFACEBOOKとの媒体を通じて、一時トルコに住む彼らに見果てぬ地の興味を煽られたことには間違いない。
最後に私論に入ろう。
現在トルコに於いて反政府デモに参加している若手民衆達の思想とは、過去にトルコ政権が築き上げてきた西洋化政策(すなわち民主化政策)を、現エルドアン首相がイスラム教主義に後戻りさせようと目論んでいる事態に、断固として闘っている闘争と理解した。
当初私としては、2020年東京五輪開催誘致を阻止したい思想と、9月にはイスタンブールを訪れたい希望等々、恥ずかしいまでの我が身息災視線でトルコ反政府デモが短期間で終結する事をメディアを通して観察して来た。
ところが、我が思いは大幅に変化した。
そんな一外国人の身勝手な思惑よりも、トルコ市民達よ、未来に渡る民主生活をエルドアン政権より是非共勝ち取って欲しい思いだ!