今回のエッセイテーマは、その文言通り“体格的に太っている人”の深層心理を取り上げようとの趣旨であるのだが、冒頭から表題に対する原左都子の結論を述べよう。
人は何故太るのか?
その解答とは、「太っている状態を自らが“許容”している故」 以外にあり得ないと私は結論付ける。
と言うより、むしろ「太っている自分を肯定し、そんな姿が愛らしい」との自己肯定心理すら内在しているのかと感じたりもする。
今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、私が日頃通っているスポーツジムで「太っている女性(以下、A子さんと記そう。)」と会話をする機会が何度か得られたためである。
いつも私がジムへ訪れる時間帯が、ロッカー室にて着替え中のA子さんの帰宅時間と重なるようだ。
A子さんが私を見て曰く、「何でそんなにスマートなの?? 私も昔は7号の洋服が着れるほどにスマートな時期があったのだけど、子どもが大きくなるにつれ太ってしまって、今じゃこの状態… 少しは体重を抑えたく思ってこのジムへ通っているの。」
そもそもA子さんの私に対する第一印象は、“20代のギャル”だったとの事だ!?!
「何をおっしゃいますやら」である。 (まさか還暦近い実年齢は伏せてはいるが…)、今年20歳を迎える娘を持つ母親である事実を告げたとたん、A子さんが「何でそんなにスマートな体型をずっと維持出来ているの~~!??」等々と、驚愕とも表現可能な程に驚いて下さるではないか!!
等々といった具合に、A子さんと私とのジムロッカーのお付き合いは毎回10分程の短時間ではあるが、A子さんの「体重」に関する話題で現在も続行中である。
このA子さんの場合、ジム通いの第一目的が「減量」との明確な目標を掲げられているのは瞭然の事実だ。
原左都子に言わせてもらうと、その割にはA子さんのジムにおける“鍛錬”の程が「減量」に繋がるメニューとは到底考察できない程に軟弱である…。 一週間に何度も当該ジムに通い、ご自身が好むプログラムをこなしていらっしゃるとの事だが、私の判断では「減量」メニューとしては一切機能していないと推測する。
片や、昨日初めてA子さん側から私に「ジムで何をしていらっしゃるのですか?」との質問を受けた。 (何分、現実社会ではあくまでも“聞き役”を全うしている私であるため、見知らぬ人とは常にこういういきさつと相成るのだが…) 屋内走路でランニング練習及びジムで筋トレをして、年間何回か市民ロードレースにもエントリーし出場している事を伝えると、物凄く驚いた様子でA子さんが「そんなに頑張っているのですか! 凄いですね!!」なる感想を述べて下さるではないか。 「いえいえ単に自己実現意欲に駆られ、市民ランニング大会にエントリーして参加しているだけの話ですよ。」
ロッカー室で人と話している時間こそがもったいない私だが、A子さんが何とも“いい方”でついついA子さんの話に応じてしまうのだ…。
話題を私事に戻すと、家族を含め我が人間関係環境範囲内には「太った」人は過去現在を通じて存在しないと言えよう。
そうそう、我が20代の医学関係民間企業勤務時代に「太った」同僚女性と仲良くした経験がある事を思い出した。
(この女性をB子さんと名付けるとして)、B子さんは20代の若さにしてご自身が太っている事に何らの後ろめたさも感じていないどころか、誇りを持っている様子だった。 それもそのはず?、B子さんは20代前半の若さにして既に結婚していた。 その旦那様(参考のためご主人は平均的体型であられたのだが)の好みが「太った女性」だったのだ。 日々沢山の手料理をご亭主に振る舞っていた自宅に私もお邪魔して、B子さん手作り料理を幾度かご馳走になったものだ…… (残念ながらB子さんが20代前半に退社して以降、疎遠となっている。)
A子さんとB子さんの事例を上記に掲げた後に、原左都子が何故“太らないのか”に関する私事と私論を述べよう。
私の場合、20代前半頃より現在に至るまでずっと、我が理想とするスリム体型を維持してきている。
この体型を維持するために、何らかの“涙ぐましい”までの努力を重ねたのかと言えば、決してそうではない。
なのに何故、私がこの現在の体型を数十年来保持できているかに関する私論を述べると、現在のこの体型が自分自身の“お気に入り”であるからに他ならないのだ。
人の好みとは実にそれぞれであろう。
B子さんの事例のごとく、もしも恋愛相手が「太った女性が好みだよ」と言ってくれたならば、それに自身の体型を合わせるとの人生の選択肢もあり得るのか!?
ところが私にはその手の“他力本願思想”が、我が人生に於いて一度たりとて湧き出ない自我と人格にこだわって生きているとも言える。 たとえ私を愛してくれる相手であったとしても、相手の好みに自分の体型を合わせたいなどとの意思が私の場合存在しようもないのだ。
あるいはA子さんの場合はどうだろうか?
ご主人にも「太り過ぎ」を指摘され現在ジム通いをしているA子さんであるようだが、その実、A子さんから本気で減量しようとの意思がまったく感じられない私だ。 A子さんからは、現実の生活に満足しつつご主人との仲睦ましい生活を続行するべく、その“余興”でジム通いをされている幸せ感すらが伝わってくる思いだ。
最後に原左都子の私論でまとめよう。
人は何故「太る」のか?
さらには、何故「太った」体型を本気で元に戻さないのか??
それは冒頭で記した通り、「太って」おられる事に関してご自身が「許容」しているからに他ならない。
上記A子さん、B子さんの事例に関しては本人達が「太って」いる事を“自愛”している様子がお分かりいただける事であろう。
そうではなく、健康上「メタボ」で苦しんでいる人々が何故本気で体重制限しないのかと言えば、私に言わせてもらうとやはり「自愛」範疇と受け止めざるを得ない。
この種の人々とは表向きには減量したい云々と公言しつつも、内心は「太っている」自分の姿と人格を許容し、満足しつつ日々を暮らしておられることに間違いない。
20代前半頃から数十年来、165cm、47㎏(1~2㎏の上下変動はあるが)をキープし続けている原左都子である。
「何でその体型をずっと保持できるの?」と問われたならば、この体型こそが私に絶対的幸福をもたらしてくれる事を日々実感できるからに他ならない、としか答えようがない。
そんな我が持論に基づいて綴った、今回の「太った」人種に関する上記論評である。
人は何故太るのか?
その解答とは、「太っている状態を自らが“許容”している故」 以外にあり得ないと私は結論付ける。
と言うより、むしろ「太っている自分を肯定し、そんな姿が愛らしい」との自己肯定心理すら内在しているのかと感じたりもする。
今回のエッセイを綴るきっかけを得たのは、私が日頃通っているスポーツジムで「太っている女性(以下、A子さんと記そう。)」と会話をする機会が何度か得られたためである。
いつも私がジムへ訪れる時間帯が、ロッカー室にて着替え中のA子さんの帰宅時間と重なるようだ。
A子さんが私を見て曰く、「何でそんなにスマートなの?? 私も昔は7号の洋服が着れるほどにスマートな時期があったのだけど、子どもが大きくなるにつれ太ってしまって、今じゃこの状態… 少しは体重を抑えたく思ってこのジムへ通っているの。」
そもそもA子さんの私に対する第一印象は、“20代のギャル”だったとの事だ!?!
「何をおっしゃいますやら」である。 (まさか還暦近い実年齢は伏せてはいるが…)、今年20歳を迎える娘を持つ母親である事実を告げたとたん、A子さんが「何でそんなにスマートな体型をずっと維持出来ているの~~!??」等々と、驚愕とも表現可能な程に驚いて下さるではないか!!
等々といった具合に、A子さんと私とのジムロッカーのお付き合いは毎回10分程の短時間ではあるが、A子さんの「体重」に関する話題で現在も続行中である。
このA子さんの場合、ジム通いの第一目的が「減量」との明確な目標を掲げられているのは瞭然の事実だ。
原左都子に言わせてもらうと、その割にはA子さんのジムにおける“鍛錬”の程が「減量」に繋がるメニューとは到底考察できない程に軟弱である…。 一週間に何度も当該ジムに通い、ご自身が好むプログラムをこなしていらっしゃるとの事だが、私の判断では「減量」メニューとしては一切機能していないと推測する。
片や、昨日初めてA子さん側から私に「ジムで何をしていらっしゃるのですか?」との質問を受けた。 (何分、現実社会ではあくまでも“聞き役”を全うしている私であるため、見知らぬ人とは常にこういういきさつと相成るのだが…) 屋内走路でランニング練習及びジムで筋トレをして、年間何回か市民ロードレースにもエントリーし出場している事を伝えると、物凄く驚いた様子でA子さんが「そんなに頑張っているのですか! 凄いですね!!」なる感想を述べて下さるではないか。 「いえいえ単に自己実現意欲に駆られ、市民ランニング大会にエントリーして参加しているだけの話ですよ。」
ロッカー室で人と話している時間こそがもったいない私だが、A子さんが何とも“いい方”でついついA子さんの話に応じてしまうのだ…。
話題を私事に戻すと、家族を含め我が人間関係環境範囲内には「太った」人は過去現在を通じて存在しないと言えよう。
そうそう、我が20代の医学関係民間企業勤務時代に「太った」同僚女性と仲良くした経験がある事を思い出した。
(この女性をB子さんと名付けるとして)、B子さんは20代の若さにしてご自身が太っている事に何らの後ろめたさも感じていないどころか、誇りを持っている様子だった。 それもそのはず?、B子さんは20代前半の若さにして既に結婚していた。 その旦那様(参考のためご主人は平均的体型であられたのだが)の好みが「太った女性」だったのだ。 日々沢山の手料理をご亭主に振る舞っていた自宅に私もお邪魔して、B子さん手作り料理を幾度かご馳走になったものだ…… (残念ながらB子さんが20代前半に退社して以降、疎遠となっている。)
A子さんとB子さんの事例を上記に掲げた後に、原左都子が何故“太らないのか”に関する私事と私論を述べよう。
私の場合、20代前半頃より現在に至るまでずっと、我が理想とするスリム体型を維持してきている。
この体型を維持するために、何らかの“涙ぐましい”までの努力を重ねたのかと言えば、決してそうではない。
なのに何故、私がこの現在の体型を数十年来保持できているかに関する私論を述べると、現在のこの体型が自分自身の“お気に入り”であるからに他ならないのだ。
人の好みとは実にそれぞれであろう。
B子さんの事例のごとく、もしも恋愛相手が「太った女性が好みだよ」と言ってくれたならば、それに自身の体型を合わせるとの人生の選択肢もあり得るのか!?
ところが私にはその手の“他力本願思想”が、我が人生に於いて一度たりとて湧き出ない自我と人格にこだわって生きているとも言える。 たとえ私を愛してくれる相手であったとしても、相手の好みに自分の体型を合わせたいなどとの意思が私の場合存在しようもないのだ。
あるいはA子さんの場合はどうだろうか?
ご主人にも「太り過ぎ」を指摘され現在ジム通いをしているA子さんであるようだが、その実、A子さんから本気で減量しようとの意思がまったく感じられない私だ。 A子さんからは、現実の生活に満足しつつご主人との仲睦ましい生活を続行するべく、その“余興”でジム通いをされている幸せ感すらが伝わってくる思いだ。
最後に原左都子の私論でまとめよう。
人は何故「太る」のか?
さらには、何故「太った」体型を本気で元に戻さないのか??
それは冒頭で記した通り、「太って」おられる事に関してご自身が「許容」しているからに他ならない。
上記A子さん、B子さんの事例に関しては本人達が「太って」いる事を“自愛”している様子がお分かりいただける事であろう。
そうではなく、健康上「メタボ」で苦しんでいる人々が何故本気で体重制限しないのかと言えば、私に言わせてもらうとやはり「自愛」範疇と受け止めざるを得ない。
この種の人々とは表向きには減量したい云々と公言しつつも、内心は「太っている」自分の姿と人格を許容し、満足しつつ日々を暮らしておられることに間違いない。
20代前半頃から数十年来、165cm、47㎏(1~2㎏の上下変動はあるが)をキープし続けている原左都子である。
「何でその体型をずっと保持できるの?」と問われたならば、この体型こそが私に絶対的幸福をもたらしてくれる事を日々実感できるからに他ならない、としか答えようがない。
そんな我が持論に基づいて綴った、今回の「太った」人種に関する上記論評である。