原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

東大は学生の自由と主体性こそを尊重せよ

2013年06月27日 | 教育・学校

 今回のエッセイは、「原左都子エッセイ集」に於いて前回公開した記事 「『東大秋入学』“当面見送り”措置発表は予想通り」 の続編の形ともなろうか。


 6月24日に記した上記のエッセイの結論部分のみを、今一度以下に要約して紹介させていただこう。
 東大は2011年より「秋入学」実施決断に関して国及び国民全体を巻き込み右往左往した挙句、今月中旬に当該制度導入を見送ったとのメディア報道である。 それによれば、東京大学は6~8月に学生が授業に縛られないようにして「海外留学」等を促す狙いで、2015年末までに4学期制を導入する方針を固めたとの事だ。 現在東大では7月まで授業があるため、6~8月に多い海外大学のサマープログラムに学生が参加しにくいと指摘していたが、この案によると当該期間に海外大学への留学がし易くなる。
 原左都子の私論だが、東大が目指す学生の「海外留学」のレベルの低さに驚かされる。その程度の短期留学ならこの私とて40年前に既に経験済みであるが、私に限らずこのレベルの留学ならば全国各地の数多くの大学生が経験済みであろう。  私はてっきり、有能・優秀な東大生達を本格的に海外大学へ何年間か留学させ、各学問分野で将来ノーベル賞受賞レベルの研究成果を上げる事を目的としていると理解していたのだが、とんだ拍子抜けの話だ。
 しかもこんな貧相な留学改革のために、これまた東大が「4学期制」などへ移行するとの結論のようだ。 東大学長浜田氏は少し腰を落ち着けて、身近に存在する現役学生や受験生達の混乱の程は元より、今後の学生達の真の成長の程を考慮しては如何なものか。
 (以上、「原左都子エッセイ集」前回の記事より結論部分を要約引用)


 冒頭より、上記結論部分に記載されている東大の一方針 「海外大学のサマープログラムへの東大生留学推進」 に関する原左都子の私論を述べさせていただこう。

 “天下”の東大が何故「サマープログラム」などとの海外大学が主催する“既製プログラム”に学生を“受身の形”で参加させたいのであろうか?

 私自身の40年前の留学経験から述べるが、そんな他力本願留学に参加したところで団体参加している日本人学生同士で仲良くなるのが関の山だ。 私の場合元々集団行動が苦手なため個人行動場面が多かったのだが、その時に知り合う現地の人々との会話こそが英語力の強化に繋がったと考察する。
 私事を続けると、集団行動が苦手な私はその後も海外へ出向く場合は(地域にもよるが)出来得る限り個人旅行を欲してきている。 要するに航空券と宿のみ予約するフリーツアーを予約するのだ。 これぞ旅の真骨頂と私は感じ、それを堪能しているし今後もそうしたいと欲している。
 今時は簡単にネット検索で、いくらでも自分が欲する個人旅行が選択可能な時代である。
 東大学長も何も海外大学の既製プログラムに学生を参加させる事になど固執せずとて、冒険心旺盛な東大生は既に個人旅行を自らの意思で企てて諸外国へ旅立っているものと私は想像するのだが。


 「原左都子エッセイ集」において前回のエッセイを公開した後に、朝日新聞6月21日“教育”ページに於いて、 「変われるか、東大」 なる記事を発見した。
 これによると東大学長はじめ幹部達は、大学内部でも大いなる意識改革欲をもって教育検討委員会を設け学内教育改革を目指しているとの事だ。

 4月頃の朝日新聞記事で、1,2年次の教養学部学生には全員強制で「英語論文」提出課題を課しているとの報道にも触れていた私だが、それ位の関門を通過させるのは至って当然との感覚も抱いていた。
 何分、“天下”の東大である。 社会に進出する最初の時点からあらゆる方面より(論拠不明に)東大生が優遇される立場にあるのならば、学生時代より厳しい学内学力指導により、世間から“さすがに東大生”と絶賛されるべく学問力をもって全学生を卒業させる使命を東大は担っているはずである。

 ところが、上記朝日新聞記事を見て愕然とした私だ。
 現在の東大生の実態とは、「個としての主体性を発揮しようとしない」「自分の関心より、高得点が望める授業の履修を優先させる傾向がある」「批判的思考、国際感覚に乏しく、英語力が低い」……

 しかもその原因を東大側が作り出しているとの、東大幹部の報告である。
 (東大学内詳細を私が述べたところで庶民には何の利益も無いため割愛するが)、要するに東大では、学生の学内進学に関しても卒業に関しても「点数制」が幅を利かせていたとの論理のようだ。 これを学内で実施するためには教える側の教授陣もそのシステムに従わねばならず、「学問・研究」如何よりも、学生に点数や単位を取得させるために躍起になっていたとの何とも“みすぼらしい”有様のようだ… 

 上記現状に危機感を持っている東大幹部は、「学生をしっかりと学ばせる仕組みの確立」「カリキュラムの柔軟化」「教員の教育力向上活動の推進」等、取り組むべき「アクションリスト」を改革案として盛り込んだらしい。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 私が思うに、現役東大教授陣とて現在その中核はおそらく私よりも下の世代が担っていることであろう。
 もしかしたらバブル期の頃その世代が安穏と学問に励んだ流れで、就職もいとも簡単に東大教授陣として採用されてしまったが故に、今尚世間知らずの「頭でっかち」状態なのではあるまいか??

 片や現在入学在籍している学生達もバブル期世代に世を渡ってきた親に育てられ、「偏差値」こそが最大の武器と信じ込み、「点数主義」を貫いている東大システムに安穏と我が身をまかせているとも考察可能だ。


 そんな東大生に、今現在他力本願「海外サマープログラム」になど参加させたところで、日本人参加他大学学生と仲良しになることすら困難なのではあるまいか?  「点数主義」を貫いている東大カリキュラムの狭い世界にぞっこん浸かり、おそらく自分は小中高時代より「偏差値が高いんだぞ!」「お前ら庶民大学生とは別格なんだぞ」との歪んだ特権思想を増強させるのが関の山ではなかろうか? 

 いや、海外留学を東大幹部が東大生に煽る事自体は、学生の将来に向けて有意義な経験を積むきっかけとなろう。 
 その場合は表題のごとく心を鬼にして学生の自由と自主性を尊重し、出来得る限り「個人」での留学や旅行を奨励するべきだ。 
 東大生ともなれば、おそらく受験英語力は十分達成しているであろう。 少しばかりの期間海外に出るにはそれで必要十分と私は判断する。(原左都子とて海外旅行は受験時の英語力のみに一生頼り続けているのが現実だが、今に至って尚それで何とかなるものだ。)
 後は学生本人の人間性と持ち味、及びコミュニケーション能力次第である。 これこそを東大生にかかわらず若い世代には是非共学習して欲しい思いだ。

 活躍の場が国内国外の如何に係らず、“人との関係力”こそが学問力の一つの重要なパートと位置付けている原左都子の私論である。