原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

80年代後半バブル期に、あなたは何をしてた??

2013年06月06日 | 時事論評
 自民党政権が現在実行中のいわゆる「アベノミクス」経済政策を“バブル”と解釈するか否かに関しては、評価の分かれるところであろう。

 これに関する原左都子の私論は、5本前2013年5月のバックナンバー「イージー・マネーで世を撹乱した“イージー・アベノミクス”」との表題にて既に公開している。
 少し復習させていただこう。
 「イージー・マネー」とは日本語にすると「楽に儲かるカネ」の意味合いがある。あるいは、「不正に儲けたカネ」「悪銭」「あぶく銭」「泡銭」等々…の意味合いもあるようだ……。  日銀黒田総裁は少し前にメディア上の記者会見に応答して、「今回の金融緩和政策は決して“バブル経済”の再来ではない!」と言い切っていた事を私はメディア画面を通して記憶している。
 私に言わせてもらうと、「イージー・マネー」を最前線に呼び込む経済政策など“バブル”でしかあり得えないにもかかわらず、何故国民相手に「イージー・マネー」の投入を煽ったのか??  これこそが、今後の「アベノミクス」経済政策の限界を示す指標と私は捉える。 
 「アベノミクス」は、日本国内に於けるほんの一部の富裕層(これとて所詮庶民の範疇であり大してリッチでない層と私は捉えるが)を煽る事による“階級制度”を末端世界で築きたいのか? 今後益々多くの国民を更に貧困層に落とし入れ不幸にしないためにも、「イージー・マネー政策」は即刻辞めにするべきだ。 バブル銭にしか頼れない財務・経済政策など、原左都子に言わせてもらうと「イージー・アベノミクス」としか表現できないよ。
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより私論部分を引用。)


 このアベノミクスが現在引き起こしている株価乱高下現象を受けて、朝日新聞5月28日オピニオンページに興味深い記事が掲載されていた。
 現在のアベノミクス経済状況を“バブル”と捉えるか? この現況下において20年前のバブル期を反省する人、あるいは早めに株や土地に手を出そうとする人等々、経験者が本音を語っている。
 以下に要約して紹介しよう。

 まず、「踊った人」の例から。

 ジュリアナ東京が開店した1991年にちょうど20歳だったという女性荒木氏は、そのお立ち台で羽根扇を振りながら下々の人を見下ろし、何かの教祖になった気になって踊っていたらしい。 会場の熱気の中みんながトランス状態で、欲とか虚栄心とか人間のドロドロしたものが一つの大きな「気」になってそこに存在していた、と荒木氏は言う。 バブルに気付かずお金をばかばか使う残党がいて、今振り返るとおっかしいんじゃねえの、とも思うそうだ。 それでも、荒木氏自身は当時コンパニオンもして、会期が終わったらブランド衣装も全部もらえたし、打ち上げは船上パーティ。 「節度」という言葉を忘れているような雰囲気があったと思うとも語っている。

 原左都子の私事と私論に入ろう。
 バブル期以前の70年代に、上記荒木氏と同様“ディスコ狂”とも言える青春時代を踊り狂って過ごした私だが、その時代背景が全く異なる。 
 1991年と言えば、私は既に30代後半。 学問に驀進して大学院を修了しちょうど「修士」を取得した頃である。
 趣味として音楽もダンスもずっと愛好していたが、ジュリアナ東京を訪れる機会は一度たりとてなかった。 影像で見るあの場は下劣で低俗で“馬鹿が集まる場”とのイメージしか抱けず、あえて避けて通ったとも言える。
 コンパニオン(パーコン)もアルバイトの一環として経験した私だが、確かに“バブル期”だからこその職種だったことだろう。 私の場合、会期後の「打ち上げ」になど出席している時間がもったいなくて一切参加していないが、お陰で短時間で高給が稼げ学業に励む時間が確保できた事に感謝している。 今時“コンパニオン”なる言葉自体が死語化しているとも捉えている。 

 次に「こりごりな人」の例であるが、48年生まれの末井氏は朝日新聞紙面で以下のように語っている。

 小豆の先物取引や金、不動産にギャンブル、バブル期はいろんなものに手を出した。 ただただお金を増やす事が快感で、減ると落ち込む、それだけだった。 不動産は元より、しまいに郊外の栗林まで買ったため、結局大暴落して3億円の借金が残った。 これを競馬の大勝負で返そうと本気で考える程に、正常な思考が出来なくなっていた。 その後銀行と話し合って借金の一部をチャラにしてもらったが、今もまだ4千万円程をちょぼちょぼ返している。 といういきさつで、現在はアベノミクスに乗って一発当てようとの発想はない。

 再び原左都子の私事と私論に入ろう。
 こういう奴、一番迷惑だよなあ。 
 “バブル期”に少しばかりの小金を持っていたこの手の軽薄野郎どもが大量発生し、我が物顔で“イージーマネー”を世にバラ撒いた80年代後半の時代である。 その後バブル崩壊と共に大損失を計上した挙句の果てに、自分らの借金を銀行等との癒着でチャラになどしたからこそ、その後の不況期が長引いていることを肝に銘じさせるべきだよ。 
 軽薄志向のあんたらがチャラにした借金をその後我々庶民が血税の形で肩代わりし続けている事実に関して、現政権こそが今一度省みるべきであるし、その手の奴らには一生懺悔しながら生きるべく指導する責任があるというものだ。

 私など、バブル期直前にそれまでの定職だった医学専門職を退き自らの意思で学業に励む選択をしたがために、80年代後半のバブル期とは実に厳しい時代であった。 ただ、その時代の苦労の程が現在の我が人格を創り上げてくれたとも思う貴重な“華の時代”の印象もある。
 一番苦労させられたのは、バブル期直前に購入した自宅住居である不動産物件のローンが高金利だった事だ。 当時の我が家の住宅ローンはなんと!8%で借入れた記憶がある。 それでも、私はこのローンを独身のうちにその後7年間で自力完済した。

 朝日新聞記事3例目は1934年生まれの男性による 「再び(バブルを)期待する人」 とのテーマだが、原左都子の私論としてはこの題目のみを一見して判断しても到底受け入れ難いため、割愛する事にしよう。


 80年代後半の“経済バブル時期”に、単なる偶然ではあるが原左都子自身がちょうど次なる自己実現意欲に燃えていた事を摩訶不思議にすら感じる現在だ。

 もしも、当時私が勤務していた医学関連企業の勤務を続行していたならば、もしかしたらバブルの波に乗りその後“東証一部上場”を果している当該企業で相当の活躍ぶりを発揮していたのだろうか??

 ところが、やはりそうではないであろうと私は結論付ける。
 当時の私には私なりの確固たる夢が描けていた。
 一民間企業との組織内で我が人生を犠牲にし続けるよりも、まだまだ30歳手前の私には、とにもかくにも更なる学業を全うしたい!との次なる人生に繋がる明確な目標が燦然と存在したのだ。

 その我が夢を叶えてくれたのも、当時の時代が“経済バブル期”だったからこそと感謝しつつ、今回のエッセイを締めくくる事としよう。